■不安が大嫌い
ディズニーランドは、入園料を支払いゲートを抜ければ別世界。
一気に楽しい世界へ誘ってくれます。
ただ、 楽しくなれるのも、すぐですが、楽しさから醒めるのも、早いようです。
コツコツと積み重ねていくことは大変ですが、その代わり一生モノになるものも多いようです。
でも、コツコツは孤独です。
頑張っている間も、こんなことでうまくいくのだろうかと不安になってきます。
「こんなことしても・・・・」と、先のことが心配になります。
不安が強くなると、止めてしまいたくなる衝動にかられます。
それを乗り越えコツコツを続けるうちに、自信が内からわきあがってくることも少なくありません。
ジムで頑張っている女性が、体型が変化して美しく見えることもありますが、毎日、頑張り抜いている自分への信頼感で、内面から美しくなっていく姿は、それ以上の美しさです。
人間は感情的であるけど、世の中は合理的な仕組みになっています。
原理から見いだした原則でル−ル化されているからです。
原理はもともとあったものを後から人間が発見したことです。原則は人間が考えたこうしたらいいルールです。
思うような結果を得るにはコツコツとやるしかない仕組みになっています。
でも、時間がかかることは、自分の資源を投資することに他なりませんから、すごいリスクです。
時間は使うと、二度使えません。リサイクル不可能なので、場合によっては取り返しのつかないことになります。挫折感も大きくなります。
ですから、コツコツは不安です。
必ずうまくいくという保証がないと、バカバカしくもなります。
それよりすぐに楽しくなることに手を出したくなります。それが落とし穴ですよね。
悪い結果を想像してやめる。
悪い結果を想像して動けないようでは、楽しくはならないので、そうならないようにしていきましょう。
コツコツという状態は、成功へ向かってグレーゾーンをひとり旅するようなものです。
決して成功か失敗を白か黒かの2者択一で考えられる状態ではありません。
部分的な成功には価値を認めずに、成功か失敗を白か黒かの2者択一で考えてしまうとコツコツは続けられません。
非現実的に自分を厳しく見ている限り、
自分の自尊心は高まることはありません。
ですから難しいことは最初から挑戦したくなくなるのです。
良い自分か?悪い自分か?
そのどちらかしかないような白黒思考の選択は現実的ではありません。
私たちは、とかくありえない完全を求めてしまうことがあります。
しかし完全な人間って見たことありますか?
たとえば人気女優にしても、完全な女性でしょうか?
外見だけで見ても完全な女性っていません。男性も同じです。
完全な会社ってあるでしょうか?完全な店ってあるでしょうか?
そんなものはどこにもありません。
あるのは、少しでもよくするために毎日コツコツとやっている会社や店や人がいるだけです。
コツコツの音のなかに自分の魂のリズムが聴こえる毎日を楽しみませんか?
■意外に完璧主義で生じる問題点
この完全を求める習性は、どんなところでどんな現象を起しているでしょうか?
完全を求めると、行動をするより先に結末を知りたくなります。
誰でも結末は気になるものですが、望む結末にたどり着くように行動によって調整していきます。
ところが、あまりにも、結末が気になりすぎると、結末をみてから決めるという行動の仕方が定着してしまうようになります。
つまりうまくいきそうにないなら、最初から努力をしないというやり方が習慣になるのです。
こうなると、行動が起せなくなります。
だれでも先のことが不安ですが、起ってもいない先のことばかり心配しても仕方がありません。
結果をみてから決めるという態度は、人間関係にも表れます。
相手の態度や感情を見て自分の態度を決めるようになるのです。
つまり、主体性を失うということです。
主体性を持たない側は弱者になるしかないので、この関係は公平性を欠くようになり、人間関係の点で、かならず被害者意識を持つようになります。
被害者意識からは不満、不平、怒り、憎しみなど楽しくない感情が、どんどん作られます。
あるいは楽しくない感情が内向すると無気力になります。
相手の態度や感情を見て自分の態度を決めるというやり方は、思い込みで決めるということに他なりません。
●相手の感情をみて、自分の態度を決める.
●相手の感情を予測して、自分の態度を決める
●自分の感情を予測して自分の態度を決める
●悪い想像をして、自分の態度を決める
そんなことをしていると何かにつけ自分の思い込みが強くなり、相手の態度や感情は現実でないものを、勝手に現実と受け止めるようになります。
自分の意見や要望を出す前に、自己完結的に判断するからです。
当然、誤解や食い違いが起こりやすくなり、なにかにつけ信頼できなくなり、人間関係に亀裂が生じやすくなります。
どうしてそんなことになるかというと、相手から放たれる感情的な態度、また自分の感情を自他ともに見られることが嫌いだからです。
特に感情の表出には敏感です。感情に敏感になっているのは、感情の表現と、感情的な行動が、まったく別のものだということを理解いていないことが挙げられます。
感情の表現=感情的な行動と思い込みのために、話をしても相手の話の内容ではなく、相手の態度にあわせて自分を表現しているだけなので、コミュニケーションになっていない場合が多くあります。
相手の感情に自分を合わせて、その場に適切と思ったことを表現しているだけなのです。
これでは相手の言った内容もよくわからないままですし、自分の言ったことも相手には伝わりません。
時には自分が何を考えているのか分からないようにするために、伝わらないような話し方もします。
さらに、自分を知られないように分かったような顔をしてしまう点や、問題がないような態度をとります。
いまさら聞けないことなんてないのですが他者に相談したり、質問しない、助けを求めたりしません。
おかげで他者の事情が分からないままなので、ますます他者はうまく行っているような錯覚をします。
完全な自分でないと自分を認めないので、聞くことも、助けを求めることもできなくなっているわけです。
人に聞いても、助けを求めても、「どうせ、うまくいかない」と、思ってしまってやる気が起こらないのです。
自分の誤った考え方に支配されているため、自分で自分を束縛してしまっているのです。
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