1.That's All Right
2. Blue Moon Of Kentucky
3. I Don't Care If The Sun Don't Shine
4. Good Rockin' Tonight
5. Milkcow Blues Boogie
6. You're A Heartbreaker
7. I'm Left, You're Right, She's Gone
8. Baby, Let's Play House
9. Mystery Train
10. I Forgot To Remember To Forget
11. I'll Never Let You Go (Little Darlin')
12. Trying To Get To You
13. I Love You Because
14. Blue Moon
15. Just Because
16. I Love You Because (2nd version)
ラジオのDJだったサム・フィリップスによって1952年に設立されたサンレコードはエルヴィス、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ロイ・オービソン、ジョニー・キャッシュなど伝説的シンガーを続々と誕生させたが、激しい音楽業界の浮き沈みの中に1969年に挫折した。
サム・フィリップスはカントリーソングをセールしていたが、同時にメンフィスの黒人たちのR&Bも制作し、主にシカゴを中心にセールスしていた。この頃からサム・フィリップスは「ニグロのように歌える白人のシンガー」を探していた。もしそれが出来たら必ずヒット曲を出せて儲かること間違いなしと考えていた。しかし模擬はできても黒人のフィーリングで歌える白人はいなかった。
そんな1953年7月、18才のエルヴィスがメンフィス・レコーディング・サービス(素人相手のレコーディングを業とするサンレコードの別会社)を訪問する。自分のレコードを作るためだ。そこで<マイ・ハッピネス>と<心のうずく時>の2曲を吹き込む。この時の<マイ・ハッピネス>は<ザ・グレート・パフォーマンス>に収録されている。
その後1954年1月4日、再びメンフィス・レコーディング・サービスを訪問、この時にサン・レコードの共同経営者マリオン・キースカー女史はエルヴィスに尋ねる。「あなたは誰に似ているの?」対してエルヴィスは「僕は誰にも似ていません」と答える。マリオン女史は手帳に「バラードが上手な青年、エルヴィス」と書き残した。
1954年6月、サム・フィリップスは音楽出版社から<WITHOUT YOU>という曲のデモテ−プを入手する。その曲を気にいったサムはレコード化を考え、その黒人歌手を探すが、判らなかった。
その際、マリオン・キースカー女史が「あのバラードが上手な青年を使ったら?」と意見を出し、エルヴィスを呼び寄せる。
数回のテイクを重ねたものの、結局はものにならなかったが、サムはエルヴィスに惹かれるものを感じ「バンドを作る」ことを促す。全く経験のないエルヴィスにギタリストのスコッティ・ムーアとベーシストのビル・ブラックを紹介し、練習をするように指示を出す。
7月5日。練習の合間、休憩中にエルヴィスは全身を震わせながら突如<ザッツ・オールライト・ママ>を歌い出した。それは誰も聴いたことがないようなニグロと白人のフィーリングがミックスされたサウンドだった。衝撃が走る。
続いて、その余韻のさめない内に<Blue Moon Of Kentucky >が歌われた。
ドアが開き、サムが飛び出してくる。「おい!凄いぞ!いままでのサウンドと全く違う!それはポップ・ソングだ!」ニューミュージック誕生の瞬間だった。
いまもメンフィスのサンレコードの看板には「ロックンロールの発祥の場所」と書かれている。
7月7日、サムは「That's All Right /Blue Moon Of Kentucky」のシングル・アセテート盤を持ってラジオ局を回った。その夜9時30分頃、ラジオで放送された。その日エルヴィスは自分の歌がラジオから流れることの、恥ずかしさから映画館に逃げ込んでいた。結局5000本のリクエスト電話が殺到した。
その翌日から、エルヴィスが町を歩けば、「おい、アイツか、アイツかよ」という言葉が町中で囁かれ出したという。
その日から今日までそれは46年間続いていることになる。
このサン・セッションはエルヴィス、ギタリストのスコッティ・ムーア、ベーシストのビル・ブラック、そしてサンレコードのオーナーであるサム・フィリップスの4名の熱情から誕生したものだ。
もし、エルヴィス・プレスリーがこのアルバムを録音しただけでそのキャリアを終えたとしても、永遠にその名を音楽史に残したに違いない。それほどこのアルバムはすごい。この後に巻き起こったエルヴィスとロックンロール旋風のあまりの凄さゆえに、このアルバムのポジショニングが曖昧になりがちだが、エルヴィスの爆発を聴くことができる。
ここにあるエルヴィスからは、その20年後に起こったパンク・ムーヴメントとほぼ同じ精神世界を聴くことができるし、逆に進めば古くはエリック・クラプトンが敬愛してやまない伝説のブルース奏者ロバート・ジョンスンに辿り着く。
凝縮されているのがボブ・ディランがカヴァーした<Milkcow Blues Boogie >だ。ここには一日の苛酷な労働が終わった夕べに、遥かなる地平線に視線をやり「惚れたお前ともお終いだ。」ここにいるエルヴィスは60年代の優しいエルヴィスではない。牛の屍に唾を吐き捨てて、「ここから出ていくぜ!」と言わんばかりの激怒と決意が漂っている。痛いくらいに悲しく、せつないが、その刹那さを蹴散らす意志が激しいビートに刻まれている。スコッティのギターが絶品だ。
けだるい出だしから、一転激しくドライブしていく。このドライブ感は見事だ。美しい。このエルヴィスを聴くと、サンが次々と世に送りだしたロカビリーの戦士たちとエルヴィスがナニが違うのかが判るはずだ。
「ミステリー・トレインをシングル・リリースしたことがエルヴィスにしてやれた最大の貢献だった」とサムは語っている。
エルヴィスにすれば、この曲はリハーサルで止まっていたと思っていた曲だった、サムが勝手にリリースしてしまったのだ。
これからも判るようにサム・フィリップスのプロデユースなしにエルヴィスの誕生はなく、ロックンロールの誕生もなかったかもしれない。サム・フィリップスには「思い」があった。その手助けをして具現化しょう躍起になったのがギタリストのスコッティ・ムーアだったのだろう。サム・フィリップスにはイメージがあり、そのイメージをはっきりと形にして表現できたのがエルヴィスであり、それにスコッティが触発されてサムのイメージをどんどん形にしていく。エルヴィスはスコッティのギターにより、自分のこころの奥にあったものがどんどん目覚めていく。サムは自由にプレイさせ、その光景のなかから自分の探していたものだけを集めようとしたに違いない。エルヴィスとサムの共通するものだけが最後に残っていく。それがこのサン・セッションであり、4人の男たちが叶うかどうか分からない夢に夢中に取り組んでいた証だ。
<Hound Dog>を自分の納得のいくまで50回もテイクしたというエルヴィスのレコーディングスタイルもこのサン時代に形成されたに違いない。
キース・リチャーズは「なぜ56年に突然、ロックンロールが誕生したのか不思議だ」と語っている。また「カントリーとR&B、その他の音楽をミックスしたとかいうけれど、ミックスしたらできるってものじゃない」とも。
有名な「おれたちはこの町から追い出されるぞ」という言葉が放たれた楽曲の数々。
このアルバムに収録されているのは、どれも貴重な音源だが、なかでも
4. Good Rockin' Tonight
5. Milkcow Blues Boogie
8. Baby, Let's Play House
9. Mystery Train
は屈指の名曲だ。
19〜20才の人間のこころにナニがあってこれだけのものを歌えたのか。
エルヴィスの人間的魅力を感じずにはいられない『名盤』だ。
2000円でこれだけの体験をできるというのは、恐ろしく安い話だ。3食抜いてでも買うべし!!
今回のサン・セッションはオリジナルに手を加えていない「紙ジャケット盤」のCDをアップロードしました。
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