1956年12月7日、レイ・チャールズも参加していたWDIA慈善レヴューでの対面を含めて、BB.キングが記述したこの話をどう受け止めるかは人それぞれだ。本当であるし、本当でないように思える。しかし B.B.キングが嘘をついているわけでもなく、B.B.キングにとっての真実なのだろう。貧しく、幼くして両親と別れ、ほとんどその人生をひとりで歩んできたB.B.キングとエルヴィスは音楽的にというより、人生のルーツという意味でかなり近いものがある。もっともそういうとB.B.キングは笑って黙し、ギターをとりだし、こう歌うだろう。「誰もオレを愛さない、誰もオレを気にしない。悩みともめごとは、もうたっぷり経験したさ(Everyday I have the Blues)」
B.B.キングと違ってエルヴィスには大きくあたたかいエプロンがあったし、最後まで父の視線が注がれていた。それでもエルヴィスの霊的、精神的ルーツは近い。うわべの派手さとは裏腹に生涯を孤高のうちに歩んだエルヴィスの、自分と同じくひとりで生きている一生懸命にB.B.キングはエルヴィスの誠実さと勇気を感じていたのではないだろうか。エルヴィスの、また自分の音楽的ルーツはそこに端を発していることも。
B.B.キングがエルヴィスとの夜をどれだけ喜んでいたかは写真が記憶している。
上の写真は『だから私はブルースを歌う』からだが、下の写真は『エルヴィス登場』のもの。エルヴィスは同じ衣装だが、B.B.キングは衣装が変わっている。B.Bキングはエルヴィスも歌ったと記述しているが、『エルヴィス登場』では、歌は協定により、歌うことができなかったために、歌わずにショウの終わる前に挨拶だけであったとされている。多分B.B.キングの記憶の映像の中では歌っていたのだろう。黄金色のすばらしい想い出だ。またエルヴィスはショウの後も永くいて、舞台マネジャーにみんなとが追い出されるまで、みんなとカメラに収まっていたことが記述されている。
このショウを取材した新聞記事では、エルヴィスが自分の音楽が黒人音楽一般に負うところがあることを腹蔵なく認めていたことを指摘、さらに遡る同年6月19日にメンフィス公園で開かれた『黒人の夜』と呼ばれるイベントにも出席していて、「メンフィス人種隔離法」を破っていることを報道していたのだ。
さらにあるコラムではこの夜のことに関して「『どうして黒人の女の子がメンフィスの白人少年に夢中になるのだろう。同じメンフィスの黒人である、B.B.キングには金切り声をめったに発したりしないのにである』プレスリーに対する女の子たちの示威行為は、みなさんの中の大半の心の中でくすぶっている基本的な人種統合の姿勢と希望を反映しているのであろうか。」と記述している。
しかし決定的に歩み寄れないのは、「人種」問題の根深さである。その国独自の歴史をひきずりながら歩むのは世界中のすべての国に言えることだが、世界の大国アメリカはいまでも奴隷社会の名残りをひきずりながらダイナミックに進んでいる。アメリカにはいまでも時給2ドル程度の人々がたくさんいる(チップのない職場で)。特に地方では多い。名もなく貧しい人たちが世界一の大国を支えているのだ。それはルールでは「本人の問題」「本人の責任」だ。夢を追うのも、愛し愛されるのも、暴力的なまでに個人主義、自由主義の国なのだ。落ちこぼれ、はみだした者が路上に立ち、段ボールの箱や埃を含んだ乾いた風と格闘する。
そしてブルース、音楽は、歴史的に憩いの少なかった黒人の彼等にとっては涙そのもであったり、怒りの抑圧そのものであったり、夢のかけらそのものだったりするのだ。音楽こそは単なる音楽を超えて、アイデンティティを閉じ込めた暮らしの一部そのものなのだ。
黒人の文化が白人に取り入れられ、それが白人の文化と言われ、自分たちにそれは「おれたちのモノだった」とアプローチすることができないとしたら、それは悲しいことだ。涙すらもオレたちから奪うのかと言いたくもなるだろう。
マーヴィン・ゲイが「黒いエルヴィス」と表現された時、黒人、R&Bを支持するファンからブーイングが起った。無理もない。リトル・リチャードはパット・ブーンが彼の作品を歌ったことに反発した。彼等も「オレのブルー・スエード・シューズを踏むな」と言いたかったのだ。しかし純粋に音楽的に言うなら、R&Bもゴスペルも黒人音楽そのものではなく、歴史の中でイギリス、アイルランド、スコット・アイリッシュ、スコットランドその他の白人たちの音楽が混ざった白人音楽にアフリカ音楽が混ざって、さらに時代時代の白人、黒人の音楽が混ざりならが継承されてきたものだ。したっがって白人の音楽、黒人の音楽という区別などできるはずがないのだ。エルヴィスの音楽にしても、カントリー、ブルース、ゴスペル、さらには、ペリー・コモやジャズなどさえが混ざっているのだ。それにしても彼等がこのように自分たちのモノとしてこだわるのも、白人が描いた境界線の裏かえしと見るべきなのだろう。つまり分かりやすく言うなら(白人に対して)「ここに入ったらダメだというなら、アンタたちもこっちに来るな」という調子なのだろう。
ボクはこれらを考えながら、次の文に思わず目頭が熱くなった。
その年はエルヴィスが登場したわけだが、当時の彼は既に押しも押されもせぬ大スターになっていた。念のため言っておくが、時は50年代だ。白人の若者が全員黒人の観客を前にするには、かなりの勇気がいる。だが、彼は自分のルーツをしっかりと見せていたし、そのルーツを誇りに思っていることが誰にも伝わった。ショウが終わると、彼は私のことを、まるで王族のように扱ってくれて、一緒に写真に収まってくれることも忘れなかった。
この話にエルヴィスという人の人間としてのスケールの凄さを改めて感じた。
そしてボクが個人的にはいまだに怒りをもって考えてしまう、この世の理不尽としか思えない『20世紀の100人』。どうしても分からないのだ、素朴な疑問。なぜこのリストにシナトラが入っていて、エルヴィスは入っていないのか?その意味をふたたび考えた。正直シナトラをはずすことはできないだろうと思っていた。その理由は簡単明瞭、アメリカのショウ・ビジネスの顔である。それだけにシナトラが入ったらエルヴィスは絶対入るとも。しかし100人の枠にそんなに入れるのかとも。
エルヴィスが入らない理由は黒人の音楽『リズム&ブルース』と白人の音楽『ロックンロール』の関係に潜んでいる根深い「人種」問題があるのではないのかと勘ぐってしまうのだ。
「マス・マーケット、マス・メディアを握っているのは、結局白人なのだ。」なのだと。--------そして、ある意味でもっともエルヴィスを適格に表現した映画『燃える平原児』のひとり山へ消えていくラスト・シーンが脳裏に浮かぶのだ。
-------エルヴィスが、こよなく愛した音楽に戻ろう。 B.Bキングが純粋にエルヴィスを語っている部分。
彼は誰かから音楽を盗んだわけじゃない。聞いて育った音楽に自分なりの解釈をしただけだ。
という言葉の通りだと思う。それはエルヴィスの人生、生活から生まれた「エルヴィスそのもの」だったと。その証拠に技巧を用いずほとんどシンプルに作られた楽曲たちがなによりも証明しているし、独自の才能が大量に注がれていることもそうだ。それはこの『リズム・アンド・ブルース』に収録された曲を聴いても分かる。ここには誰のものでもない、模擬のしょうがない生活によって育まれたエルヴィスのブルースがあふれている。
「人が何を言おうと、自分が何者か分かっているわよね。大事なのはそのことなのよ。」
「もうやり方はわかったわけだ、これからはそれを誰にもああこう言わせないことだ。おまえを信じてあれだけの金を払ったんだから、自分の感じていること、自分のしたことを連中に知らせればいい」
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