完璧主義
■完全を求めることから生じる問題点
この完全を求める習性は、どんなところでどんな現象を起しているでしょうか?
アサーティブなコミュニケーションをする上で役立つことはあるのでしょうか?
完全を求めるということは、行動をするより先に結果を知りたがるということです。
結果をみてから決めるという行動の仕方です。
だれでも先のことが不安ですが、起ってもいない先のことばかり心配しても仕方がありません。
結果をみてから決めるという態度は、相手の態度や感情を見て自分の態度を決めるようになります。
つまり、主体性を失うということです。アサーティブでなくなります。
主体性を持たない側は弱者になるしかないので、この関係は公平性を欠くようになり、かならず被害者意識をつくります。
被害者意識からは不満、不平、怒り、憎しみなど楽しくない感情が、どんどん作られます。アサーティブな力を失いアグレッシブ(攻撃的)になります。
あるいは楽しくない感情が内向すると無気力になります。ノンアサーティブです。
自分にとっていいことなど少ないので、気づいていない方は、すぐに止めるべきです。
もともと、相手の態度や感情を見て自分の態度を決めるというやり方で見ている相手の態度や感情は、実際には現実ではありません。
自分の思い込みです。
自分の意見や要望を出す前に判断するというやり方だからです。
ですから誤解や食い違いが起こりやすくなります。
●相手の感情をみて、自分の態度を決める.
●相手の感情を予測して、自分の態度を決める
●自分の感情を予測して自分の態度を決める
●悪い想像をして、自分の態度を決める
なぜこんなことをしているのかというと、相手から放たれる感情的な態度、また自分の感情を自他ともに見られることが嫌いだからです。
特に感情の表出には敏感です。
感情に敏感になっているのは、感情の表現と、感情的な行動が、まったく別のものだということを理解いていない点、感情の表現=感情的な行動と思い込んでいる点にあります。
そのため、話をしても相手の話の内容ではなく、相手の態度にあわせて自分を表現しているだけなので、コミュニケーションになっていない場合が多くあります。
相手の感情に自分を合わせて、その場に適切と思ったことを表現しているだけなのです。
これではノンアサーティブ、相手の言った内容もよくわからないままですし、自分の言ったことも相手には伝わりません。
時には自分が何を考えているのか分からないようにするために、伝わらないような話し方もします。
さらに、自分を知られないように分かったような顔をしてしまう点や、問題がないような態度をとります。
自分に誠実であれば。いまさら聞けないことなんてないのですが他者に相談したり、質問しない、助けを求めたりしません。
こういうノンサーティブなことをしていると、 他者の事情が分からないままなので、ますます他者はうまく行ってるような錯覚をします。
完全な自分でないと自分を認めないので、聞くことも、助けを求めることもできなくなっているわけです。
人に聞いても、助けを求めても、「どうせ、うまくいかない」と、思ってしまってやる気が起こらないのです。
自分の誤った考え方に支配されているため、自分で自分を束縛してしまっているのです。
一体何のために、そこまで
自分に厳しいのか、
自分を許さないのか、
自分を受け入れないのか、
自分を罰し続けるのか、
自分を信用しないのか、
客観的に見て無意味です。
確かに、自分が自分を受け入れない人は、周囲が求めるような結果を出せないので、周囲から批判的な言葉を受けることも多いのですが、ありもしない完全にこだわって、やるべきことをしないために、批判されているにすぎません。
つまりやれることをやらないために批判されているのですが、自分ではやれないから批判されていると思い込んでいます。
その結果だけが、予測した結果や、自分の感情とぴったり合っているために、自分の感覚を疑わないのです。
しかし事実は全く違っています。
アサーティブであること、つまり率直、対等、自己責任であれば完璧主義で無意味さが判ります。