3枚組アルバム”アーティスト・オブ・ザ・センチュリー”から次々に発信されるサウンドは、いまの時代に生み出されるサウンドには容易に見つけることができないものばかりだ。
あらゆる面でいい音楽が作ることが容易になっているにもかかわらず、むしろそういう環境に慣れる程にリアルさから、つまり半世紀昔に起こった素敵から遠のいているのだ。
ロックンロールの一番重要なことは「リアル」さである。
それはパンクがパンクである拠り所にした「姿勢」と同じ意味を持つ。
セックス・ピストルズが45回転のシングルでやったこと、ジョニー・ロットンの最初のことば----「さあ、いまだ!」のタイミングとエネルギーなのだ。
その先駆者こそ<ミルクカウ・ブルース・ブギ>でくるりと方向を変えて全速で突進したエルヴィスなのだ。
エルヴィスはサンレコードの早起きの騒々しいにわとりが起きるよりも先の瞬間に、誰もやったことのない100%のリアルさで世界を変えた。
それこそがエルヴィスの創造した音楽だった。
ブルースでも、ゴスペルでも、リトル・リチャードのいうロックンロールでもない、全く新しい世界を覚醒させた"あり方"の創造だった。
それを人々はロックンロールと呼んだだけだ。
エルヴィスのエッセンシャル・シリーズでも分かるように、音楽を生み出すコアであるエルヴィスがバンドを集めて「よし、いくぞ」で身体ごと気持ちをぶつけあい「バア〜ン!」と始めるスタイル、これこそがロックンロールであって、そうでないようなものを間違っても”ロックンロール”と呼ぶなと言いたい。
だからテンポが速いとか遅いとかの問題ではなく、創り手の姿勢の中に”ロックンロール”があるのだ。
そういう意味でエルヴィスのバラードがロックンロールの姿勢で貫かれていることは言うまでもない。
その視線で、プロデューサーが指揮をとったり、サウンドを機械的にいじくりまわして作る音楽というのは、ロックでもなんでもないと断言してしまう。
見てみるがいい。聴いてみるがいい。
半世紀も前のエルヴィスのホワイト&ブラックの古臭い画像の中で一体何が起こっているか。
腰をふって歌っているだけか?あるいはエルヴィスだけが腰をふっているのか?
4人が一体となって一丸となって身体ごとぶつかっているのが分かるはずだ。
4人は一瞬も注意をそらしていない。
スコティ・ムーアは操り人形のようにエルヴィスの身体を動かすためのバーを持っているようにギターを操る。
リズムはエルヴィスが身体を動かせやすいように心地よい緊張を刻んでいる。
ビル・ブラックは空間に見えない弦を持っている。
もう死んでもいいと思ってしまう危険な快楽に満ちたベースさばきだ。
エルヴィスはリズムに対して「もっといけ!」ということを身体で伝えている。
その瞬間、4人は見ごとなタイミングで、サーカス団の手品師のように聴き手の前に「道」を造り出す。
ハイウェイはアメリカの幸福だ。ロックンロールが作りたいのはリアルな体温を感じながら歩く道だ。
エルヴィスたちはいま造り出した道が歩けることを教えるために祝典を繰り広げている。
もっとオレを見てくれよ、何が起こっているか、よく見ろよと全身を震わせている。
エルヴィスはステージで猫が歩いたとわめている。バンドに追いかけろとハッパをかける。
聴く者に「この道は猫だって歩くんだぜ、アンタが歩かないのはどうしてだ」と知らせているのだ。
<ブルー・スエード・シューズ>で、<マネー・ハニー>で。あるいは<ハートブレイクホテル>でトランペットの間奏ににっこり笑い、その余韻にあわせて微妙にアレンジして歌うときに歴史と個人はこんなにもひとつになれるんだと伝えている。
無垢な喜びがサウンドを支配し、時をそれぞれの自分に献上する音楽。
心と耳と目に、どこにも生々しいエネルギーが息づいている。
これこそがビートルズができなかったことであり、パンクスたちが求めた「生々しい生」であり、いつの時代にもこどもたちが大人になることと引き換えに失ってしまうのではないかと恐れる「自分そのもの」なのだ。
こんな音楽を最近聴いたことがあるか?
またオリジナリティのない自称”アーティスト”をアーティストというのはおかしい。
我が国に氾濫する物真似サウンドがJポップスの重要な位置を占める限り、ロックンロール・バンドが育たないのも当然の結果なのだ。つまりこの国では「ソウル」というものが極めて商売になりにくい。
イギリス生まれの世界的レストラン『ハードロック・カフェ』は営業をして30年になるらしい。
さすがにザ・キング・オブ・ロックンロールに敬意を払って、エルヴィスを正しく扱っていてくれる。
「フランキー&ジョニー』のポスターや、雑誌『スクリーン』の『エルヴィス・プレスリー増刊号』など、言わばエルヴィスを軽視する要因になっている”ポップな大スター”の側面を思いきり大々的に扱い、店鋪の主要な場所を占領させている点はなにより嬉しい。
エルヴィスについて何か説明がいるのかと語っているかのようだ。そう、説明が必要なんて、悪い冗談だ。
エルヴィスの本当の価値は先にあげた「リアリティ」にあるにもかかわらず、そこから遠く離れた「スクリーンのヒーロー」という虚構の世界のイメージが強すぎるために、あろうことか我が国では「キッチュな印象」を強くしている点にある。
いうなれば「モーニング娘。」かっての「ピンクレディ」のような印象とよく似ていると言えないか?
ファンの中にさえエルヴィスを好みの問題ではなく、そのような存在としたまま支持している人がいるのも事実である。(それはそれで結構です)
しかしエルヴィスの真髄は煌めく程に眩い「リアル」にあり、カントリー、ブルース、ゴスペルにしみこんだ「土着性」つまり「ソウル」にある。
この2つは日本の音楽界が最も苦手としている要素であり、少数のマニアックな支持によって辛うじて日本でも流通しているサウンドである。
例えば<ハートブレイク・ホテル>と<ダイアナ>では、ポール・アンカの<ダイアナ>に軍配が上がるような、あるいは最近の日本に於けるゴスペル人気に象徴されるように、「ソウル」な部分を削ぎ落としたものが支持される。
逆に言えば削ぎ落とすことで、ビジネスになっているのだ。
したがってそのようなものが長らく人気を得ることもありえず、使い捨ての運命にあるのも明白なのだ。
しかし3枚組アルバム『アーティスト・オブ・ザ・センチュリー』を埋め尽くしている終わらない素晴らしさは、身体ごとぶつかっていくリアルであり、ソウルであり、それはアメリカのローカルなハートフルに満ちている。
ピーナツ・バター・バナナ・サンドを食べながら歌うことを覚えた者が創造した代物が、違う文化を持った国民に受け入れられることは至難の技である。
日本に於けるエルヴィスは、「モーニングおにいちゃん」「金ピカボーイ」として使い捨てられたような気がする。
逆に言えばそのような扱いをすることではじめてエルヴィスという「事件」を共有することが出来たのだ。
それはエルヴィスの問題ではなく、国民性の問題であり、音楽、芸術、文化は言うに及ばず生活に対する姿勢の問題としかいいようがない。
確かに多くのエルヴィス映画に見られる「屑のような音楽」、ライブに於ける「散漫」も氾濫している。
それらにしてもアメリカの土着性、ソウルを捨て去った「屑のような音楽」「観光用の音楽」だからこそ、エルヴィス映画は「世界」をマーケットにすることが出来たのだし、「散漫」さで「リアル」を分散することで、「エルヴィスを観る」というファンの夢を現実にしてきた。
それによってエルヴィスの最も優れた部分であるリアルさを辛うじて伝えることを可能にしてきたと言える。
実はそれこそが、エルヴィスがやり遂げた偉業であり、奇跡である。
---------------自分の生とロックンロールの生を刺し違えたのだ。
音楽への感謝。
60年代に登場したビートルズは「リアル」「ソウル」という個人的な優れた才能を普遍的な「技術」に封じ込め、「技術」を「芸術」にするアプローチをし、最後には「額縁に入れる」ことで奇跡を実現した。
70年代を駆け抜けたパンクが短命に終わったのは、リアルをリアルのままに伝えることを本分としたためであり、それゆえに短くも美しく燃えたことを「勲章」として手にした。
そして我が国では「ロックンロール」を日常にする手段として、「ロックンロール」を「ロック」と呼ぶことで、「リアル」「ソウル」と縁を切った気配だ。リアルであること、ソウルであることを拒否されたロックバンドは行き場を失い、ブランキー・ジェット・シティなど素敵な連中は空中に散ることを余儀無くされた。
では、屑カゴの中にロックンロールを探しに行こう。
それは言われる程困難な作業ではない。特にアメリカが陽気だった時代のものは-----。あの悲しく忌わしいケネディ大統領暗殺以前の映画として撮影中にあったものは『ラスベガス万才』『キッスン・カズン』だった。不思議に以降の作品が映画的にも音楽的にも質が落ちたのは、時代の空気が暗黙の内に「リアリティ」を求めたからだろう。
誰よりもリアルであったエルヴィスが、リアルになった時代に、リアルでないことを求められ続けたのは、まだ世界が夢を見たかったからなのか。
「今週ノおススめ」は、夢を見ることが許された時代の作品『ラスベガス万才』から逆に辿って『アカプルコの海』の1作前の作品『ヤング・ヤング・パレード』はイチローですっかり日本でもお馴染みになったシアトル・ロケで製作された。
その中から<あなたにそっくり>をピックアップ。
この映画で使用されたきれいなラブソングは夜のモノレールの中、印象的な美しい画面の中に、「リアル」「ソウル」を押し隠してしまった曲。
それでも、溢れるエルヴィスの真髄が脈々と流れてこんなに素敵です。
このシーンはエルヴィス映画ベスト5に入るピエロ特選のおススめシーンだ。
あなたにそっくり
花の香りを遠ざけて
青空を隠しておくれ
甘い愛の歌も聞きたくない
あまりに君を思い出させるから
若い恋人たちの抱擁や星や月も
見えないように隠して
そんなことはすべて忘れたいん
だあまりに君を思い出させるから
永遠に苦しむのだろうか
毎日、一生続くのか
君と過ごした一つ一つの
思い出を振り返りながら
それでも君の心が痛まないのなら
二人の愛は実らない運命なのだろう
でもどうか戻ってきておくれ
もしもこれらの事が僕を思い出させるなら
コミカルで軽快なヒット曲<破れたハートを売物に>のB面としてシングル・リリースされたピアノとコーラスだけのしっとりとした曲。A面を追ってこちらも、チャート・インしている。
アメリカ、日本でも大人気だったテレビシリーズ『ボナンザ』のローン・グリーンが歌って大ヒットした<Ringo>の作者ドン・ロバートソンの曲。録音でも本人がピアノを弾いている。コーラスはザ・メローメン。
日本企画のアルバム『バラード』に収録する計画だったそうだが、音質の問題から断念されたらしい。
『バラード』に収録された<Angel>などと同じくベスト盤には収録されたこともないので、音質を超えて収録され、あまり知られていないエルヴィスの多面な素晴らしさを広く知って欲しかったと思う。
うん?ロックンロールを探しに行ったのでは?オブコース!
これは砂糖で隠しているものの、「よし、行くぞ!」で決めた「リアル」「ソウル」に満ちているのです。
尚、『ヤング・ヤング・パレード』には<今宵恋して><おいらの世界><ハッピー・エンディング><綿菓子の国>など、物語にふさわしいハート・ウォーミングな曲がエルヴィスの柔らかな感情をたっぷり浴びて幸せそうに並んでいる。
現在アルバムは<ボサノヴァ・ベビー>が収録されている『アカプルコの海』とのカップリングでリリースされている。
輸入盤しかないが、価値ありの1枚。ゲットを急げ。
It Happened At The World's Fair/Fun
In Acapulco
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ELVIS PRESLEY
Label: RCA
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1.Beyond The Bend
2. Relax
3. Take Me To The Fair
4. They Remind Me Too Much Of You
5. One Broken Heart For Sale - (film version)
6. I'm Falling In Love Tonight
7. Cotton Candy Land
8. World Of Our Own, A
9. How Would You Like To Be
10. Happy Ending
11. One Broken Heart For Sale
12. Fun In Acapulco
13. Vino, Dinero Y Amor
14. Mexico
15. El Toro
16. Marguerita
17. Bullfighter Was A Lady, The
18. No Room To Rhumba In A Sports Car, (There's)
19. I Think I'm Gonna Like It Here
20. Bossa Nova Baby
21. You Can't Say No In Acapulco
22. Guadalajara
Take away the scent of flowers
Cover up the sky of blue
Close my ears to tender love songs
They remind me too much of you
Hide young lover's warm embraces
Keep stars and moonlight from my view
Let me forget there are such places
They remind me too much of you
Must I evermore be haunted
Day after day my whole llfe through
By the memory of each moment
That I spent alone with you If these lovely things don't hurt
you
Our love just wasn't meant to be
But please come back to me my darling If they remind you too
much of me