■劣等感ってなに?
そもそも劣等感とは、絶対的な比較による違いから感じるものではありません。
自分が思い込んだ理想と、自分の現実の比較にすぎません。
ありもしない自分が勝手に作り出したコンプレックスという妄想に振り回されると、やることなすことが現実的でなくなります。
劣等感(コンプレックス)は、どこから生まれたのでしょうか?
たとえば学校の成績かも知れません。スポーツの結果かも知れません。
親や兄弟、その他、他者(ひと)の言葉かも知れません。
いずれにしても、自分の理想と、自分の現実の比較にすぎません。
ですから、自分が勝手に設けた高い理想へのこだわりを捨て、理想に達しないと自分を認めないというハードルを下げればコンプレックスは自然になくなります。
永年親しんできた慣れの問題がなので、急速になくなることは、困難かもしれませんが、軽減はできまし、 してあげないと自分の成長の邪魔になります。
自分の理想や目標を持つことは、自分を成長させる動機になります。
しかし、劣等感(コンプレックス)のもととなる理想は、それとは事情が違います。
自分がチャレンジする理想は、「こうしたい」と心の底から望み求めるものです。
劣等感(コンプレックス)のもととなっている理想は、「こうでなければならない」という思い込みです。
「こうでなければならない」の根拠は、一体なんでしょうか?
他者の理想ではないのでしょうか?
人間は自分がやりたいことは、それがどんなにハードであっても、夢中になれば夢の中と書くほどですから、我を忘れて打ち込むこともあります。
しかし、他者(ひと)の理想に自分を合わそうとすれば、我を忘れて打ち込むどころか、我が気になって仕方ない。
それでは、常に「できない」「できていない」「なってない」と思わざるを得ません。
高いハードルを設定していても、自分が本気でハードルを越えようともしていないのですから、そんなものはなくても何の不都合もありません。
むしろ、よくも悪くも、ありのままの現実を受け入れることの方が大切で、使うこともない荷物を背負って生きているような態度は無意味です。
現実を受け入れることが、もっとも自分を高く評価できる態度なんだとするのがいいのではないでしょうか?
自分は何があっても対応ができる力があると信じる態度こそが自分も他者(ひと)も受け入れることができる態度なのです。
人間にとって気持ちの良い交流に欠かせない態度であり、いわゆる楽観論者が身につけている態度です。
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