G.I
BLUES
G.Iブルース
エルヴィス・プレスリーの音楽
エルヴィス・プレスリーのDVD
エルヴィス・プレスリーの本
なんと言うこと!
グレイスランドのソファに座っているキングを見たとボクの最も信頼する友人が言った。
我が身の周りで、その戯言は、ついに現実になった。
他の者ならいざ知らず信じる人がいうのだから信じるしかない。それにしても彼女が<悲しき悪魔>をお気に入りだったにしても、エルヴィス・プレスリーのファンというわけではない。
しかしボクは俗にいう心霊現象とやらを自分自身が体験している。説明がつかないという理由で否定する気になれない。
おまけに彼女の父親はドイツで同じ事情からエルヴィス夫人であったプリシラとクラスメートだった。
彼は一度グレイスランドにプリシラを訪ねたことがあるという。何の行き違いからか、”ボディガード”に5発の銃弾を車めがけて撃ち放たれたという、穏やかに語る顔が次第に険しくなり呆れ果てた表情に変わっていく様は聞いていておもしろい。それがニュースになるわけでもない話をボクは『ボウリング・フォー・コロンバイン』の町、リトルトンで聞いていた。穏やかなホームタウン。しかし彼女の勤務する会社の同僚はあの事件で子供を失っている。
少なくともメンフィスより安心して歩ける町で、『ボウリング・フォー・コロンバイン』のことを語る気にはなれない。
そんな国だから、キングが怒ってテレビを撃ち飛ばしたといっても別に驚くようなことではないのだと思う。エルヴィスはアメリカ人だ。
キングが実際どのような兵隊暮しを過ごしたのか知る由もないが、映画『G.Iブルース』は一緒に過ごした兵隊仲間が見てもブーイングが起こることもない無難なストーリー。
近日日本で公開されるラブ・コメディ『10日間で男をふる方法』とコンセプトは同じ。40年以上も前の映画だから、比較すると辛いが、エルヴィス映画としては『ブルー・ハワイ』と並んでハリウッド映画らしい匂いがプンプンする。
同じような映画が量産されエルヴィス映画がジャンルとして確立されたために、この2本もその中にファイルされたが、他の作品と少し違う気がする。
追求すればB級映画なのだろうが、いい意味でのハリウッド映画の香りが強いのは、丁寧に作っているからか。
思うにこの『G.Iブルース』『ブルー・ハワイ』のキャラクターを引き出したのはハル・ウォリスとノーマン・タウログ監督か。『エルビス・オン・ステージ』に至る迄ほとんどベールに包まれたエルヴィスの実像を見ることもなかった多くの人にとって、これらの作品によって作られたイメージがサントラ以外の楽曲ともダブっるほどにインパクトがある。それはやはりエルヴィスの演技力の成果なのだろう。それゆえの熱狂とそれゆえの批判は背中合わせ。
不思議なことにボクはエルヴィス的な記号の多くが好きになれないにもかかわらず、それでもエルヴィスが大好き。まず性を一切感じない。ショーン・コネリーの突き出た腹と禿げた頭で、絶対的な主役の座を降りた姿には男を感じる。キャメロン・ディアスのダンスや笑顔には女を感じる。キース・リチャーズやブリトニーのステージにはそれぞれの性を感じる。
しかしエルヴィスにはそれを感じたことがまずない。キリストに性を感じないように、特別な存在であるエルヴィスにも感じないのだろう。ステージに瞬間、鳥肌がたつようなエロスに墜天使の仕業を感じても、それはすでに性を超えている。
その上、エルヴィスの楽曲には時を感じない。瓶につめて海に流した日記のように、年号とともに使い捨てにされた曲にはその時の記録が封じ込まれている。しかしくりかえしくりかえし、いつでも”現在”でしかない楽曲には、ひっかき傷のような落書きこそ随所にあれ、記録は残されていない。
それはおもしろいことに極めて日常的な行為であるほど、非日常の楽曲たちであり続けるのだ。
制作者ハル・ウォリスとノーマン・タウログ監督の二人が世に送り出したエルヴィス映画には女性のファッションとロケ地の今と昔によって少しばかりの時を感じさせる以外、ほとんど時間を感じさせない非日常の世界を作り出して見事だ。
『G.Iブルース』の翌年1961年には同じドイツを舞台にしたスタンリー・クレイマー監督渾身の大傑作『ニュールンベルグ裁判』が公開されている。第二次大戦後のドイツ、ニュールンベルグでのドイツの法律家たちの戦犯裁判。そんなシビアな世界があることを気持ちがいいほど全く考えさせないのがハル・ウォリスとノーマン・タウログ監督によって創出されたエルヴィス映画の本領だ。
それにしても『G.Iブルース』が製作された音楽シーンが、当時のヒットチャートでなんとなく知ることはできるものの、いまひとつ実感として分からないのだが、この作品では、キングのロック性を完璧に破壊している。
もう<ブルー・スエード・シューズ>からこだわりは聴こえてこない。キング自らこだわりを捨てているのだから、もうそれでいいと完結してしまっているが、ピカソを看板屋にしてしまうようなことを平気でやっているわけで、キングもそれが最高に気に入ってるようにイキイキやっているところがすごい。お遊びに興じているような余裕があると考えると当たり前だが実際エルヴィスがいいのだ。
後になって、さすがのキングもこれって変じゃない?ってキレそうになったりするわけだが、ここでは好調そのものの印象を受ける。破壊することで消費され尽くさない永遠のポップ・アイコンにしてしまったところがもうすごいとしか言いようがない。
この時に僅かな人たち、たとえばサム・フィリップスなどを除いて、エルヴィスたるものを壊していると思っていなかったのだろう。
当たり前だ。変幻自在、あれもこれもすべてエルヴィス流に快適に歌い飛ばす。天才の妙。サントラ盤は全米アルバムチャート10週連続1位。チャートインは111週、つまり2年を越えてチャートインされ続けたのだ。この数字が語るのは、誰もエルヴィスを責めることなどできないということだ。キングは創造に向かっていた。
いろんなエルヴィスがいる。しかしゴールデンレコード第1集を間にはさんでサンレコードのもの、ゴールデンレコード第2集から聴こえる「すね者」の肌触りと悲しみをじっと黙して見つめてひとりひきこもるだけひきこもって、その反動を使ってアウトサイダーの謂れのない引け目を抱えながら突進していったソリッドな儚さと、頑丈な壁をブチ抜いてしまった痛みを感じる速さより速いシャウト、ビブラートが唯一無二の楽器になってしまえるエルヴィスの歌そのもの、主張が生まれる以前に魂が感じているそのものが歌になるエルヴィス、語りを音そのものにしてしまえる一体感こそがやっぱりボクには最高だ。そこには青春=純粋、二枚目=清潔のいまどき中学生でも信用しないアホらしいロジックなんかありはしない。エルヴィスのしなやかな感性がもっとも残酷な形で表現されたアートを感じさせない際もの的なジャケット、セルロイドに封じ込めたモノラル録音、あるいは疑似ステレオの怪しさも含めた時に生じるノイズが表現しているシャイな「すね者」ならでは汚れこそがエルヴィスの音楽のリアリティであって、愛おしくもあるエルヴィスそのものなのだ。
それは映画についても同じことが言える。
1960年5月にクランクインした『G.Iブルース』はエルヴィスの傷や汚れをきれいに洗いながしたという意味で画期的な作品だ。エルヴィスの第2ラウンドのすべてはこの映画から始まった。もう女性に触れても何も感じないだろうと思えるようなエルヴィスには、暗がりで歌っていた恥ずかしがり屋の歌ではないはずだ、太陽の下で歌えるエルヴィスらしくないエルヴィスの魅力が満開する映画は、いきなりハレハレのハワイでなく破滅願望の残り香が漂うドイツというのがうまい。というか単に事実に合わせただけなのだが、いい感じ。ライオンは眠っている。のどか〜ッ。テレビのCM並みの間隔でエルヴィスの歌が流れる幸福。
挿入曲の水準が高いので、CDでも楽しめる。もちろんDVDはアーミールックのエルヴィスが堪能できる。これこそが当時、世界中のファンが見たかった姿に間違いない。
<いかす買い物>には破壊し粉砕したロック性の再構築が聴くことができる。抑圧と反撃はメンフィスに預けてここはドイツだ。巧さを蔑視する一方のビートルズ以降のロックスピリットとは、どうにもこうにも対話すら無理なのだが、とにかく巧いのだから仕方がない。思わず引き込まれること請け合いだ。
その上、指人形で子供をあやすなんてことをやってのける。『G.Iブルース』に至る4作品と比較しても、ここまでやるかって感じなのだが、ここまでやって、女性をうっとりさせて、観客が”私のエルヴィス”とレッドカードを段ボール箱ごと渡したい戯れ言を口走ろうが、あるいは反対にエルヴィスだったらもっとすごいことができるはずと語ろうが、それらの残酷な仕打ちをスルリと抜けてモノ化されないままに逝ってしまった痛快、半世紀が過ぎようとしても、なお、キングは消費されなかったのだ。ザマみろって気分だ。
エルヴィスの体内から生じる堕天使のエロスは、エルヴィスを救済し続ける。
日常の中の非日常の空間から聴こえるエルヴィスの存在は、「ボクにはエルヴィスがいた。」ただそれだけなのかも知れない。空気のようだ。
だからエルヴィスを見たという話に何も驚かないし、それ以上知りたいとも思わなかった。どんな服で、髪の色はどうだったとか・・・そんなことはどうでもいいことだ。いつだってキングは過去と未来に時を分けたことはなかったのだから。
しかし彼女にはなぜ、エルヴィスが見えたのだろうか?
それは本当にエルヴィス・アーロン・プレスリーのゴーストだったのか。もしかしたらジェシー・ギャロン・プレスリーのゴーストだったのかも知れない。やれやれの気分に似合う曲は<ポケットが虹でいっぱい>にしておこう。
グレイスランドで遊ぶ堕天使はいまも昔も決して誰にもつかまらない。キング万才!
I don't worry
Whenever skies are gTey above
Got a pocketful of rainbows
Got a heart full of love
MisteT Heartache
l've found a way to make him leave
Got a pocketful of rainbows
Got a star up my sleeve
Kiss me extra tender
Hold me extra tight
Cause l'm saving your sweetness
For a lonely night, aye
Aye, aye, aye, aye, aye, aye
No moTe teardrops
Now that l've found a love so true
Got a pocketful of rainbows
Got an armful of you
Kiss me extra tender
Hold me extra tight
Cause l'm savln' your sweetness
For a lonely night, aye
Aye, aye, aye, aye, aye, aye
No more heartaches
Now that l've found a love so true
Got a pocketful of rainbows
心配なんかしないさ
たとえ空が灰色でも
ポケットが虹でいっぱい
心は愛でいっぱい
だからこの胸の痛み
追い払う方法をみつけた
ポケットには虹がいっぱい
袖の奥には星を隠してあるから
うんと優しくキスをして
うんときつく抱きしめて
とっておくのさ、君の愛を
独りぼっちの寂しい夜のために
Aye,aye,aye,aye,aye,aye
もう涙となんかさよなら
本物の愛を見つけたから
ポケットが虹でいっぱい
僕の両腕は君でいっぱい
うんと優しくキスをして
うんときつく抱きしめて
とっておくのさ、君の愛を
独りぼっちの寂しい夜のために
Aye,aye,aye,aye,aye,aye
もう痛む胸となんかさよなら
本物の愛を見つけたから
ポケットが虹でいっぱい
エルヴィス・プレスリーのCDが整理されます。
エルヴィス・プレスリー国内盤CDカタログ
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G.Iブルース
1960年
DVD発売元 パラマウント
ホーム エンタティメント
監督 : ノーマン・タウログ
主演 : エルヴィス・プレスリー、ジュリエット・プラウズ
Now on sale!
■収録曲:全10曲
What's She Really like(僕の彼女はこんな風)
G.I.Blues(G.I.ブルース)
Doin' the Best I Can(ベスト尽くしたが)
Frankfurt Special(フランクフルト・スペシャル)
Soppin' Around(いかす買物)
Tonight Is So Right For Love(今夜は恋の気分で)
Wooden Heart(さらばふるさと)
Pocketful Of Rainbows(ポケットが虹でいっぱい)
Big Boots(奴のあだ名はビッグ・ブーツ)
Didja' Ever(マーチで行こう)
■オリジナル英語音声:5.1ch サラウンド
■復元版英語:モノラル
■字幕:日本語/英語
■スクイーズ 1.85:1(ビスタ)
■カラー
■104分(本編)
■片面1層
■複製不能
DVD 問い合わせ先
電話 03-3486-5885
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