C'mon Everybody
好きだよ、ベイビー
エルヴィス・プレスリー60年代中期の代表的傑作<ラスベガス万才>はおなじみのナンバーだが、同名映画のサントラは良質な楽曲に溢れている。中でも<C'mon Everybody/好きだよ、ベイビー>はネバダ大学の体育館で繰り広げれるダンスシーンに使用された。エルヴィス映画屈指の迫力あるシーンにはブッ飛ぶ!
アン=マーグレットのダンス・シーンが終わり、ドラムのビートがただならぬ予感を刻む。
まずやんわりと「さあ、みんな指をならそうぜ」と始める。静寂の中で指の音が正確に弾ける。次に「さあ、みんな手を叩こう」とビートの世界に突進する。画面の中、全員一斉に手があがり合図のように叩く。祭典だ。火の玉の祭典だ。
「さあ、深呼吸しょうぜ」そうだ、思いきり息を吸い込もう、もっと先に遠くに進むために。春の風が吹いている。カメラは一気にエルヴィスだけをキャッチし、さらに最高のアングルで、エルヴィスとアンだけをフレームの中にとらえる。アンの顔に近付いて「好きだよ、ベイビー」と歌うこの瞬間にシャンペンの栓が抜かれたように何かが弾ける。映画を観て、音楽を聴いて、いまだかってなかった体験。何を感じたのか分からない。バッド・ティストとグッド・ティストが激突し、スクリーンの奥に生じた地割れのような隙間から弾けて来た、多分それは『火の玉』だったのだ。
エルヴィスはさらに進む。指をならしながら画面右からステージ中央へ進んで行く。この時のエルヴィスの表情がカッコいいのだ。開放感。俳優からザ・キング・オブ・ロックンロールへの色鮮やかなグラデーション。自らのアイデンティティに向かって進んでいるのだ。誰も邪魔できない。どんな評論家も誰一人としてエルヴィスを超えることは出来ない。もっともエルヴィスはそんなことを気にもしていない。自分の力を信じたままに躍動感と共に移動しているだけだ。
「さあ、みんな口笛を吹こう」すかさず歌詞をハモってやり過ごす。歌とエルヴィスとスクリーンの中の空気が一体となって乾いた風がスピーディに押し寄せてくる。完璧にひとつだ。こんな風は絶対に日本では吹かない。この映画の別の場面、プールで繰り広げられる<THE LADY LOVES ME>ではエルヴィスをかじっていたアン=マーグレットはもはや脇役でしかなく、サーフィンを踊る。
エルヴィスは先に進んでいる。「カモ〜ン!脚を踏みならそうぜ」地球の奥まで悦びが届かんばかりの勢いで踏みならす。アメリカ合衆国の脚だ。「HI,HI,HI」血が踊るとはこのことだ。さらにエルヴィスの脚の動きがあの56年ライブを彷佛させる。エルヴィス映画屈指のカメラアングルで真っ赤な火の玉となった生命力を追う。
「みんな、深呼吸をしょう!」アン=マーグレットの後ろ姿が躍動している斜め上前方でエルヴィスが内からこみあげる激しさを軽く身をこなしながら、指をならし、腰を動かし、脚を自在に動かしている。生命力が形になって躍動している。美しい光景だ。
「ベートベン、バッハ、ブラームスもロング・ヘアだったぜ」エルヴィスはエルヴィスであることを世界に示しているのだ。 この瞬間、『 ELVIS ON STAGE』よりももっと率直に、エルヴィス・プレスリーが何だったのか、なぜロックンロールがこんなに愛されるのかをリアルに示している。
「オレは生まれながらにしてロッカーさ」ーーーー。
ジェームス・ディーンがそのまなざしで歴史をモノにしたのなら、エルヴィス・プレスリーは動きで歴史をモノにした。
この映画はゴールデン・ウィークにロードショー公開され、満員札止になった。ボクにとって映画館は魔法の洞窟になった。乾いた風が体育館から吹き続けていた。
CDにはエンディングの全身を震わせ歌うブルースな部分がないのが惜しまれる。コンニチ、劇場でこの作品を目にするのはムリでも、せめてビデオで「観戦」しない限りこの<C'mon Everybody/好きだよ、ベイビー>の本当の良さは分からない。エルヴィスとアンのコンビネーションの素晴らしさを正しく鑑賞するためには、トリミングされていないワイド画面バージョンで観るのがいい。DVDがワイドスクリーンであることを祈りたい。
ゲストのコメント BBS「エルヴィス・ロックな書き場」からピックアップ
BEAR CAT サン
“好きだよベイビー”がとり上げられたところで、書こうと思い浮かんだのはのは、やはり友人のことだ。昔からの親しい、同級生のエルヴィス仲間で、わたしのつけたハンドルネームはマッコイ君だ(ただし彼は筆不精で、書きこみなどしたこともなく、一度もこの名を使っていない)。じつに気分のいいさっぱりした男で、エルヴィスのファンだが、こう言ってはなんだが、彼にはエルヴィスの繊細な部分は理解できていないと確信する。彼はよく「おれはプレスリーのファンというよりも、ロカビリーのファンだな」などと言っていた。
この男には、エルヴィスの切々としたバラードなどはわからぬと、わたしは思っている。ただ、ロカビリーというか、ロックンロール的なものは、本能的に?鋭く把握する力があった。長い付き合いの中でいろいろなユニークなことを言っていたが(たとえば『フランキーアンドジョニー』では“今宵はショウボートで”が最高にイイだとか)、しかし後になっていちばん感心させられたのは、かの『68カムバックスペシャル』アルバム(発売当初のLPタイトルは『プレスリー・オン・ステージ』)が出た時だ。わたしなどは“監獄ロック”、“ハートブレイクホテル”、“アールシュックアップ”など、エルヴィスのゴールデンヒットの再出現に、目がくらむというか、耳がくらむというか、往年の大ヒット曲に圧倒されつつ、このレコードを聴いていた。
ところが、マッコイ君はその時も、天才的片鱗を見せた。彼はなんと言ったかというと、「あのLPの中では、あのちょっと短い、“ベイビー・ワット・ドー・ユー・ウォント・ミー・トゥー・ドゥー”とかいうのがいいね!」と言ったのだ!!今でこそこの曲は有名であり、エルヴィス自身によるこの曲のいろいろな録音も出ているが(そのころは、それがあるのも知らなかった)、あの当時、ブルースマニアはいざしらず、一般的なエルヴィスファンは、だれもあの曲のことなど知らなかった。わたしなどはあれは、曲というより何かつなぎの演奏程度に考えていた。だいたい短すぎる!しかしマッコイ君は、あの名唱、力作のウズまく巨編ともいうべき『TVスペシャル』レコードの中で、“ベイビー・ワット・ドー・ユー・ウォント・ミー・トゥー・ドゥー”にエルヴィスのロカビリー・スピリットを感じ取っていたのだ!後にこの曲のことを知っていくにつれ、マッコイ君の鋭さに感服したのだ!
で、何故、ここで彼のことを書こうと思ったかというと、やはりそのころ、思わぬところでというか、何かの話の中で偶然、わたしと彼の意見が一致したことがあった。それはジョイ・バイヤーズはいいよな!ということだった。マッコイ君もわたしもジョイ・バイヤーズの曲のファンだったのだ!(最近、60年代ボックスセットの解説で大滝詠一氏も同じことを感じていたと分かってうれしかった)。“好きだよベイビー”は彼の曲なのだ!
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