ザ・クラッシュの『ロンドン・コーリング』-------
ニューヨークでのライブの光景を女流写真家ペニー・スミスがジャケット用に撮影していた中の一枚。
コンサートの流れからギターを叩きこわした偶然を撮影。
ピンボケだったが、ザ・クラッシュのメンバーはこれを選んだ。
キング・オブ・ロックンロール『エルヴィス・プレスリー登場!』を意識したロック・アルバムはインパクトの強いものになった。
●(左はRCAデビューアルバム『ELVIS
PRESLEY/エルヴィス・プレスリー登場!』)
ザ・クラッシュ----ジョー・ストラマーが失業手当てをもらうために通っていた「職業安定所」はポール・マッカートニーの家から5分のところにあって、治安が悪い場所にある。
そこでミックとポールと出会った。
ミックとポールはジョーを見つめた。
二人ががんを飛ばしてきたとジョーは語っているが、ジョーは受け取った金をミックとポールに奪われる恐怖感からまずミックを殴った。
-------ビートルズ、ローリング・ストーンズ、クリーム、ジミ・ヘン、イエス、キンクス、ヤードバーズを10才くらいから耳にして育った3人、ジョー・ストラマー、ミック・ジョーンズ、ポール・シムノンの”ザ・クラッシュ”はここから始まった。
ラモーンズを教材にして練習しセックス・ピストルズの前座をつとめた。
デビューアルバムは自分たちが毎日通ったカリブ街のカーニバルで起こったカリブ人と白人警官の対立、暴動から生まれた『白い暴動/THE
CLASH』だった。
自分達は傍観者だったが、カリブ系の人は身につまされていたので、身体を張って戦っていたと語る。日常の暮らし----カリブ街から聴こえてくるレゲエがサウンドのベースにあった。
3人には言いたいことがあった。
主張と音がひとつになって”ガレージ”からパンクが飛び出した。(パンクってなに?)
アルバム2作目のアルバム『動乱(獣を野に放て)/Give'en Enough Rope』からはトッパー・ヒードン(ドラム)が参加した。
Let's roll!国を守るために空中でテロ犯人に挑んだ人たちがそうであったように、1、2の3で「よし、行くぞ!」がロックンロールの最高の瞬間とすれば、ザ・クラッシュはロック史上もっとも美しいバンドだった。
孤高にして華やか、あったかく、ぬくもりのあるバンドだった。
長びく不況と寒さ、失業、イギリス・ワーキングクラスの精神を冷え冷えと凍てつかせる不安、ザ・クラッシュはそんな中から生まれてそこへ向かって「くじけるなよ」って言い続けたバンドだった。
コンサートは安い、レコードは安い、
大きなホールは使わない、
TVでは誰が何と言おうが音楽しない、
時にノー・ギャラ、「ファンから搾取するな」を鉄則とした。
ディーナーはハンバーガーとポテトチップス、マクドナルドと違うのはグリーンピースがついていたことだ。
あるいは野菜スープとパンだけ。彼等はそれで暮らし演奏し続けた。
プロの手がつくことが極端に少ないバンドでもあった。
いままで持っていたものを全部捨てる主義、つまり変化し続けることを最後まで貫いてパンクだったのがザ・クラッシュだった。
「やるしかないのにそれが分からない連中が多すぎる」
ジョー・ストラマーは真摯で、男っぽく、静かで、セクシーな男だった。