カート・ラッセル、ケビン・コスナーらがエルヴィス・ファッションで大暴れするオールスター・ムービー『3000MILES TO GRACELAND』のタイトルに胸騒ぎ。いまやグレイスランドはミッキーマウスのディズニーランドかエルヴィスのグレイスランドかというくらいにアメリカのシンボリックな存在。
グレイスランドっていう名前から想像するともうやたら大きい城みたいな家って思う人もいるかも知れないが、実際はそうじゃない。どちらかというとこじんまりしている。門からクルマで10分位走らないと玄関まで行けないというような話もよくあったように記憶するけれど、そんなこともない。確かに庭は広いけれど。お家そのものは、貧乏人の勝手な思い込みかもしれないが、世界中をとりこにした不世出の大スターの家を想像するとむしろ意外な感じがする。
よく考えてみると貴族のお城なんかも世界のアチラコチラにあったりして観光コースになっていたりするけどそれだって思うほど大きなものではない。(自分が知らないだけかもしれないけれど)
だって家来がたくさんいるっていうなら別だけど、人が暮らすのにそんなに大きなものなんて必要がないですよね。
リサ・マリーって愛する娘の名前をつけた飛行機にしたって、「エルヴィス・プレスリー通り」のロードサイドでバ〜ンって目に飛び込んでくるけど、「どうだ、スターだぜ」って感じが全くない。こちらが拍子抜けするくらいに謙虚です。それってやっぱり「人」じゃないですかね。
グレイスランドに行ってない人には悪いけれど、やっぱり行くとエルヴィス感が変わるように思う。どう変わるかっていうと、この人の誠実さと素朴さみたいなものがビシバシ響いてきてしまう。もちろん事前にみんな知ってることなんだけど。実感としてこちらの深いところに入っくる。
思い過ごしって言う人もいるかも知れないけれど、グレイスランドってダウンタウンやビール・ストリートからも遠いし、空港からも遠い。決していい立地と思えない。そこにずっと住み続けたというだけで、エルヴィスって人がどのような人だったか分かりそうな気がしませんか?
21才の時に買った中古の家ですよ。部屋だって趣味が悪いンじゃないの、って思うほどケバかったりするんだけど、バンバンの金使いまくりって感じじゃなく、それはもう「ジャングルルーム」に象徴されるように、白人系のハッタリのゴージャスさって感じで、これがあの世紀の大スターの家?って思う程つつましいです。「ジャングルルーム」で録音したアルバムも正規にリリースして、スタジオなみの広さと設備と思いがちだけど、ホント子供の遊び場って感じの部屋。
このクラスのスターならプリシラと結婚した時に新居をどこかにバ〜ンと構えてしまったって全然おかしくないし、あるいは離婚して傷ついて、思い出が残る家に住まなくてもよさそうなもの。
母グラディスへの贈りものだったということがあったにしても、そこで終生大事に暮らしたなんてーーー。泣けてきますぜ。まったく。
キャリアやルックスのあまりの華やかさでツイツイ「極彩色眼鏡」でみてしまいますが、ホント、物欲ってほとんどなく、ただ素朴に歌が好きで、それをそのまま生きたってところに実直な職人さんのような風情を感じるんですよね。
ビーチ・ボーイズが『ペット・サウンド』で歴史に名を残しました。ビートルズは『リボルバー』以降の活動が決定的になりました。思うにエルヴィスは反対ですよね、最初に思いきり先に行ってしまった。誰も行ったところにないところへ飛んで行き、みんなをぐいぐい引っ張っていった。当時ハイスクールに通っていたボブ・ディラン、ジョン・レノン、ポール・マッカトニー、それにジミ・ヘンドリックス、ジム・モリスン、ブルース・スプリングスティーン、フィル・スペクターらが熱狂した。
「みんな、起きろよ」ってやったんですよね。起こされたみんなは「なんだい、コレは、どうなってんの?エッ、凄いんじゃないの」って感じだったんでしょうね。
もう一度は必ず行きたいですね。そこで何することなく静かに過ごしたいですね。
深夜に門の前で、また放心状態になってクルマにハジキ飛ばされそうになるかもしれないけれどーーー「ピエロ、グレイスランドの朝に死す」なんてどうです、少しはカッコいいではありませんか?なんて空想で楽しんでいます。
僅かな街灯の灯りと月灯りの下。あの音符の門扉の前で、深夜にもじっと佇んでいる人がいるんですよね。イタリア人とか、世界各地から来た人たちが何を考えて佇んでいるのでしょうかね。閉ざされた門の前でナニもないのに。自分の場合も、ただその場から離れられなくて、ただそこに居たかった。それだけの理由でした。グレイスランドは不思議な場所です。
(サンレコードの再販ものシングル)
ブルー・ムーン、
一人で立っていた僕を見ていたね
心に夢もなく
愛する人もなく
ブルー・ムーン
僕があそこにいた訳を知っていたね
祈りを捧げるのを聞いていたね
心から愛せる誰かのために
愛する人さえいないのに
ブルー・ムーン、
一人で立っていた僕を見ていたね
心に夢もなく
愛する人もなく
愛する人さえいないのに
ブルー・ムーン
愛する人さえいないのに
愛する人さえいないのに
いま「ポコポコーーーー」と馬のひずめのようなサウンドとエコーの効いた声が哀愁の<ブルー・ムーン>が聴こえてきます。丁度映画第1作『ラブ・ミー・テンダー』撮影開始の1年前の1955年8月19日にメンフィスのサン・スタジオで時間をかけて何度も録音し直した労作とのこと。4テイクとも言われているが定かでないようです。この曲はポコポコの音が話題になりますが、サム・フィリップスは自分のイメージを言葉に表現することもできないまま、エルヴィスの出来栄に納得いかなかったそうです。エルヴィスを挫けさせたくなかったので不満を告げなかったそうです。
決して出来栄が悪いとは思えないけれど、サムにもエルヴィスにも形にならないナニかがあったのでしょうね。うまく表現はできなかったけれど二人とも多分同じものだったのでしょう。
サム・フィリップスの秘書マリオン・キースカーはサンでのセッションについて「どのレコードも汗まみれで作られました。」とコメントしている。ジョン.レノンが「エルヴィス以前にはナニもなかった」とコメントしたように、サム・フィリップスにもエルヴィスにも未知への挑戦だったのだから当然だったのでしょう。
エルヴィスは時折、しかし数多く、無意識に本能的に露出し、そこにサムは自分では漠然としすぎて表現できなかったものを形として知る。そのくり返しだったのでしょうね。それはサムにとっては驚愕の連続だったのだはないかと察します。岩の間からダイヤモンドの輝きを見つける、しかも何度も、何度も見つけることができる。そんな作業だったのでしょうね。
ブルームーンはそんなゴールドラッシュに突入していった男たちが、静かな夜にギターを弾きながら休憩しているような雰囲気の歌です。うまくなりたいと熱望する若い職人さんのようなエルヴィスの少し切な気な声が可愛いです。
Blue Moon,
you saw me standing alone
Without a dream in my heart
Without a lose of my own
Blue Moon,
you knew just what I was there for
You heard me saying a prayer for
Someone I really could care for
Without a love of my own
Repeat
Without a love of my own
Blue Moon
Without a love of my own
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