エルヴィス・プレスリーの生涯を描いたミュージカル『エルヴィス・ストーリー』は演じる側だけでなく、観客によって毎日違うし、東京・大阪とそれぞれに違う空気もおもしろい。
昼夜それぞれ1公演しかない大阪の熱さは予想以上。
特に初日にして文字通りのワンナイト・ショーとなった夜の公演は男性ファンの熱と骨から噴き上げる気合がステージを終始ガッチリ支えたと言っても過言ではないだろう。
<アメリカの祈り>での拍手鳴り止まずも印象的だが、それよりなにより1956年エルヴィスのロックンロール・シーンへのノリの早さと反応の強さ、惜しみない怒濤の喝采と称賛はオープニング早々一気に頂点に。マルタンも飛ばし過ぎるほどの熱演で応える。場内騒然。男たちが哭いた夜になった。
女性ファンの興奮は東西相変わらずだが、共に、特に東京は”ニュー30”と呼ばれる新しい価値観を持った女性層が増えているのに注目。勿論大阪の若い女性は速攻、アッという間にダンスホールと化した。
しかしなによりマルタン・フォンテーヌのすごさは、そのすごさは。観客とのふれあいを大切にするエルヴィスとその魂を伝え切るために、観客を観察しながら、ふれあう場面をいくつも用意。
しかも実際のエルヴィスがそうであっただろうに、その日その時の観客に呼応して、違う反応を互いに示しあう中にエルヴィスの「芸術」の域に到達している「芸」を再現する。
その瞬間にバンドもコーラスもがマルタンと一体になっている離れ業。
たとえば<今夜はひとりかい?>にエルヴィスの緻密とミュージシャン冥利の快感を集約する。
それはおそらくマルタンがエルヴィスを演じるために研究を重ねるほどに魅了されたエルヴィスの才能とエルヴィスの魂でなかったのだろうか?
それをやらなければエルヴィスじゃないと思っていると推測するほどに見せて聴かせた。
大きく深いエルヴィスの優しさは言うまでもなく、時にエルヴィスの冷酷すら交えて見事というしかない。
それはマルタン・フォンテーヌという個人の存在価値を賭けた熱い戦いでもあったはず。
「エルヴィス!」という観客の嬌声に、少し反発してみせたように感じたのはボクだけではなかった。
彼はマルタン・フォンテーヌというアクター。
彼は関係各社、通訳さんへのお礼を述べることによって、最後に現実を見せて日本を去った。
日本語で「マルタン・フォンテーヌです。」という彼にこそ絶賛の拍手をおくりたい。
ミュージカル『エルヴィス・ストーリー』は観客も出演者のひとり。
マルタンと共に創りあげる喜びこそ最大の楽しみ方であり、それがこのミュージカルの神髄。
そう、これは世界が愛して止まない限り無く近く、永遠に遠いエルヴィス・プレスリーに少しでも近づくための装置。
「ボクについておいで、エルヴィスに会せてあげる」エルヴィスに会うための地上最強の場になるようにマルタン・フォンテーヌがプロの責任において、モーゼのようにぐんぐん引っ張って行こうとしている。
難しいことだけど、マルタンをもっとエルヴィスのように遊ばせてあげるコツを観客が知り、「大人の約束」の上で遊べば、さらに大きな感動を受けとることができるし、マルタンはそれを可能にする才能となにより意志と責任感を持ったアクターであると思う。きっとまだまだ素晴らしいショーをやってくれるだろう。
マルタン・フォンテーヌ、きっと帰って来るだろうが、
たとえその日がなくても、あなたの名前を決して忘れない。
背中越しに聞こえてくる「好きだからこそあすこまでやれるのね」という言葉が寒い。
マルタン燃やしたエルヴィス・プレスリーの魅力。
ふたりの男が時空を超えてアジアの果てで炸裂したその素敵を、
汚すような行為が起こらないことをただ静かに祈る人も数多いだろう。
Acapulco
Sleeplng In the bay
Acapulco,
WaKe up and greet the day
Time to tell the guitars
And sleepy-eyed stars
To be on their way
It's such a beautiful morning :
For a holiday
Hey now, come on
You old sleepy head
See the sky turning red
And you're still in bed
It' s fun In Acapulco
Acapulco
Look here comes the sun
Acapulco
It's a day for fun
* I can't wait
Till I meet
Your sweet senoritas
Kiss every one
This is no time for siesta
This is tlme for fun
* Repeat
** This is no time for siesta
This is time for fun
** Repeat 2 times
and fade out
思えば、春に向かっての『アカプルコの海』
テレビ局主催の名画試写会募集の案内がテレビを飾った時代。
タイトルバックの日が昇る入り江の風景、<すてきなメキシコ>の笑顔、水辺の<アカプルコの恋唄>のシーンがダイジェスト的に繰り返し繰り返し放送されたのを、いまも鮮明に記憶している。
山でも海でも日の出でさえあればアカプルコの海に見えた日々。
『アカプルコの海』の募集が終わりかけると、重なるように『ラスベガス万才』の名画試写会募集の案内が流れ出した季節。もしかしたら高校に入学せずに働くことになるのかも。暮らしが一転していく戸惑いの季節。アカプルコの朝の海とエルヴィスの声が非常灯のように暗闇で真っ赤に光っていた。
雑誌を切り抜いた写真。黒ずくめのエルヴィスは自分にとって”兄貴”だった。
<すてきなメキシコ>の自転車の少年は不安だった自分のあこがれ。
少年に向けたエルヴィスの笑顔に救われた。
みんな<ボサ・ノヴァ・ベイビー>を言うけれど、朝が来た。
新しい一日がはじまるよ。と言ってくれてた<アカプルコの海>こそ懐かしい。
<すてきなメキシコ>がやさしかった。いまも自転車乗れば口ずさむ。
どんなことが起こっても、何もなくても、やっていけるかもしれないと思わせた声だった。
歌詞なんか分からない。朝の海と自転車とエルヴィスの声。
それだけだったけれどゲンキになれた。
アカプルコ
海辺で居眠り
アカプルコ
起きて、新しい一日を迎えよう
ギター弾きや
眠そうな星に
お別れを言う時間だ
休暇にぴったりの
なんて素敵な朝だろう
さあ起きなよ
ネボスケさん
空が明るくなっているのに
まだベッドにいるんだね
アカプルコは楽しいよ
アカプルコ
ほら、日が昇る
アカプルコ
楽しい一日の始まりさ
*待ちきれないよ
ここの可愛い娘さんたちに会えるのが
ひとりひとりにキスしょう
昼寝をしている場合じゃないよ
思いきり楽しむのさ
*リピート
**昼寝をしている場合じゃないよ
思いきり楽しむのさ
**2回リピート
フェイドアウト
声で語れる男、エルヴィス・プレスリー。
ココロで感じたことを身体で感じて、それを声で語る。
国境を超えて語る力となる声という言語。
エルヴィス聴きながら、きっとボクは「自分」と話をしている。
エルヴィス聴きながら、母となった女性たちは「私」と話をしている。
「絶対に場内を走らないでください」との警告を忘れて劇場スタッフに追いかけられていた男はマルタンに向いながら「何」に向かっていたのだろうか。
自分が意識できる意識は所詮、氷山の一角。
エルヴィスを聴きながら、エルヴィスの歌に隠れて意識さえできない自分と話している。あるいは探している。
エルヴィスにゲンキづけられ、慰められて、エルヴィスの曲に塗り込んだその時々の自分、あるいはまだ見ぬ自分に会っている。
目を拭いながら暗いホールをうごめいていた男たちよ。
隣に座るパートナーの言葉に答えることも出来ずに、目頭抑えながら思いを呑み込んでいた女たちよ。
かってセーラー服と通学カバンが似合っていた女の子、いまひとときエプロンをはずして、息子、娘へのおみやげを考えながら、あの時の自分を探している。
ひとりひとりのエルヴィス・ストーリーが世界にある。
ボクはいまでもハウンド・ドッグでしかないけれど、
気分だけはあのメキシコの少年のようにエルヴィスと一緒に走った。
l left my heart in "elvis
story"
自分を解き放てば、涙あふれて、
ボクだけのエルヴィス・ストーリー。
さあ、ギター弾きや、眠そうな星にお別れをして
新しい一日を始めよう。