親しくなるほど、うまくつきあえないという問題を説明する前に「親しさ」につ いて整理しておきましょう。
親しさとは、親しい相手との関係で、自分は誰で、どんな人間なのかを、ありのままに伝え、同時にありのままの相手を受け入れることです。つまり親しさの前提としてありのままになれる能力が必要だということです。ありのままの自分自身に
なれればなれるほど、ますます親密な関係が築けます。
「ありのままの自分」とは、分かっているようでわかりにくい表現です。その定 義は人によって違いますが、ありのままの自分とは、自分の意識を意識できないと自分で「ありのままの自分」を感じることは困難です。
なぜなら、親しい人と出会ったときに、相手が「こんにちは、調子はいかがです
か?」と挨拶したときに、テキトーに「元気ですよ」というようでは、親しい関係を築いていくことは困難だからです。
「元気ですよ」ではなく、自分がどんなふうに元気なのかを具体的に伝えること で、親しさは増していくからです。屈託なく気軽に自由に、自分をさらけ出すように、話せばいいのです。しかし、さらけ出すには自分のことを知っておく必要があります。さらけ出すとは、アサーション権を使うことに他なりません。つまり誰にでも与えられている人権を尊重するということです。
話したくないことについては、「それに触れたくないのです」と答えれば良いの です。つまり、どこまでさらけだすのかは自分がコントロールすればいいのです。
人には、親しい関係にあると、心の底まで話そうとする傾向があります。さらけ 出しても大丈夫だと思うからです。しかし、このことが「親しくなるほど、どうつきあえばいいのか解らない」状態に陥る原因なのです。
親しいとは、価値感、思考、さらに感情まで分かち合おうとすることなので、親 しくなるほど、不安になり逃げ出そうとする傾向があるのです。この不安が親しくなるほどどうつきあえばいいのか解らないということなのです。
不安の背景にある危機とは、どのような危機でしょうか?親しさは、自分をさらけだすことですから、コントロールが必要です。関係にもよりますが、無防備にさらけだすことは親子であってもできないものです。
子供の頃あまりにも親密過ぎるとかえ,って安全でなかった経験をしていると親 密さは恐怖になります。
安心して無防備に甘れると、バカにされ、嘲笑されることもあります。甘えたい心理とは逆に能力不足を問われたという痛い経験をしていると、親しいほど危険な状態というアンビバレンツな状況を経験してきた人にとって、アサーティブな親しさを築くことは、とても厄介
な関係になるのも無理がないのです。自分を責めないでください。
ある女性は男性に恋をして交際を始めた途端に、自分のことをさらけ出したので 、男性はあまりの牲急さに身をひいてしまいました。次に別の男性と交際を始めると、今度は一転して、一切自分のことを話さなくなり、男性は自分が信用されてい
ないと感じて身をひいてしまったのです。
この種の人には、共通した価値観があります。「大丈夫か、大丈夫でないか」は、「 白か黒か」、「イエスかノーか」が、無意識に習慣化し、「すべてか無か」の極端な価値
観の土台になっているのです。さらに、この価値観は、現実離れしたコントロールへの執着につながっています。コントロールそのものが悪いわけではありません。
しかし、自分の思い通りにならないこと、イコール危機と感じてしまい、不安を解消しようとして、安全を求めるあまり、自分が優位に立つために相手をコントロールするのは反則です。コントロールで思い通りに動かそうとするのは、互いにさらけ出したいという自然な欲求を破壊してしまうことに他なりません。親しさから愛情や、励ましが抜け落ちて、代わりに憎しみ、怒りが柱になります。こうなると関係性は歪んでしまいます。
この状況から抜け出すのは、自分に気づくことが役立ちます。かって生きる上で無力だった子供時代には、親や親しい人に依存するしかありませんが、成人した現在の自分は、自立できる力があるという事実です。
子供時代と成人した現在では、決定的な違いがあります。現在の成人した自分は、自分と他人との間の親密さをもっと深めてよいかどうか自分で選ぶことができる点です。もっと親密さを増してもよいとするなら、進めればいいのです。そのとき、「すべてか無かの傾向」と「コントロールの必要と放棄」を注意深く観察する必要があります。
ところが、過去の体験に固執する余り、実際には自立できるにもかかわらず、あるいは自立しているにもかかわらず、自立できないと思い込んでいる人が少なくありません。そこで自ら失敗することで「自分はダメだ」という事実を作って、自ら自立を妨害している人がいます。実際の自分を客観的に観察して、過去の呪縛から解き放つ訓練をするようにすれば状況は変わっていきます。
親しさは、他の成功と同じように「すべてか無か」の現象で処理できません。親密さは一度では深まらないからです。親密さは一歩ずつの歩みよりで実現されます。お互いが、コントロールをゆるめたり、強めたりするなかで、小さな歩みを重ねて
いきます。
コントロールを放棄することも、逆に固執することもないのです。むしろ、コントロールについても、話し合い妥協する方法を発見していくのです。コントロール、それ自体は決して悪いものではないのです。ときには、Aという
人がコントロールされていることが関係上、都合がいい場合があります。ある時には、Bという人がコントロールされているほうが時もあります。さらに別の場合には、両方がコントロールされていないほうがいいときもあります。
コントロールを柔軟に使っていい理由は、親密さが「信頼」と密接に関連してい るからです。にも関わらずコントロールについての考え方が硬直してしまうのは、人間関係で最も重要な「信頼」が欠如しているからです。
少し信頼して関係を進めたら、しばらく様子を観察して、次にどうなるを見極める。それを繰り返して、「信頼」を確かめながら少しずつ
親密な気持を分かち合うように進めていくようにします。その時の状態が気分良く感じるのであれば、さ らにもう少し分かち合うように進めたらいいということです。逆の場合は少し引く
ようにすればいい。
これは目標達成のプロセスの酷似していますが、人間緩解は繊細な分だけ、注意を払い、傾聴し、観察するようにします。
自分が相手になにをどう感じるかを見極める様にします。やり過ぎても、やり過ぎということはありませんが、自分への信頼感とつながっています。その意味で、自分への信頼感を高める努力も忘れないようにしたいものです。
信頼が充分であった場合にも、親密になると傷つくことを避けることはできませんが、それでも、このようにしていくと、あまりにも急激に多くを一度に分かち合って、無防備になり、過剰にさらけ出して傷つくことを防止できるので、傷つきやすい傾向を大幅に減らすことはできます。すべてか無かという極端な価値観に頼らなくても済みます。生活場面での危機を防止できるだけでなく、他者を理解する能力を深めていくことができます。
ある女性は、ずっと好きだった人が、自分に関心をよせてくれると、非言語的なメッセージで気持ちを伝えることに熱心になり、それをキャッチしてもらうと、男性の前から姿を消しました。受け入れられるほど不安が増し、恋の成就で行き場を失った気になり、苦しさから逃げ出さずにいられなくなったのです。ショックを受けたのは男性です。なにが起こったのか、見当もつかず心の整理ができないまま戸惑い続けたのです。
本来なら喜びの場面で不安を感じる人は、こんな場合、本当のことを率直に伝え ればいいのです。「私はあなたがとても好きだけれど、なぜかあなたに会うのが恐いのです。理由は判りませんが、本当のところ、愛されるほど恐くなるのです。」
それから、その人がどうするかよく観察してみるといいのです。そして、伝え た後に自分自身がどのように感じるかをよく考えるといいのです。
このようにすれば、次の決定をする上で、必要な情報やデータが前よりも多くなり、それを土台に進んでいけます。
親しくなるほど、うまくつきあえない背景にある失いたくない、バカにされたくない、だから親密になるにつれて生じてくる感情が不安dであり、恐怖であっても無理はありません。しかし、そのような感情を体験し、それとつきあいながら、自分のぺースで進むようにしてもおかしくはないし、それでいいのです。逃げずに率直にぶつかっていく、当って砕けるつもりで当れば、砕けない自分に知り合えるはずです。
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