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仕事は愛だと言ったら笑う人が多いかも知れません。
この厳しいご時世に暢気なものだと笑う人はたくさんいるでしょう。
それでも、誤解を恐れず、愛についてお話しましょう。
但し、崇高な愛を語る考えはありません。等身大の現実的な愛についてお話します。
愛と言うと「結婚に結びつくロマンチックな愛」や「仲良きことは素晴らしい隣人愛」を想像されるでしょう。
それは愛の「氷山の一角」に過ぎず、本質的な愛からは遠いもので、むしろ愛をそのように限定的に受け止めることが、愛の誤解を招き、生きづらくしていると言えます。
愛の問題は、生き方、働き方、遊び方、政治のテーマにのぼる諸問題の根幹なのです。
と、言っても、どこかの総理が言う「友愛」とは全く距離があり遠いものです。
・ 愛は、何の役に立つのか?
・問題の根源とはなにか?
・愛を学んだ経験がない
・「孤立」という問題
・ナルシシズムと恋愛の孤立
・与える、贈る、生産的であること
・与えたいと思う人、与えてほしいと思う人
・愛されたいを超えて
・失敗リストで自分を知り直す
■愛は、何の役に立つのか?
愛は、何の役に立つのでしょうか?
愛とはどのようなことに対して、どう使えば、効力を発揮するのでしょうか?
愛とは技術です。10のライフスキルの根幹となるスキルです。
私たちは暮らしていく上でいくつかの大きな課題に向き合います。
自分自身のこと、仕事、恋愛・結婚、子育て、家族、社会とのコミュニケーション、さらに、お金、時間、成熟すること、健康、介護などを自分の暮らしに最適化しょうと、私たちはいくつもの障害を克服しながら調和を図ろうとします。
愛とは、あなたの脳と感情と身体、それらを統合した心の忙しい動きをバランスよくマネジメントするバスターミナルのような働きをしています。
愛を正しく理解して、ライフスキルに落としこみ使いこなすと、人が向かい合う課題は間違いなく処理しやすくなります。
困ったとき、迷ったとき、愛は羅針盤になるのはもちろん、あなたと周囲の人を励まし、勇気づける力になります。
■問題の根源とはなにか?
人は誰も自分の存在価値を認めて欲しいものです。
さらに人にはもっと深刻な問題があります。
人を不安に陥れているのは「孤立」です。
ほとんど誰もが口にしないけれど身体の芯にある言いようのない孤立感が人を痛めつけます。
子育てやビジネスの成功も含めて、「孤立感」はあらゆるところで不安に誘い、障害になります。
「孤立」は大きな障害であり問題なので、すべての問題解決の扉になりますが、その扉の鍵になるのが愛なのです。
私たちが直面することになる問題・・・仕事、恋愛・結婚、子育て、家族、社会とのコミュニケーション、さらに、お金、時間、成熟すること、健康、介護など、問題は多岐にわたり、環境も現象もさまざまです。
誰とも似ているようで、どこにもありそうで、同時に誰にも似てなくて、どこにもなさそうに感じます。
確かに言えることは、どんな問題にも、孤立が背景にあることで、もし孤立感がなければ、どのような問題にぶつかっても大きなダメージはありません。
愛は、唯一、解決する技術ですが、その愛が、原因も分からないまま、いつの間にか消えていたりして、さらに人を痛めつけます。
もともと愛の認識を間違え、愛の使い方を間違えていたために起こることで、悩んでも仕方がなく、愛の技術を学ぶほうが早いのです。
なぜなら、愛はあるものではなく、使うものなのです。
しかし私たちは愛について、学んだことなど、ほとんどないので、愛を技術として使えないのです。
■愛を学んだ経験がない
愛を理解することは、人生をより良くする条件です。
しかし、現実には、愛の認識に誤りが一般的になっていて、後から来るものを混乱に導く要因になっています。学ばなくても知っていると思い込んでいるかも知れません。
これはセックスについて学んだことがないことに似ています。
あなたの愛の情報源はどこだったでしょうか?
愛という言葉が、もっとも多く使われていて、運んでくるのは、センチメンタルな歌や映画、小説です。これらは私たちが思い込んでいる愛を知る以前に、私たちに送り込んできたはずです。
しかし、残念なことに、ほとんどが本当の意味での愛を伝えてはいません。
そのため愛に対する認識を間違い、使い方を間違い、孤立をさらに深めてしまうのです。
WHO(世界保健機構)が、薬物中毒などの問題対処にライフスキルの必要性を唱えたのは1993年です。それでも先進国におけるライフスキルの習得は未熟化の一途を辿っているようです。
もし、愛について、正しく理解をしていたら、人はどんどん幸福になっているはずです。しかし、先進国に暮らす人々の精神性の不安な実態がそうでないことを伝えています。
そのバックボーンには「愛」に対する甚だしい誤解の加速する暴走があります。
■「孤立」という問題
孤立と孤独は違います。人は孤立を恐れて、集団に自ら積極的に同調しています。
この傾向は世界中どこでも同じといえますが、特に日本人は著しく同調するようです。
しかし、集団の価値観に合わせて、自ら積極的に自分の価値観を変えていくとは、自分で自分を疎外していることになります。本人が気づいていないだけです。
もともと自分の価値観だと思い込んでいることもあって、自分の価値観を変えたとは思っていないものです。うまく合わせたつもりでも、疎外感が残り、自分らしさを見失います。「自分探し」まで集団心理が働く始末です。
平等かつ個の存在を認める社会・・・個人を尊重するとは、決して孤立を支援することではないけれど、ケータイ、個室、コンビ二、個食、フリーター、「君」と「僕」で歌われる「時代」を匂わせない歌など、皮肉にも、ますます”孤立を促進する装置が溢れています。表面的には、あなたも私も同じという安心感が漂っていますが、その運用も安心も、とても刹那です。わがままが通用するほど孤立を深めて、自由から遠ざかっています。
平等の意味も「同一である」に偏っていて、それも気がつけば「格差」と言われるようなことになっています。
かって、アメリカには、白人社会と黒人社会が明確に区分けされていましたが、互いが交わることはほとんどありませんでした。格差社会も同じで、「格差」によっても人は見せかけの同一感で、孤立を深めています。
孤立は、格差で生じているというより、同じ世界にいても同じでないと感じることで起こっているのです。
なぜ、人は自ら率先して同一感を求め「集団」に従属するのか?
同一を求めるとは、型通りの生き方、働き方、遊び方を求めることです。
決して価値観が同じでもないのに、同じであるようにふるまい、「その他大勢」の役割を自ら好んで選んで埋没し、その一方で「自分は他者と違う」ことを希求するアンビバレンツの奇異。 その結果、どうでもいいことで自己主張しようとする、それはたいてい消費、娯楽に偏っています。
「なんでもあるのは何もない」にたとえよろしく、同一感を強化するために、年齢別、性別を条件にしてより強い私もあなたも同じを求める。これは恋愛と同じ構造で疎外することで同一感を強める仕組みです。自分を疎外しているので、やはり失敗します。
自分が何をどうしたらいいのか、分からなくなるのは、すでに自分を引き裂いているからです。その奇異を解消する手段に「愛」が叫ばれる。
しかし、愛はすでに約束されている場所にはありません。
積極的に社会と関わろうとしない場所に「愛」はなく、孤立があるだけなのです。
■ナルシシズムと恋愛の孤立、
客観的に自分を観察できない状態がナルシシズム( narcissism)です。
自己愛は自分の内側にばかり注目して、自分のイメージで世界を見る状態が慢性化したものです。
自分のイメージにない、違うものには、不満を持ち否定する、時には防衛から反逆します。
自分も他者も状態も客観的に見ない、なによりできないので、自分のイメージとの調整、イメージを変えることも、イメージに近づけることもできません。もともとナルシシズムは防衛機構の一種であるけれど、防御になっていないので、孤立を深めますが、意識的に孤立感を振り払おうと間違った行動を重ねます。この状態が愛のない行為です。
「最小単位の集団」と言える「恋愛」は、孤立から逃げる上でとっておきの行為ですが、恋愛は二人だけの特別な関係を維持するために、周囲を疎外することで成立しています。このため恋愛で孤立は消し去れません。
やがて刺激の力で奥底に沈めていた孤立感に耐えられず、新しい刺激で処理することに向かいます。あるいは集団への関わりを求めて、互いへの関心は乏しくなり家庭は冷ややかなものになります。
結局、恋愛から始まった結婚は孤立を深める結果になり、やがて特別な関係は持続できなくなり失敗します。「愛は続かなかった」と思いますが、続かない仕組みを使っただけなのです。相手に不満を持つ前に自分たちの在り方を見直せば希望が発見できます。
愛とは主体性を持って生産することでGIVE&GIVEです。つまり愛の行為を実行するには、自らが与えられる立場、贈る立場であることを意味します。しかし俗に言う恋愛はGIVE&TAKEなので、混乱します。
男は自分の力を女に贈りたい、与えたいと思う、女も与えたいと思い身体を解放する。これが愛のあるセックスです。
愛のないセックスには、片方あるいは両者に主体性がなく、GIVE&GIVEにならず、GIVE&TAKEに向かいます。
恋愛が愛のある恋愛である条件は主体性にあります。
主体性のある行動とは、見返りを期待しない生産的な行動です。恋愛によって生産できるのは、より生産的な行動なのです。
GIVE&GIVEの典型は「健全な親と子の関係」に発見できます。主体的なセックスは、さらに選択によって、こどもを産むことも出来ます。家族を作るとは、親と子が目的を持った暮らしをすることです。このように主体性のある生産は再生産に発展していきます。
ところが、間違った恋愛は、結婚、子育てにも暴走します。それは子育てでも同じです。
親がよろこぶのは、こどもの自立ではなく、従順さや自分の安心です。これはとても変です。
子供の気持ちよりも、自分がうれしくなる学校の成績。関心は自分の気持ちなのです。ここでもナルシシズムに支配されます。
愛とは自分や他者、状態を客観的に知ろうとすることから始まる行為なのです。
もし、与えても与えても、孤立感があるのなら、その原因を知り、どう対処すればいいのか、分析して判断することができる。それが愛の本質であり、技術なのです。
■与える、贈る、生産的であること
愛されること、与えられること、贈られることを求めると、愛はどこかに消えてしまいます。
孤立する構造を前にしてテキトーにやるしかないと、自覚のないままに、自分の人生のない場所で暮らすことを、選択していきます。
気がついたらそうなっていた・・・・一番強く感じているのは、結婚して数年・・・夫と子供と仕事に引き裂かれた女性たちではないでしょうか?
男にしても、気を紛らわせる、口にしない、考えようとしないだけで、実際には同じでが、心身ともに変化が激しく避けようのない女性の方が厳しさを受け止めます。
愛が続く恋愛をする秘訣は、ふたりして積極的に社会に入り込む行動を重ねることです。
愛とはすべてに生産的な技術であり、生命力そのものであり、対象のことではありません。
存在価値、孤立・・・・人を苦しめる最大の問題を解決するには、積極的に社会に関わるしかありません。ただ関わるのではなく、自分の力を与える、自分の力を贈るのです。
「愛」は、その原動力となる技術です。
技術と言うとテクニックのようで寒々しい気になるがそうではありません。
「あの人を愛しています」という表現にある意味は、愛という感情を持っていますということではなく「あの人を愛することができている」というほうが適切です。
愛は主体性のある意志であり、行動なのです。
与える、贈る、生産的であることは、自分にできる生命力のある最高の表現です。交換は最高の表現ではありません。
愛される立場にある「こども」は無力であるがゆえに保護されます。
愛されたいと思う大人の場合も、その姿勢には主体性がなく、弱者であることを認めてほしいと言っているようなものです。愛されることが価値ある者の条件だと信じているので、愛される価値の証明を実感じたいと願います。
愛される自分になれないと、愛も自分も無力だと感じます。
しかし、愛とは、商品のように交換するものでも、与えてもらうものではなく、与えるものです。
主体的に活動した結果、ふさわしい評価を得るとき、与えたことの質と量で評価されます。これが愛の本質です。愛した分だけ愛されたい態度は、主体性がない分だけ受身になり、孤立感は必然になります。
孤立感が残れば残った分だけ、仕事、恋愛・結婚、子育て、家族、コミュニケーション、成熟、介護など人生の大事な場面で、問題が生じます。
誤解しないでほしいのですが与える、贈るとは、経済的な力に代表されるような外的な力だけを言うのではなく、内面的な力も含みます。
原理が分かっていれば、お金でも知識でもなく、工夫ができます。
約束された保証のある結果と引き換えのように、すでに終わっていることのために使う行動ではなく不確かな未来に向かって主体的に能動的な行動が愛なのです。
愛の認識が正しいと自分の内側にある力にエネルギーを与えて、勇気を呼び起こします。
自分、仕事、恋愛・結婚、子育て、家族、コミュニケーション、成熟、介護など人生の大事な場面で、常に愛は決定的な役割を担います。
■与えたいと思う人、与えてほしいと思う人
なぜ不確かなことに、能動的に取り組むときにだけに愛は宿るのか。
愛とは自分にできる最高の自己表現だからです。それは行動であって、絶え間のない一体感のある活動から得られる感覚、愛はそこにあるのではなく、「いまこの瞬間に集中している」行動の積み重ねのプロセスの最中にだけに輝きます。
人は自分の存在価値を外部に求めています。
愛されることが価値ある者の条件だと信じています。
そこで、愛される自分になれないと、愛も自分も無力だと感じます。。
しかし、愛とは、商品のように交換するものでなく、与えてもらうものではなく、与えるものです。
愛に関して、与えてもらう立場にいるのは、こどもや与えることのできない障害のある人に限られます。ほとんどの成人はみんな与える立場にあるのです。
だから、愛されない自分、売れない自分、つまり与えてもらえない自分は価値がないのではなく、与えない自分を価値がないと認識するべきなのです。
この点からも、GIVE&TAKEは愛の本質から遥かに遠いことが分かります。電車のなかで誰かに促されて席を譲っても、親切な態度とは言わないでしょう。
愛とは、結果に囚われることなく、自ら率先して自分が持つ力を与えることであり、贈ることなのです。
席を譲って立っていても平気でいられる力を持つ人が、立っていることが苦痛な人に、自分の力を贈らない。愛がないとはこういうことです。
愛を知らないから、席を譲る意味を見出せない。その未熟を屈辱と考える力もないから、愛されたいと「愛」を求める。与えないから、自分を弱めます。弱めるほど、代替品を求めて、ますます愛を失う。失うほど依存心が働き、自立から遠のく、依存すら気がつかなくなる。幼児化に拍車がかかります。そうして得られる「愛」が「愛」であるはずがないのです。もがいて、わめいて、自分を疎外しているのです。
愛は愛しか生まないので、主体性の乏しい人は、わすかな愛しか持てないのです。
与えるばかりでは損をする考えは商品と同じです。
愛にビジネスを持ち込むと愛はその形を崩し結果的に自分が得るものはないのです。
恋愛やセックス、結婚で、愛が創造できるわけではなく、主体性のある愛によって愛のある関係や結婚が創造できます。
現代では概ね善良な人の間にも、商品化した考えが持ち込まれていて、恋愛や結婚を歪めていて、孤立を深める原因になっています。
■愛されたいを超えて
与えることが生命力なのです。
だから生産的なものを与えることができない場合はみじめです。与えられる自分になりたいと願って、学問や経済活動で必要な努力を果たします。与えることで自分の存在価値を味わうことが出来る仕組みが社会にはあります。
与えると、相手のなかになにかが生まれます。次になにが返って来る。GIVE&TAKEはこのことです。
GIVE&TAKEは、GIVE&GIVEの結果としてあるだけであって、意識の外にあるのが本来なのです。GIVE&GIVEは、犠牲ではありませんが、GIVE&TAKEが正しいと誤解されているので、孤立感を解決できない愛の落とし穴になります。
愛と押しつけではありません、約束ではありません、愛は与えること、贈ることにだけ宿ります。
こちらが愛すれば、贈り続ければ、きっと相手の心に愛が生まれるだろうと希望に自分を永遠に委ねることです。
愛とは、何の保証もないことに向かって主体的に自らの責任で能動的に起こす行動です。
これこそが愛の力であって、愛を技術として使うとき、愛は課題を乗り越え片づけていく、あなたの人生のバスターミナルの役目を果たします。
自分を受け入れてほしい、愛してほしい、そのために安直な同調を繰り返し、自分を疎外する、その一方で、自分は人と違うとアンビバレンツな主張をしなければならなくなる。与える力、贈る力に注目することなく、目に見えている不安に注目する。孤立感を深める仕組みがべったり貼りついたままになります。
人が果たさなければならない、いくつかの課題。自分自身のこと、仕事、恋愛・結婚、子育て、家族、社会とのコミュニケーション、さらに、お金、時間、成熟すること、健康、介護などが億劫になっていくばかりです。
新春のいまこそ、あるはずのない孤立に別れを告げましょう。
自分を遠ざけるのをやめて、課題に向き合い、愛を使いましょう。
愛を使ったときにだけ、自分の人生のある場所に立つことができます。
■失敗リストで自分を知り直す
与える、贈る力を奪うものが、「生きる構え」です。
どこでどのようにして身についたのか分からない、あの忌まわしいネガティブなスタイルです。
その原因を追求する時間がもったいない。貴重な時間は行動によって身につけるのが望ましい、
しかし、人は立ち止まる。どうしたら可能なのか、分からないのです。●自分と周囲の人を尊重し励ます
● プロセスに注目する
● 決めたことは責任をとる
● できるまでやる
● いまこの瞬間に集中する
● 理想と現実の差をうめる目標を選ぶ
● 感情的な行動をしない
ライフスキルを散りばめたゴールデンルールは与えるスタイルです。ゴールデンルールを実行します。簡単にできないことは織込み済みです。
できない時がいつだったのか、どんな時に、約束が守れないのか、いつゴールデンルールを手放すのか、どうして実行しないのか、失敗のリストを作ります。
一見ネガティブなリストは、裏返すと、問題を乗り越える秘訣集に変わります。
失敗リストは、客観的に自分を知る方法なのです。大きなかたまりになった問題を乗り越えるには誰でも大変です。小さな課題にすると、すごく簡単に解決できるようになります。
ひとつひとつ。
愛とは、技術です。
愛とは、生産的なものです。
愛とは、再生産がつながるものです。
愛とは、自分と他者を客観的に知ろうとする行為です。
愛とは、対象に入り込むこと(入り込むとは行動を重ねて知ること)
愛とは、自分ができる最高の表現をしたい気持ちを起こすことです。
愛とは、与えること、贈ること。
愛とは、保証のないことに向かっていくことです。
愛とは、いまこの瞬間に集中する行動です
愛とは、対象に生産意欲を起こすことです。
愛とは、本当の一体感を起こすことです
時に孤独であっても、孤立と孤独は違います。
愛を感じたいと思ったら、自分の力を最大限使ってみましょう。
自分にできることをしましよう。
あなたが若く立つ力があるのなら、老人に席を譲ってみましょう。
孤立ではなく一体感を感じるはずです。
あなたができる仕事に就いて、出会う人にあなたの力を贈りましょう、
孤立ではなく一体感を感じるはずです。
あなたが老人なら、あなたにできることに思いをめぐらし、その力を与えましょう。
あなたの力を出し惜しみせずに、与えるほど一歩、一歩、一体感は深まります。2010年、自分の人生のある場所で暮らすために、あなたは愛を自分に取り返す。
・・・・・そう、頭で分かっても、解決できていない寂しさや愛されたい気持ちがあると、なかなかできません。それが現実で、自分を苦しめる。
自分を責めなくていいんですよ。それが自分の弱点なんだと受け入れましょう。誰にも弱点があります。理由があるわけですから、恥じなくていいんですよ、しかし、愛されたい感情が募っても、それでよくなることはないのだから、暴走してはいけません。
愛は贈ればきっと返ってくることを信じましょう。なぜ、帰ってくるのか、それはみんな愛されたいし、愛したいからです。あせらずに育てる気持ちを大切にしましょう。
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