万能感とは、「人間は万能の神ではない」の万能です。
万能感は、アサーティブな自分、アサーティブなコミュニケーションをする上で、邪魔になるだけです。
自分は万能だと意識して生きている人はいないと思います。そんなことを言えば狂人扱いされます。
しかし、信じがたいかも知れませんが、潜在意識では、「思うことはなんでもできる」万能感が働いている人がたくさんいます。特殊な人でなく普通の人のことです。
万能感は幼児期に体験するコントロールと結びついています。
保護なしに生きていけない無力なこどもが安心して生き延びるには、自分が何らかの影響を及ばせることが出来る確信を持つ必要があります。
もし、自分が何をしても変化を起こすこちができないとしたら恐怖です。
万能感は成長の過程で、みんな持ちます。
幼いこどもは自分で生きていけません。保護者のケアが必要です。
こどもたちは、自分が泣きわめくと親が態度を変えてくれる、あるいは親の気にいるようにすれば、親が行動を変えてくれる・・・確信することで安心することができます。
こどもは、自分が「○○○○さえすれば」というゲームを通じて、身の回りの世界を自分の安全、安心な世界に作り変える努力をしています。
主体的に生きることができないこどもにとって、コントロールの必要は「サバイバル」苦肉の策なのです。
コントロールは成長と共に通用しなくなるので、コントロールできないことを知るようになります。
健全な子育てでは、成長と共に、何でも思い通りにならないことを知ります。思い通りになるのは、自分の選択と行動だと気がついていきます。
この段階で自分と保護者を含む他者の間には「境界」があることを知ります。
万能感との訣別は、成長に欠かせない大きな節目なのです。
万能感は弱まり消えていきますが、なかなか消えないこどもがいます。
不安感が強く残ったままは、わがままが通用する環境にいると「○○○○さえすれば」というゲームを続けるこどもになります。
たとえば、アルコール依存症の親の元にいるこどもは、こう考えます。
「もし、自分がコントロールをゆるめると、傷つけられるかも知れない」
人を信じるとコントロールを手放し、無防備になる危険があります。
「もし、自分が必要としているものを伝えたら、その人から与えられなくなる」
自分の願望を伝えるよりは、秘密にしておくほうが与えられる可能性は高いと考えます。
あるいは感情をコントロールすることで、感情が高ぶり限度を超えると、感情的な行動になると考えて無理やり抑圧します。
これらの発想の背景には、状況(相手)は自分のあり方で変えられると思い込んでいます。これは非現実的な考え方で、実際には自分が変えられるのは、自分の感情や行動、選択だけです。この段階で、自分と他者の境界が混乱しています。
自分と他者の境界がない状態で、感情のコントロールをしていると、他者の感情の動きや変化は、自分がコントロールしたためだと錯覚が起こります。
実に馬鹿げていると思われるかも知れませんが、境界の混乱とコントロールがひとつになっているため、自分に責任があるように感じてしまうのです。
そこでネガティブな感情を感じた場合には、状況を変えようとして、相手をコントロールしようとします。
この段階で新たな問題が起こっていきます。
コントロールは成功したか、失敗したか、つまり白か黒か、イエスかノーか、あるかないかの判断です。
勝利したのか、負けたのかの、実際には、このような両極端の考えには至りません。勝利したのか、なにもなかったの判断です。つまりすべて得るか、なかったことかの2極化です。
ですから、
●相手に対して「ノー」を言わない
●アドバイスや忠告など、他者の「ノー」が聞けない
●人に助けを求めて「イエス」を求めない
●他者を助ける「イエス」が言えない
というように、ないことにしてしまうのです。万能感とは、すべての上に立つことしかしないことで、万能を維持するという奇妙なトリックとして、成人したいまも持ち続けているのです。
この偽りの万能感を排除しなければ、ライフスキルも身につきません。
しかも実際には、日常的に万能でないことを体験するので、挫折感を味わい、自信を失う原因になっています。
ゲンキポリタンのサカイ式ライフスキル講座「自分を好きになる作法」では、万能感を排除する問題をクリアしています。
一方的に知識を教えるのではなく、受講者と共同で万能感を排除する、そのために1年間を費やします。
たとえば、ビジネスの現場でこんなことがあります。
マネジャーになった人が「マネジャーの言うことを聞かない部下がいることは、マネジャーとして失格だ」と考えます。
「商品が売れないのは、マネジャーとして恥ずかしい」と考えます。
これらは間違った判断で、その背景には、あり得ない万能感が働いています。
マネジャーの言うことを聞かない部下は、部下の資質の問題です。
マネジャーの責任ではありません。
売れないのは「自分」という人間が悪いわけでなく、自分のスキル不足です。
こんなとき「限界」と「境界」を知って、自分のできることをすればいいのです。
部下の資質をアップすればいいこと、自分のスキルを持てばいいのです。
自分にできることは、自分が思っている以上にたくさんあるものです。
特に、自分を否定する人は、自分はダメだと思うばかりで、自分のできることを考え行動しようとしません。 「自分のできることは、やろう」と思うのが責任を引き受ける態度です。
万能感との訣別していたら、自分のできることをしようと思います。
自分にできることを重ねるスタイルは、トライ&エラーを繰り返すことで、やがて、もっとできるようになりたい意欲を育みます。
このエラーをどう判断するか、自分を肯定する力が強いほど意欲的になり、克服することで、自分はやれる「自己効力感」が強くなります。
逆に否定感が強いと、エラーを致命的に受け止めて萎縮してしまい、トライを怖がるようになります。トライしなくなるので、否定感がまとわりついたままになります。
しかし、一方では万能感もまとわりついたままです。この矛盾が自分を苦しめます。
万能感は自分には気持ちのいい感情ですので、万能感を維持することは否定的な感情を軽くします。
しかし、万能感にはトライで獲得した自己効力感と違い根拠がありません。
トライすれば挫折によって打ち砕かれる可能性があるので、身動きできなくなります。
そこでトライしないように、トリッキーな言い訳を重ねて、ますます自分に否定的なります。否定的になるほど無意味な万能感を強固にしようとします。
葛藤は深まります。負の感情を預金しているようなもので、年齢と共に息苦しくなってきます。やがて引き出すときが来て、大きな挫折を味わいます。
挫折は、女性なら、異性問題、家族、子育てで問題が出ることが多く、男性は異性問題、遊興、仕事で表面化します。
健全な社会で、大人が周囲の人を保護者のように扱えば、周囲の人は閉口します。
就職する前、恋愛する前、結婚する前、出産する前、離婚する前、離職する前、知っていたら、人生は変わることがたくさんあります。
実際、WEBサイト「ゲンキポリタン」を閲覧した方から、離職する前に、このサイトを知ってさえいたら、いまこんなことになっていないのに・・・・
あるいは、結婚する前に、このサイトを知ってさえいたら、いまこんなことになっていないのに・・・・離婚しなければ良かった・・・後悔のメッセージをたくさんいただいています。
しかし、一方では、自殺しようと思っていたが、やり直してみたいと思ったとうれしいメールもいただいています。
こういう中から、サカイ式ライフスキル講座「自分を好きになる作法」を受講していただいて、明るく羽ばたく勇気と力を持っていただけたことはうれしいことです。わらにもすがる気持ちの方がいたら、わらになってあげなければと打ち込んでいます。
日本では、他人の迷惑を顧みない無責任さで、無意識だけど、主体的にコミュニティを破壊している人が増えています。
自立することを目的にしていないために、自立できない人が増えている証明と言えます。
もともと境界が曖昧だった社会に、誤った自由の意識が入り込んだために生じた結果といえます。社会全体で子育てに失敗していることが最大の原因といえます。負のスパイラルに巻き込まれず、自分を生かして晴れやかな人をひとりでも多く卒業させたい。
幸福な暮らしのために、 アサーティブなコミュニケーションをめざす、ゲンキポリタンは、「万能感」と向き合い、戦い続けます。
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