なぜか夏の日の美しい緑を思わせる曲があります。
<恋にいのちを>がソレ。
時は過ぎ、少しばかりだけれど、秋の匂いが漂うと、エルヴィスのカントリーが大挙して響いてきます。
やがて、その中から、一の矢・・・さらに、二の矢、三の矢と突き刺さり、私は死にます。ウソです(笑)
「やられた」に息をふきかけるエルヴィス、アメリカの声、秋空に向かって、気持ちよく飛んでいきそうになります。
ふるさともないのに「望郷」三昧。
黒人音楽を手元に引き寄せて、白人音楽と融合させた・・・1954年の<ブルームーン・オブ・ケンタッキー>を聴けば、そういうしかないでしょう。
あまりにも原曲を自分スタイルにアレンジしすぎたエルヴィスが、<ブルームーン・オブ・ケンタッキー>の作曲兼パッフォーマーだったビル・モンローに謝罪したのは有名な話。
確かにエルヴィス・バージョンでは、月も忙しくスウィング、月見気分とは行きません。ロックンロール誕生の瞬間でした、
しかし、エルヴィスは白人。幼いときから聴き込んだ白人音楽カントリー・ミュージックのおたまじゃくしは血液のように体内を駆け巡っています。
70年代には熟成バーボンのように、独特のエルヴィス・カントリーに深みが増します。
私、個人的には、ヨーロッパ圏の人以外がパフォーマンスするヨーロッパ的なものが苦手です。
<ローマの心>とかタイトルだけで引いてしまいますが、その点、カントリーは、ど真ん中のアメリカ。
70年代エルヴィスのアルバムとしては、文句無しに受け入れることができた最初のアルバムが<エルヴィス・カントリー>でした。
エディ・アーノルドの1954年の傑作<知りたくないの>も、そのひとつ。歌詞が命のカントリーに、あのメロディー、魂をこんがり焼いた、秋のおすすめです。
日本では、なかにし礼の詞 菅原洋一の歌で有名な<知りたくないの>は、両者が、それぞれの立場から自尊心を激突させて、一触即発の状態に陥ったとか。それほどまでに、心をとらえて動かす魅力は「人の本心」に届くからでしょうか。
エルヴィスはオリジナルの歌詞に引き裂かれたアンビヴァレンスな情念<両価感情>をぶつけます。
まず、いきなりOh,howにやられます。
ワンコーラス目はしっとりと、されど、キスする姿を想像すると狂おしさが、歌詞にないYESが切なく、ラストコーラス、No Wonder year
no wonderでは、心に落ちる大粒の涙が・・・
うなだれて、立ち上がる男の背中を女はどう見るのでしょうか。
泣き叫んでも、苦しんでも、すんでしまったこと・・・そこになにがあっても、どう解釈するかは、自分の選択・・・選択こそ自由です。
自由を得るための”イエス”に、<個の発見>ロックンロール文化が脈打っています。大いなる良心のもとにこそ、大いなる自由、”エルヴィス・カントリー”です。
エルヴィス・プレスリーをカントリー・ミュージシャンと考えるアメリカ人に出
会ったことはありませんが、それでもエルヴィスは1966年、エディ・アーノルドと
共に、カントリー・ホール・オブ・フェームに殿堂入りしています。
尚、エルヴィスは、<知りたくないの>以外にも、エディ・アーノルドの曲から<Make
The World Go Away> <How’s The World Treating You.><I’ll Hold You
In My Heart ><Just Call Me Lonesome ><It’s Over ><It’s A Sin >などカヴァーしています。
いずれも絶品ぞろい。あなたは、どれがお好きですか?
余談ですが、<知りたくないの>が好きな方に、是非、観ていただきたい映画があります。
晩年のジョン・フォード監督が、アメリカの国旗ジョン・ウェイン、アメリカの良心ジェームズ・スチュワート。アメリカの二枚看板を揃えて、地味に撮った幻の名作「リバティ・バランスを射った男」・・・・・サボテンの花に秘めた女心が泣かせませす。
棺おけの中で成就する恋もあれば、棺おけまで持っていく恋もある。
私には、アメリカの天使エルヴィスのイエスが重なります。これで泣かなきゃ女じゃない!
参考 サボテンの花というジェンダー論的両義性
グレイスランド(メンフィス、テネシー州)のエルヴィス・ウィーク1999