ハル・B・ウォリス・プロデュース、ノーマン・タウログ監督のアカデミー賞コンビが『G.I.ブルース』に続いて20世紀の至宝、エルヴィス・プレスリーと組んだ『ブルー・ハワイ』は1961年11月22日に全米で公開。
映画公開より一足先にリリースされたサントラ・アルバムは驚くべき26週連続1位の快挙。
もちろん映画もワールドワイドに大ヒット。
60年代エルヴィスの活動を決定づけた作品となった。
とにかく素敵な作品だ。
全編ほとんどロヶで撮影。
ハワイをバックに挿入曲は14曲とたっぷり。
エルヴィスに聴き惚れている間に映画は終わってしまう。
『ブルー・ハワイ』は映画評論家による1964年公開作品ベスト10内にランクキングされた『ラスベガス万才』と共にエルヴィス映画の傑作として名高い。
しかし映画のおもしろさを超えて『ブルー・ハワイ』には特別な力・・・日米ともに戦後が終わり、開かれた磁場としての威力があったように思えるのだ。
事実、エルヴィスはクランクイン直前、自ら志願してチャリティーコンサートをパールハーバーで開催している。
主催者はアリゾナ記念館委員会。エルヴィス・プレスリーまだ26歳だった。
1961年1月18日エルヴィス・プレスリー、ハル・B・ウォリスと年1作5年間の映画出演契約を締結。
1月20日ジョン・F・ケネディ、米大統領に就任。
2月13日、フランク・シナトラがレコード会社「リプリーズ」設立。翌日日活アクションスター、赤木圭一郎、撮影所でゴーカート事故、21日人気絶頂の内に死亡。
愛ピは夕方公園で、水飴を食べながら紙芝居を見ていて、その訃報に接する。有名な人が死んだらしいことだけ分かった。
25日 エルヴィス・プレスリー、メンフィスのエリス・オーディトリアムで2回のチャリティー・ショー。
収益約51000ドルを寄付。(そんなことしてたなんて!なにしろ愛ピはエルヴィスなんて関係ない世界で暮らしてたからね)
3月21〜23日 エルヴィス、ハリウッドにて『ブルー・ハワイ』レコーディング。
3月25日エルヴィス・プレスリー、真珠湾攻撃によって沈んだ軍艦アリゾナ記念委員会主催チャリティ・コンサート出演(志願)。アリゾナ記念館建造が目的。
27日『ブルー・ハワイ』ハワイでクランク・イン。
4月12日 ソ連世界初の有人人工衛星「ボストーク1号」飛行に成功。ガガーリン少佐が搭乗。
5月17日 ジミ・ヘンドリックスが、米軍に18才で入隊。
7月21日 坂本九「上を向いて歩こう」発表。
8月2日 ビートルズ、キャバーン・クラヴにレギュラー出演開始。
同じく13日 東ドイツ、亡命防止を目的に東西のベルリン境界に「ベルリンの壁」を設置。
9月1日 ソ連が核実験
6日 ボブ・ディラン、ニューヨーク・グリニッジ・ヴィレッジのガスライト・カフェでギグ・デビュー。
15日、アメリカ地下核実験。
10月17日 ミック・ジャガー、通学路のダートフォード駅で幼稚園からの級友キース・リチャーズと偶然再会。同24日
ジュリエット・グレコ来日。
26日ボブ・ディランCBSコロムビアと契約
11月22日 パラマウント映画『ブルー・ハワイ』全米公開。
この年公開された映画『ティファニーで朝食を』『栄光への脱出』『荒野の七人』『素晴らしい風船旅行』『二十歳の火遊び』『南海漂流』『シマロン』『土曜の夜と日曜の朝』『鞄を持った女』『ウェスト・サイド物語』『用心棒』
あるカルチャーがのしあがっていく時には、必ずクリエイティブな人間の集まりと、集まるコアな場が不可欠だ。
ロカビリーにはサム・フィリップスがいてサンレコードがあった、
ロンドン・パンク・ムーヴェントにはヴィビアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンがいて、ブティック『SEX』があった。ビートニクにはサンフランシスコのノースビーチのカフェやニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ、チェルシー・ホテルが。パリ、実存主義にはジャン・コクトー、ジャン=ポール・サルトルがいてサンジェルマン・デ・プレのカフェ・ド・フォールなど、アンディ・ウォーホール・ファクトリーも、それにシリコンバレーもそうだ。
それはいずれの場合も若く未熟で貧しいけれど一途な奴らが集まる場所。
それがポップ・カルチャーの基本条件だ。
そして、そこには何も持たないけれど、輝いている奴がいること。
あるいは輝きを秘めた奴がいることがポップ・カルチャーの進撃を成立させている。
サンレコードにはエルヴィスがいてジェリー・リーがいた。SEXにはジョニー・ロットンなどピストルズになる奴がいた。
ビートニクにはジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグが、実存主義にはジュリエット・グレコが・・・
あるいは東映チャンバラ映画には年間最多出演記録保持者錦之助が、日活アクションには同じく裕次郎がいた、
同じようなことを上手にやれる人がいる。
しかしそれをブチのめすほどに向こうみずな情熱が必要だ。
開かないドアをこじあけ、くいこんでいく時に生じる摩擦熱に自分が溶けてしまうようでは終わりだ。
自分を焼き尽くす熱すらもエネルギーにするパワーがいる。
そんな奴が出入りする場所、それが磁場だ。
ワイキキの浜辺に重なるエルヴィスの声<ブルー・ハワイ>。
"Night and You and Blue
Hawaii・・・”のHawaiiのところで表れるElvis
Presleyの文字。
その瞬間のワクワク。・・・『ブルー・ハワイ』の最高の興奮はリアルタイムでないと分からないと思う。
ボクはそれに間に合わなかった。この映画は単なるエルヴィス映画でも、娯楽映画でもなく、当時、観客を幻想とリアルの波間に引きずり込んで、なにかをやってみたいと思わせるだけの力を持った強烈な「磁場」であったと思うのだ。
それは、1961年のこのポスターを見ても感じることができる。
2003年ではない。それゆえにエルヴィス・プレスリーの代表的作品として輝いているはずだ。
映画のおもしろさ云々を超えて、エルヴィス・プレスリーの主演映画中、最高傑作になりえる力・・・それはこの映画が持つ磁力だ。それなのに残念なことに、間に合わなかった。
『ブルー・ハワイ』公開から10年後、長蛇の列ができるほどの大ヒットとなった『エルビス・オン・ステージ』に便乗してリバイバル公開された『ブルー・ハワイ』を劇場で見たとき、劇場はすいていて、『エルビス・オン・ステージ』後に初めてみる『ブルー・ハワイ』からは磁力を感じなかった。
あのエンディングの<好きにならずにいられない>を見た後に、オルゴールを持って歌うそれからは磁力を感じなかったのだ。
(断じて素敵でないとは言っていない)
しかし初のロードショー公開された1961年は違っただろう。
26才・・・やっぱり若いエルヴィスが腰をふり、砂をけり、レイを首に飾り歌うそれは、「ブチかましたろか!」なのだ。オルゴールを持って歌うそれも、総天然色、パナビジョンが意味を持つ画面から発散される優しさは、田舎にいる母、祖母への思いと重なって、いつかできたらの憧れに他ならない。
いま目をつぶって想像しても、背筋がゾクゾクとするほど、強烈な磁力を出していたと思うのだ。
ケネディあるいはそれ以前の大統領だった頃の小学生は片岡義男氏がスクラップするアメリカを学校で教わって成長してきたはずだ。
それは多くの人にとって知らず知らずにエネルギーに変わっていったはずだ。
『ブルー・ハワイ』はB級の匂い、つまり若く未熟で一途な匂いのする映画だからこそ、劇場さえも磁場にしえたのだ。
”・・・・ぼくたちは若い、ぼくたちは若い。どんな夢でもかなう。ここはブルー・ハワイ・・・”
東京オリンピックの3年前である。観客もまだ若く未熟で貧しく一途だったのだ。
それは日本人にとって遅れてやってきた「サン・レコード」だったのではないのかと思う。
チャド、すなわちエルヴィス・プレスリーがホノルル空港に着陸した飛行機のタラップ上に立った時、軍服のままのキスは、人間は誰からも自由であること示唆している。
観客は知っていた。エルヴィスが軍服をぬぎ捨ててアロハ・シャツに着替えることを。その瞬間、タイトルバックに流れた甘美な<ブルー・ハワイ>とその景色で感じた「みんな自由なんだぜ」というアプローチがいよいよ本物に聞こえたはずだ。
それは同じ価値観、同じ言語、社会的に強制された「日本」というゲットーからの脱出への憧れだったのではないか。
しかしエルヴィスもハワイも幻想なのだ。それにしても幻想を抱かせる力こそが磁場に必要な力である。
幻想を抱かせることのできないポップ・カルチャーなんてポップでもカルチャーでもないのだ。
海を見下ろす山でのデートの場面。
「街にはこんな所はない。」「予約もいらないわ。」・・・
幻想を本物にするためにみんな働いた。
ハワイは遊び場になり、磁場でなくなった。
そして『エルビス・オン・ステージ』後のリバイバル公開の『ブルー・ハワイ』では幻想を抱かせる力はなく、ハワイはリアルな夢になっていたのだ
。
高度成長期に公開された加山雄三の『ハワイの若大将』、舟木一夫の『夢のハワイで盆踊り』は、それを如実に語っていた。
ハワイにとっても『ブルー・ハワイ』は思い出になった。
そしてそこには同じ価値観、同じ言語で話す人がたくさんいて、時間とともにますます東京のようになっていった。
ハワイはゲットーの拡大でしかなかった。
そしてハワイもまたある意味ゲットーだった。
時が過ぎて、ただエルヴィスの甘美なムーンライト&サンシャインな歌声だけが残った。
青二才のボクの中古で買ったアルバム『ブルー・ハワイ』ですら、戦争の跡かのようにボロボロで、レコードの溝すら定かでない状態になっていた。
『ブルー・ハワイ』の楽曲のどれもが、あまりにも巧く、声は美しく、繰り返し聴かせる力に満ちていた。
気持ちがいい。それだけの理由で聴いていた。他にどんな形容詞も必要がない。
<月影のなぎさ><ハワイアン・ウェディングソング><ハワイアン・サンセット><愛の島><私の恋人><アロハ・オエ><ノー・モア><ブルー・ハワイ>・・・<ロカ・フラ・ベイビー>が大好きだ。
でもどうしてこんなに天使の羽のように歌えるのだろう。
『エルヴィス・オン・ステージ/スペシャル・エディション』のファイナル、<好きにならずにいられない>でエルヴィスは歌いながら鳥が飛ぶようなジェスチャーを見せるが、『ブルー・ハワイ』サントラ盤録音時に、かもめにでもなった気分で歌っていたのかも知れない。
きっとエルヴィス自身が楽しんでいたから、それが伝染してこんなに素敵なのだ。40年以上も前のひとりの人間の微笑みが、いまも他者をくすぐる。
それらはボクにとってはゲットーの中にいるボクのすぐ目の前の向こう岸から聴こえる応援歌だ。
あくまで個人的だが、エルヴィスとハワイの魅力はともかく、70年代に磁力を感じなかった『ブルーハワイ』をいま観る値打ちはあるのかと考える。
ただ甘美な歌声といまは見ることが少なくなったハワイの景色や建物や土地の匂いだけに、ラブリーな気持ちで満足すればいいのだろうか?
磁場としての役目は終わったのか。
興奮に間に合わなかった残念が、風呂敷包みを抱えたまま祭りに参加できなかったように「くやしい、くやしい」とこだわりさせ続ける。終わってしまったものなら「ボク、帰らせていただきます」と帰ればいいものを、当時暗がりのなかで観るものをワクワクさせただろうと想像するタイトル・クレジットを見るたびに、いまはすでに存在さえしない映画館を脳に描いて地団駄を踏む。
だがしっかり目を開いてみれば、この映画にはいまも強力な磁力があることが感じられる。
ボートが浮かぶ”どこまでも海”の青さに流れる<アロハ・オエ>の歌声、旅立て、世界は開かれているのだ。と無言のバイブレーションを伝える。無性に動きたくなってくるのだ。
”・・・ボクのこころには永久の愛の思い出がある・・・”<ノー・モア>を仲間と歌うエルヴィス、ゲットーの対極にあるサロンのこんなすてきはいかがなものか。夢に向かって語り合う若さ。きれいな海と空が「お前のこころには永久の夢がある、語る相手がいなければひとりでも話せばいいのだ。」と思わせる。
そして・・・なにより・・・・<ロカ・フラ・ベイビー>が発散するゲットーを牛耳る価値観をブチのめすポップ・カルチャーの神髄!<ハウンドドッグ><監獄ロック>より軽いサウンド、軽いノリ、それが心地よい!まるで「軽いもんだぜ、ゲットーからの脱出なんて」と言ってるようだ。
手をふれ、脚を動かせ!行動しろ。その姿はいまもいまの若者にも、しっかりアプローチするカリスマだ。
「チャッチャッとやって月夜の泳ぎを楽しみなよ」と促すような<月影のなぎさ>・・・天才の声、天才の歌、天才の仕業に絶句。
エルヴィス映画とは磁場であり、サロンでありえた映画だったのだ。
それを考えながら<私の恋人>をウクレレひきながら歌うエルヴィスを観ていると熱くなってくる。
フラを踊る女性の動きが美しい。無条件幸福!いったいなんの熱さ?
人間はかくも美しくなれるという畏敬の念が自分の愚かに触れる。エルヴィスが「すてきをめざせ」と言うのだ。
<イトオ・イッツ><スライシン・サンド>が「考え込むなよ、行動だよ」と教える。”穴を掘って淋しさなんか埋めてしまえ・・これが本当のロック遊び!”うん。分かった。リアルで騒げなかった淋しさも埋めてしまおう。
<ハワイアン・サンセット>ああ、もうエルヴィスにおやすみって言ってもらってるハワイが幸福に思えてる。”そしてハワイは昔から恋人の腕の中で花を咲かせる”・・・かんにんしてな。パールハーバー。エルヴィスが志願したチャリティ・コンサートの寄金などで建造されたアリゾナ記念館・・・・エルヴィスの汗で作った劇場で、真珠湾攻撃の映画を見て泣いていた隣の席の白人女性の姿が忘れられない。
<ビーチボーイズ・ブルース>は監獄さえもサロンにしてしまう若さがパワフルだ。
行動していたら不安を感じる余裕もないのだ。それにしても魔法チックで、とっても素敵なシーンだ。
「チャド、くじけないで。やれることはいっぱいあるわ。」・・・そうだ!やれることはいっぱいあるのだ!
カウアイ島に舞台を移しての<愛の島>・・・海辺を馬が歩いていく光景は本当に美しく、見る機会は少なくない。
『ジュラシック・パーク』を引っぱりだすまでもなく、人間はきっと根本的なところで間違いを冒してしまったように思わせる説得力のある光景だ。
アホガールぶるエリーを叱るシーンこそ、ある意味エルヴィスが生涯かけて多くの人のこころを揺さぶったハートかも知れない。たったひとりの人間の孤高の極み。そこから見える残酷を知ればこそ、他者の孤独に手を差し伸べることも意志次第で可能になる。ゲットーを脱出するたまり場にするエネルギーはそこから生まれる。
孤独を避けた集まりはたむろでしかない。エルヴィスの立ち振るまいが美しいのは、この世を見る目線の美しさのせい?
”ゲイツ・オブ・ハワイ、その意味が分からないのかい?”・・・突破していくには、コスプレだって遊んでしまえる心身ともに子供らしさに溢れたパートナーが必要だ。<ハワイアン・ウェディングソング>きっとインド映画も学習したはずだと思ってしまう極彩色こそなんでもありの夢見る絢爛のゴール。
シネスコワイド、美しい色彩と音質が再現されたDVDならではの臨場感。
生活者に向かって「戦後」というキーワードをとどめ的に発射した異次元からのグッド・バイブレーション!
壮大な幻想映画の傑作『ブルー・ハワイ』を見終わり、見終わり、想像する。かって先輩諸氏が暗がりで興奮したポップ・カルチャーの神髄と磁場パワー。
2003年のいまこそ、いまこそハズさず我に与えた給えと!
21世紀になって、日本人はゲットーから脱出したのだろうか?多くの日本人にとって答えはノーである。
21世紀の若者・・・サンから飛び出し、アメリカ中の若者を磁力でひっぱったエルヴィスの年頃の若者は、エルヴィスの磁力を感じ出し、街にエルヴィスの記号が増えつつある。
それは辞書だけをひいて分かったような顔をしているだけのアホで終わるのかもしれない。しかし「ビートルズいいじゃない、レディオ・ヘッド素敵じゃない。だけどエルヴィスってこーゆー手もあるよ」というさらなる「ゲットーからの脱出」への試みなのかも知れない。
同じ価値観、同じ言語、同じ情報から脱出するための兵器としてのポスター、Tシャツ、DVD。そしてそこに舞い降りたエルヴィスの『ブルー・ハワイ』のハワイは、パック旅行のハワイではない。助走の季節は終わったのだ。
「たむろ」と「たまる」のは違う。
意志の実現をブームにしない”たむろ”は人迷惑だけでカッコ悪いが、自分の意志を持ったひとりひとりが、磁力を充電し、ブチかましたい奴らのたまり場としての磁場はカッコいい。それがSOHOを支援するインキューベーターな世界であろうが、カフェあでろうが、インターネットであろうがなんでもいい。
ただ自己実現へ向かうためのエルヴィス・プレスリーであってほしい。
エルヴィス・プレスリーは記号で語れる人ではない。<オールモスト・オールウェイズ・トルー>でも分からないほど深い。
“PPFM”のショー・ウィンドウに飾ってあるアロハ姿のエルヴィスのフィギュアを見ながらボクは思う。
この街でいま、なぜアロハ姿のエルヴィスはカッコいいのか?40年を超えて降臨した『ブルー・ハワイ』のパワーってナニ?
すぐ近くには街挙げてのスーパー出店反対のポスターが目立つ。死に体だったストリートのお店が力をあわせて若者を集める街に変え、ゲンキを取り戻して来た矢先だ。違う想いがぶつかりあう。売れさえしたらコミュニティなんかどうでもいい?神社の隣にラブホテルがたち、その隣にコンビニ、マンション、学校が平然と建っているような奇妙でとんでもない国だ。スーパーがあってもおかしくない?
それを嫌う街でなぜエルヴィスは毎日店頭にいるのか?数軒先のブティックにもエルヴィスのポスターが貼ってある。エルヴィスの写真を見て「この人のポスターお店によく貼ってるね」というキャン・ギャルいカワイイ女の子も増えた。
ママ・チャリで3分という条件も後押ししてくれて、ボクはできるだけ多く、その光景やエルヴィスのフィギュアが見える「磁場」で昼食をとる。幻想するパワーをもらうためにすっかり定着した。
合言葉は・・・おいら(アタシ)ゲットーから出ていくぜ。
「チャド、くじけないで。やれることはいっぱいあるわ。」ノーモアには早すぎるのだ。
ノー・モア
もう星の光が君の髪を撫でるのを見ることはない
もう二人、あの優しい口づけは交わせない
目を閉じれば思い出すよ
1000回の別れも恋の残り火を消せはしない
*愛してる、この心は永遠に
かつての愛の想い出と共に
どうかこの腕の中に戻って
もう一度、恋人同士になろう
そうすれば二度と君をはなさない
もう君の手の感触を感じることはないんだね
もう君の濃い色の瞳が愛で輝くこともない
なぜ君を悲しませたりしたのだろう
二人に明日はないなどと言わないで
*繰り返し
ボク個人の俳優としてのエルヴィスは、これ『ブルー・ハワイ』が星して一番好き。
表情のひとつひとつがイキイキしてすごくいい。気合いが入ってます、気合いの向こうにある嬉々としたエルヴィスが青い海と空とひとつになって、見るものを幸福な気持ちにしてくれる。
カラ元気でもなんでも自分から元気になれば自分の周りの空気は変わるのだ。
NO MORE
No more do I see the starlight
caress your hair
No more feel the tender kisses we used to share
l close
my eyes and clearly my heart remembers
A thousand goodbyes could never put out the embers
*Darling, I Iove you so and my heart forever
We'll belolg to the memory of the love that we knew
before
Please come back to my arms we belong together
Come to me let's be sweethearts agaln
And then let us part no more
No more do feel the touch of your hand on mine
No more see the lovelight making your dark eyes shine
Oh how I wish I never had caused you sorrow
But don't ever say for us there is no tomorrow
*Repeat
ブルー・ハワイ
PDF-1084700
販売価格 2,500円(税抜)
DVD発売元 パラマウント
ホーム エンタティメント
発売中(期間限定ハッピー・プライス対象作品)
■オリジナル英語音声:5.1ch サラウンド
■復元版英語:モノラル
■字幕:日本語/英語
■スクイーズ 2.35:1(スコープ)
■カラー
■101分(本編)
■片面1層
■複製不能
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