ヨーロッパが先進的な市民社会を形成する裏で、アフリカ黒人が奴隷として機械の代わりのように使われた時代があった。黒い肌を露出した裸体のまま船に積み込まれ、焼印を押され売買されていく。つまり白人こそ人間であって、それ以外は人間ではなく、人間のようなものでしかない時代があった。
黒人を人間として取り扱わない、その当時のことはゴスペルでもお馴染みである。アメリカ社会もヨーロッパの文化を継承して開拓されていったこともお馴染みの話。黒人蔑視----そういう社会が存在していた。ついこの間のことだ。
先日テレビでメンフィスの景色が映っていたので、つい注視してしまった。内容はベトナム戦争の脱走兵のドキュメントだった。メンフィス育ちの黒人や、アメリカ人に育てられた成長した朝鮮の孤児がベ平連も手助けを受け、ベトナムから脱走した話だった。
ベトナム戦争は公民権運動の時代でもある。元黒人兵は「自分がベトナムで戦っている時に、国内では白人が黒人に銃を向けていた。それを知った時にバイバイさ。」と語る。長い間、家族は許さなかったらしい。
一方行方不明となったままの朝鮮の孤児だった脱走兵の育ての親である年老いた白人は「戦争は嫌いだ。しかし大統領は自分たちが選挙で選んだ。その大統領が戦争を決めたのなら戦うのが当然なのだ」と語る。
そのどちらの言葉、考えも正しいと思う。特に「大統領は自分たちが選挙で選んだ。その大統領が戦争を決めたのなら戦うのが当然なのだ」という意見は「アメリカの民主主義」を一言で表現している。ことが戦争だから構えてしまうテーマだが、非常時のことだけでなく、日常生活では数えきれない程同じような発想が根付いている。「玄関先の花」ですら、銘々勝手な花を植えるのではなく、地域社会では調和を取ろうとする。「個人の尊厳を遵守するためには、支払うべきコストがある」というのが「コミュニティ」の基本であると思う。それが破られた時には民主主義は崩壊する。
例えばレストラン。食事を楽しもうとしている周囲の人に迷惑をかける可能性が高いから小さな子供を連れてこないのがマナーだ。例えばエルヴィスが立っていたラスべガスの客席に2、3歳の子供がいたらどうなるだろうか?一方では子供を家なり部屋に置いてくるのは可哀想という意見もあるだろう。しかしその不憫さが「民主主義のコスト」なのだ。
この黒人兵の場合はどうだろうか?脱走兵にならざるを得なかった彼の胸中は行き場のない寂しさに塗りつぶされているのではないだろうか?その寂しさは彼の母親も同じだろう。戦争にまで参加しながら、同じアメリカで暮らしながら、「アメリカ人でない」寂しさは彼等にしか分からない果てしなさがあると思えるのだ。
さて、疑問が噴出する脳を鎮めるために、イスラエル・パレスチナ問題を取り上げた名作映画『十戒』『栄光への脱出』などの鑑賞もあって、またも出荷の遅れた『今週ノおススめ』はロックンロールのスパイスてんこもりの<レディ・テディ>だ。
1956年にロックンロールの塊のような黒人アーティスト、リトル・リチャードがその全身全霊リズムになりきったかのように歌った過激な一発。それを見事にエルヴィスならではの「人種の垣根なって知ったことか!仲良くしょうぜ!」スタイルで、ピアノの鍵盤もぶっ飛びそうな連打!連打!エルヴィスはこの曲の権利を買い取るほどの気に入りよう。
そう!異文化を愛すればともだちになれる。そのことをエルヴィスは白人社会から、時には黒人社会からも攻撃を受けながら、みんなに教えてくれた。
ボクはエルヴィスがいなかったら、公民権運動の成就はもっと遅れたと思う。例えロックンロールがあっても、エルヴィスがいなかったら、やはり世界は違っていたと思う。仮定のことだから言っても仕方ないけど、あのブラッキーなフィーリングを白人市民の暮らしのなかに持ち込んだというのは、とてつもなく「歴史を変えた」事件なのだ。このことだけは「エルヴィス馬鹿」と言われても声を大にして伝えたい。
とてつもなく有名になった後のエルヴィスはマネジャー・パーカー大佐の戦術もあって、政治的なコメントは一切しなかったけれど、<レディ・テディ>を聴けばそんなことはどうでもいいのが分かる。
エルヴィスはこんなにも見事に雄弁に語っているのだ。