自分を受け入れたら、
自分を率直に表現できるようになります。
自信のある人は、自分を弱者とは考えません。
ですから自分の意見を伝えることにあまり躊躇しません。
意見が違っても人格を否定するわけでも、されるわけでもないので、意見はあくまで意見にすぎないと思っているからです。
しかし自信がない、つまり自己受容ができないと、意見を否定されたら、自分が否定されたと思いがちになります。
自分がそうだと、他者(ひと)に意見をいうことも躊躇しがちです。
アサーション(assertion)
アサーティブ(assertive)
アサーティブネス(assertiveness)は、
自己を受け入れて、自分を尊重することです。
同時に他者(ひと)を受け入れて、尊重することです。
平等な人間関係は平等なものだと考え受け入れ、他者(ひと)も、自分同様に受け入れることができると、自分の感情を率直に表現し、他者の感情も自然な形で受け入れ、互いの権利を侵害することなしに、自分の権利を行使できるようになれたら気持ちいいですね。
アサーション、アサーティブ、アサーティブネスの考え方は1960年代にアメリカで起った公民権運動と密接に関係しています。
公民権運動とは、アメリカに於ける黒人差別に対する運動でした。
■アサーティブの歴史
アメリカ 1896年。当時、白人の乗っているバスに黒人は乗れないようになっていました。
白人と黒人はいろんな場所、住む場所、電車やバスなど交通期間、レストラン、トイレなどで明確に区別されていたのです。
アメリカ最高裁が下した「分離すれども平等」という考え方は、人種差別待遇は憲法に違反しないという判決でした。
「分離すれども平等」とは、白人と黒人を分離して暮らす体裁をとっても、せ別していることにあたらないという解釈です。もちろんまやかしです。
この判決によって白人と黒人が同じバスに乗ったり、学校へ行ったり、レストランで食事したりすることができなかったのです。
1954年には「ブラウン裁判」が行われました。
「ブラウン裁判」とはカンザス州に住む黒人ブラウンは自分の娘を近所の小学校に入れたいと願ったが、白人学校という理由で拒否されたことで、教育委員会を相手どって起こした裁判です。
実際には黒人組織NAACPが白人社会に叩き付けた闘争といえるこの裁判は、最高裁に持ち込まれます。
全米が固唾を飲んで注目した判決の行方は、事実上まやかしであった「分離すれども平等」の判決を覆すという歴史的な結果となります。
しかしこの判決に不満をもつ白人感情は激しい闘争にエスカレートします。
KKKの黒人リンチ事件が相次いで発生するようになり、陽気なアメリカ人の暗い影の部分が浮き彫りになります。
1955 年12月、後に公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスという女性が、アラバマ州モントゴメリーの市バス内で席を移るよう求めた白人男性に敢然と拒否、バス運転手の通報で駆け付けた警官に逮捕され、収監されました。
「もう我慢しない」と決めたローザ・パークスの 事件をきっかけに、当時ほとんど無名だった故キング牧師を中心にして長期間の抗議行動に発展します。
翌58年には、米連邦最高裁が差別は憲法違反とする判断を下しました。
この判決によって一層、白人社会への黒人の対抗が強くなります。
一方、1954年。大衆文化の世界で異変が起こります。黒人音楽であるゴスペルやリズム&ブルースをベースにした白人によるロックンロールが誕生、差別は憲法違反とした1958年には若者を熱狂させました。
その原動力になったのがエルヴィス・プレスリーの登場でした。
白人でありながら黒人のように歌う彼のパフォーマンスは文化を変えるに十分な威力があり、また当時男尊女卑の傾向があり、抑圧されていた女性を解放する動きになりました。
ヒットチャートはエルヴィス・プレスリーの音楽が独占。所属するレコード会社は自社工場では生産をまかなえず他社の工場を借りなければならないほど売れたのです。
その一方で、エルヴィス・プレスリー が歌ったクリスマスレコードをオンエアしたDJが解雇されたり、レコードが焼き尽くされたり、コンサート会場の貸し出し禁止などが相次いで起りました。
しかし既成の価値観がどう拒もうが、世の中は、若者がエルヴィスを求めたように、従来の価値観から変わりはじめていました。
そして、1963年8月28日、ワシントンでは、マーティン・ルーサー・キング牧師が、「私には夢がある」と訴え、全米の黒人の心をひとつに束ね、20万人のデモ行進を展開します。
その公民権運動での抗議は、大きなうねりとなり黒人暴動という形で全米に広がっていきました。
米ソ冷戦、ベトナム、国内外に問題を抱えたまま、3ヶ月後にフロンティアスピリットを訴えたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件が発生します。さらにキング牧師も暗殺されます。
さらに2年後の65年にハーレムでマルコムX暗殺、その4年後、今度は北アイルランドで公民権運動が起こります。人は平等であるとする精神は全世界に広がっていったのです。
人は誰でも自分らしく生きる権利があるとするアサーティブの考えと行動は、黒人差別に対抗したこの公民権運動にはじまり、やがて女性差別に対抗した1970年代の女性解放運動に引き継がれました。
黒人も白人と同じ権利を持っていいのではないかという主張は、白人を否定するものではなく、互いを肯定的に受け入れる主張です。男女平等も同じです。
黒人あるいは女性が白人や男性より劣っていると決めつけ、能力の値引きを行い、不安にさせ、依存させる仕組み。
お前は自立できないというメッセージとさせないルール=つまり搾取の仕組みを拒否するのは、ある意味、とっても勇気のいることです。
人は誰でも、 誰かに強要されたり、抑圧されることなく、自分を認め、同時に周りの人も認め、自分の考えや 感じ方を率直に表現することが許されています。自分の将来、ライフスタイル、スケジュール、人間関係を自分自身で決定する能力を持つようにするがアサーティブです。
アサーティブの技術を暮らしのどんどん使って行こうとするのが、ゲンキポリタンの提案です。
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