エルヴィス・プレスリーの音楽
エルヴィス・プレスリーのDVD
エルヴィス・プレスリーの本
エルヴィスとケネディ大統領が描かれたジャケットがカッコいい。<広い世界のチャンピオン>が収まるのに一番ふさわしいカバーかも知れない。
まず最初に。トッド・ヘインズ監督、ジュリアン・ムーア主演『エデンより彼方に』だ。
エルヴィス・プレスリーはいかなるミュージシャンだったのか、知るのに絶好、
あるいはケネディ大統領以前のアメリカの50年代がどんなものだったのかを知るのに最適、
テクニカラー映画『エデンより彼方に』をご鑑賞強くプッシュしてお勧め。
1957年のアメリカ東部コネチカット州が舞台。
「人と違うことがどれだけ大変なのか」ということを同性愛(ゲイ)人種問題を通して豪速球。紅葉がすごくすごく美しいクラシックなテクニカラーの映像。古典的な恋愛映画の様式美で包装。しかし包装からしてどこかブラックユーモア的。羨ましいほどの「これが本当の中流家庭!」のリビングで起こるシリアスな問題を扱い扱い、他人様の家の中、1800円払って覗いているこちらの場所を変えるとコメディにもなりそうな危ういをギリギリに突き進む。
『エデンより彼方に』・・・ケネディ大統領が銃弾に倒れたテキサス。そのテキサスのエデンに陣取るブッシュ大統領が見たらどう思うのかと考えずにはいられない。21世紀に制作された意義と共に、歴史は必ずしも進化しないがリアルにビンビン伝わる。
1958と書かれたポスターが当時の雰囲気を盛り上げる。ニグロの音楽と叩かれながらも、人気絶頂のエルヴィスへの批判が若者の熱狂的な支援に押され少し柔らかくなった時代。
『エデンより彼方に』は3人の男女を中心に、人も羨む幸福な主婦と結果的に巻き添えになってしまう子供までもが、瞬く間に転落していく姿を描く。ジュリアン・ムーアの気品と強さが孤独を引き受けて旅立つ姿に明かりを灯す。映画も人生も素晴らしい!映画はすべての人間に警鐘を鳴らしながら、本質に生きようとする困難とその応援歌になりえる力を持っている。
人種を超えて思いやりと法が存在する一方で、白人が黒人を差別し、黒人が黒人から差別を受け、白人が白人を差別する。エルヴィスがドン・シーゲル監督と組んだ本格的西部劇『燃える平原児』で見せた人と違うことに対する愚かな悲劇が自由の国で展開される。
本質に生きようとしない人には滑稽にさえ写るだろう。あるいは本質を知っていればこそ、そのために受けるデメリットを知る者は黙するのかも知れない。
エルヴィス・プレスリーはこの時代にこそ輝いた。
エルヴィス・プレスリーは人種差別の国土の空に輝いた星だった。
エルヴィス・プレスリーは人と違うことの大変を生涯投じて語った人だった。
『エデンより彼方に』を観て、エルヴィスを聴けば、プロマイド用に笑う顔からは想像できないエルヴィス・プレスリーが聴こえてくるだろう。『エデンより彼方に』を見た上でB.B.キングの回想を読んでいただいたりすると、よりエルヴィスが見えだろう。
エルヴィスのためでなく、社会学、歴史のよもやま話として見ていただいても損はないはず。
エルヴィス・プレスリーはカッコいいミュージシャンだ。
『エデンより彼方に』の主人公に似てカッコいいがゆえにえカッコ悪いのかもしれない。そんなカッコ悪さはとっても素敵。
楽しいこととカッコいいことは次元が違うことなので、比較できないが、カッコいいの定義は人様々で、具体的にはよく分からない。デザインがいいというのはカッコいいの基本で、見栄えといってしまうとそのようだけど少し違う。
抽象的、潜在的であっても他と比較するものがあり際立つものがあるから、カッコいいという表現ができるわけで、「他と違う」ことが前提にある。ただ違えばそれでいいのかというとそうではない。場違い、筋違いはカッコ悪い。
カッコいいというのは人と違い、かつオリジナルで、原理原則から逸脱していない。どのような曲を歌おうがキングの素晴らしさは音楽の根源、規則から逸脱しない。音楽の根源とはなにかと言うと人に対して、時には動植物にさえ語りかける力のあることだと思う。どのような曲にも対処できたのは、音楽に共通する規則を見出し、どのような曲であっても語れるように自らを鍛え上げたことだ。しかもごく初期の作品を除いて大半をひとりで実現した。
どのようにしてそこに、あるいは「オリジナル」に辿り着くのだろうか。
創造する仕事にかかわっているたいていの方なら分かっているだろうが、基本は「コピーしまくり」にある。
著作権にもっともうるさいアメリカにして「模擬はもっとも誠意ある称賛である」という言葉あり。ただしそのコピーの量が半端じゃものにならない。半端な場合は「コピー(真似)」がエンドクレジットになる。それで終われば幸運、時には顔には批判を浴び、背中には莫大な罰金を負う。
膨大な模擬と学習を重ねて重ねて自分を発見する。それが”カッコいい”輝く自分を見つける黄金の扉。「スタートレック」や「スターウォーズ」熱愛の国民性も道理かな。
最近よく聞くフレーズで言うなら”偉大なるエルヴィス・プレスリーさま”が、カヴァーしまくり、レコード売りまくり、キングになったことは、いかにエルヴィスがオリジナルであったかの証明に他ならぬ。その裏には、いかにエルヴィスがプロになる以前から意識、無意識の両面による学習の膨大な量が「模擬」によって為されたかが潜んでいる。しかも情感豊かな、その表現力からして、キングにとっては心の学習でもあったはずと推測する。
「この歌の主人公の気持ちはどうなんだろう」「ボクならこう考えるけどな」というように、キングは考えたのではないかと、ああまた今宵も愛ピの妄想地獄。
当時の白人は長い差別の歴史にあって、リベラルな人でさえも、黒人とどう接していいのか分からない。
当時最新のメディアだったテレビの力を使って広大なアメリカに知らせたエルヴィスその人とエルヴィスの音楽は少なくても、もしかしたら黒人に近づくことはできるかも知れないと白人に思わせ、黒人には誇りと希望を与えただろう。しかしその一方で白人からも、黒人からも批判される対象になっただろう。それも含めて先にあげたB.B.キングの回想を読んでいただいたりするといい。
ローリング・ストーンズは年々カッコいいバンドになっている。それは彼らがブルースにこだわり続けることで、音楽的にも音楽家としても、そのオリジナル性が高まっているからでないか。
おそらくストーンズはなんらかの事情によってバンドが終わった後、現役時代以上の評価を受け神話化されるだろう。
ボブ・ディランが驚くようにエルヴィス・プレスリーは、生前以上にその存在が重みを増し伝説的に、神話化されている。キングはカッコよかったのだ。
<広い世界のチャンピオン>はキングがボクサーに扮した62年度作品『恋のK.Oパンチ/Kid
Garahad』の主題歌。1961年ハリウッド・レディオ・レコーダースに於いて録音。
ハリウッドの名優ジェームス・ギャグニー主演で制作された映画のリメイク。
随分エルヴィス用にアレンジされていると想像する。
貧乏な男は貝を欲しがり
金持ちの男は真珠を欲しがる
でもたとえ一文無しでも
明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ
*さあ歌おうぜ
みんなで歌おうよ
だってたとえ一文無しでも
明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ
金持ちの男はお姫さまを欲しがり
貧乏な男は普通の女の子を欲しがる
でもたとえ一文無しでも明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ
*2回くり返し
貧乏な男は金持ちにあこがれ
金持ちの男は王様を夢見る
でもたとえ一文無しでも明るく歌えるヤツこそ
この広い世界のチャンピオンなのさ
*2回くり返し
この広い世界のチャンピオン
この広い世界のチャンピオン
A poor man wants the oyster
A rich man wants the pearl
But the man who can slng
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world
* Come on and sing
Sing brother sing
'Cause the man who can sing
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world
A rich man wants a princess
A poor man just wants a girl
But the man who can sing
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world
* Repeat 2 times
A poor man wants to be a rich man
A rich man wants to be a king
But the man who can sing
When he hasn't got a thing
He's the king of the whole wide world
* Repeat 2 times
Of the whole wide world Of the whole wide world
シングルカットされずにEP盤でリリースされたサントラという不遇な<広い世界のチャンピオン>だが、それでもヒットチャート30位まで達した。ブーツ・ランドルフのロックンロール、ノリノリ、サックスががっちりサポートするこの楽曲には、エルヴィスの本質の爆発がある。
当時ビッグスターであるエルヴィスが歌っても嘘としか聴こえない歌詞。それでもエルヴィスを知るほどに、エルヴィスが一番欲しかったのは、こういうことなんだろうと人々を納得させる力のある曲だ。
ありきたりな歌詞のように聴こえはしても、うわべで生きることを嫌うと、ありきたりを手にすることすら困難になる。歌とは裏腹にありきたりでないことを余儀無くされたキングがいる。人と違うことの誇りと孤独がビートに乗って大暴れ。Come
on and singの声が泣いている。ビートする声と一緒にたまっていた涙のしずくが飛散する。誰に向かってCome
on and singと呼びかけているのか。エルヴィスには誰も見えなかったのではないかと思わせる声に、これぞ!エルヴィスの思いと切なさが響く。もっと叫べ。もっと叫べ。魂が聴こえる。貧乏の恐怖が身にしみ込んだ
金持ちの男は、たとえ一文無しでも明るく歌えるヤツになりたかったのさ。本当のキングにね。
映画のオープニングで歌う姿はキング、エルヴィス本来の姿ではない、70年代ライブが語るように、ロックであれバラードであれ、全身を使って歌う姿こそキングの姿。40年前の音楽界、映画界にあって世界の誰からも愛されるための映画出演に追われその宿命からロック性を失いながらも、ロックンロールが何であるかを自然体で語り続ける声にこそキングの真実がある。
スキャンダル、ゴシップ、暴露、さまざまあれど、して、それは本質か?エルヴィス・プレスリーをうわべで見ないでもらえたらうれしい。
キング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーが遺した60年代の傑作のひとつ。色あせない。
キャムデン盤アルバム『カモン・エヴィリバディ』に再収録された。
2002年8月にリリースされた『Today,Tomorrow And Forever (Disc 2)』には興味深いテイク違いが収録された。
エルヴィス・プレスリーのCDが整理されます。
エルヴィス・プレスリー国内盤CDカタログ