|
||
「おまえ、ひとりぼっちでしょげているんだね。」 |
||
Suspicious Minds |
||
全編にジャズのビートが漂う五木寛之初期の小説「さらばモスクワ愚連隊」の一節に「素晴らしい芸術は素晴らしい魂から生まれるとは限らない」という意味の台詞がある。このDISC-2の最初の出だしの声を聴いたら、その言葉は声と共に遠くに消え去っていかざるを得ない。----<This Time >エルヴィスの声が楽器よりも先に飛び出す----<愛さずにいられない>を始める前にいつものおふざけで歌われた曲。ほんの僅かしか歌われないが、ここには素晴らしい魂が存在していると確信するだろう。確信するのに1秒とかからない。カリスマの声から伝わる柔らかい心の感触が聴く者の心を癒していく。声に宿るハグの感触が空間に漂い、聴く者をそっと抱きしめる。それは贅沢な時間。情報が氾濫しゆっくりと過ごす時間が損なわれがちな傾向にある日々、誰もが自分を失いがちになる暮らし、「キミはキミでいいんだよ」ってささやくような声でもある。<Who Am I? ><Do You Know Who I Am? >や <True Love Travels On A Gravel Road>等など間違いなく、このしなやかな、柔らかい心はそう言ってると確信する。切ない情感がほのかに聴くものの身辺に煙草のけむりのように、しかしその香りはあくまで甘さに包まれながら流れていく。「傷つくのも、傷つけるのもいやだよね」って言ってるようだ。 この<Suspicious Minds〜THE MEMPHIS 1969
ANTHOLOGY>はエルヴィスに音楽的自信を取り戻させた68年の『NBCTVスペシャル』の後、<From
Elvis in Memphis><Back In Memphis>をリリースするために行われた69年1月のセッションを収録したもの。 それはまるで<Only The Strong Survive /強く生きよう>が具現化されたようなセッションだ。そのプロセスを通じて、エルヴィスに、確かなアイデンティティを思い起させ、歩むべき道標を与えた、真のターニング・ポイントとなったと言えるだろう。 |
||
伝記『LAST TRAIN TO MEMPHIS/ エルヴィス登場!!』を出版したピーター・ギュラルニックのライナーノーツを前田絢子さんが翻訳したものが添付されている。その中の一節。 たとえエルヴィス・プレスリーの歌を一度も聴いたことがなかったとしても、その晩に行われた、これら細心の注意が傾けられた23のテークを聴けば、ただ脱帽せざるを得ないだろう。歌は、まったく気取らず、ほとんど透明なまでに雄弁で、単純さの中に静かな自信が込められ、それら全体が、アメリカンのスタイルの特徴であるエレガントで、飾り気のない小さなグループのパッキングによって支えられている。こうして、ほとんど否定しがたい主張ができ上がった。後で、ドラマチックな味付けを添えるために、ホルンとヴォイスがこれにオーヴァーダブされることになる。しかし、最初のテークには、一種の優しさが聞こえてくる。それは、エルヴィスが初めてサム・フィリップスのスタジオを訪れた時を思い起こさせるほどで、熱い憧れと社会的同情とを訴える声が聞こえてくる。ミュージシャンたちには、これが決め手になった。アメリカンのレギュラーで、トランペット奏者のウェイン・ジャクソンは、オーヴァーダブの前にこのセッションを観察していて、こう言った。「彼の歌は、まったくすごい。初めて『イン・ザ・ゲットー』を間いたときは、やたらしみったれた歌だと思っただけだった。それが、参ったよ。すごいんだから。最高だよ」。歌が発展していく過程で、いくつかの小さな修正がほどこされ、エルヴィスは自分の間違いをすぐ認め、進んでそこを直した。その情景を見ていた者は、もしも以後も一貫してエルヴィスが、芸術としてレコーディングに関わることができたとした5、こうなるに違いないという方向をはっきりと見せつけられたものだった。その間もずっと、普段は角のある人物と思われているチップス・モーマンが、おだやかで控えめな態度に終始し、まるでセッション・ミュージシャンとエルヴィスが見事に調整された一つの楽器であるかのように、全員を激励して、セッションを動かし続けた。 |
||
好きな女にふられただけなのに。 いいかい、 生きていれば人生には数えきれないほど沢山、 辛いことがあるんだよだから、 母さんの言うことをよくお聞き、 さあ立5上がるんだよ。 だって強い者だけが生き残れるんだからね <Only The Strong Survive /強く生きよう> |
||
ライナーノーツはこう締めくくっている。 ここには、この歌(「強く生きよう」)に対してエルヴィスが覚えた共鳴が、見落としようもなく響いている。この歌は、「イン・ザ・ゲットー」および「サスピシャス・マインド」と共に、アメリカンのセッションで達成された最高の芸術水準を示している。それは、新しい混合種を、すなわち、エルヴィスがはっきり打ち出したコンテンポラリー・ソウルと、「オールド・シェップ」のようなカントリーとを掛け合わせた新しいスタイルを宣言するものであった。チップスは、これ以上あり得ないほどレコーディングの作業に打ち込んだし、エルヴィスの注意力は、29の圧倒的なテイクの間中一時も、乱れるようなことはなかった。フレディ・ビーンストックでさえも、自分の役割が小さくなることに落胆していたにもかかわらず(自分が持ち込んだ曲ではなかったのに)、興奮を隠すことはできなかった。彼は、セッションが終わり、ニューヨークに戻る飛行機の中で、偶然ボブ・ディランと乗り合わせた。『ナッシュヴィル・スカイライン』と題するカントリー・アルバムのレコーディングを終えたところだったディランに、彼が話せたことは、エルヴィスが「強く生きよう」をいかに見事に歌ったかということだった。 それは、誰もが例外なく、大いなる満足をもって思い返したセッションだった。RCAは、ついに売れる商品を獲得出来たゆえに。フェルトン・ジャーヴィスは、彼が確信していたとおりエルヴィスがスタジオで生気を取り戻してくれたゆえに。チップス・モーンは、プロデューサーとしての力量を証明し、彼が指揮者であることを明らかにしたゆえに。そしてエルヴィスはと言えば、何よりも、最大の満足感を覚えるようなやり方で、自分の内面を歌い上げる機会が与えられたゆえに。商売優先の退屈な世界にずっと閉じこめられていて、近年、ほとんど味わったことのない満足感だっただけに。 その圧倒的な勝利にもかかわらず、このような出来事は、以後二度と起こらなかった。翌年、レコーディングの時期がやってきた時、再び政治が介入してきて、エルヴィスはナッシュヴィルに戻って行った。その年と、その翌年、エルヴィスはナッシュヴィルで、優れたレコーディングをしているが、しかしチップス・モーマンの小さなスタジオの創造的な発酵剤がもたらした、あの見事なインスピレーションは戻ってこなかった。アメリカン・スタジオは、サンを除けば、エルヴィスにやる気を起こさせるプロデューサーと出会えた唯一のスタジオであった。それが二度と起こらない運命だったとしても、それが一度だけ起こったことを、感謝しなければならないだろう。素朴で無経験の19歳の若者が、サン・スタジオに足を踏み入れて、どんどん先に突き進むように励まされて、若い熱情をレコードにしたあの日から、15年後の出来事であった。 |
||
かってエルヴィスを慰め癒した楽曲が、いまエルヴィスの声というフィルターを通して 柔らかな肌触りで人々の気持にそっと響く。 エルヴィス・プレスリー・・・・"Artist of the Century"・・・・4半世紀の決して永いとは言えない活動で生み出された楽曲はどれも誰も傷つけることはない。 それにしても<Suspicious Minds〜THE MEMPHIS 1969 ANTHOLOGY>は著しく素晴らしい。 サン・スタジオで答えた「僕は誰にも似ていません」 いま、その言葉が重い。19才の決意が胸を打ち続ける。 ありがとう、エルヴィス。 |
||
1.This Time / I Can't Stop Loving You |
||
ELVIS PRESLEY コレクション トップ 20世紀不滅のロックベスト100アンケート募集中! |
||
|
||
http://www.genkipolitan.com/ |