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愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクションエルヴィス/今週ノおススめエルヴィス・プレスリー全仕事エルヴィス全曲名エルヴィス全アルバムエルヴィスSongBookエルビス映画エルヴィス/電脳シアターエルヴィス/エッセイエルヴィス/写真館エルヴィス/WHO'S WHOELVIS Kidsエルヴィス ロックな書き場ミュージカル「エルヴィス・ストーリー」

ロックンロールという言葉はエルヴィス登場以前にあるラジオ局のDJが発した言葉だという。
その後、映画「暴力教室」のテーマ曲としてビル・ヘイリーの<ロック・アラウンド・ザ・クロック>が歌われ、これがロックンロールとしてヒットした。と、言ってもピエロはこの曲はグレン・ミラーのようなバンドの延長線にあるような気がする。
56年には女性シンガー、ケイ・スターの<ロックンロール・ワルツ>がビルボード第一位になっている。と、いっても曲自体はバラード。


1956年エルヴィスはーーーーエルヴィスはRCAからデビューした。
その記念すべきアルバムが『ELVIS PRESLEY/エルヴィス・プレスリー登場!』


1月10日 <I Got A Woman >を皮切りにRCAで初のレコーディング・セッションを行う。

1月27日 RCA初のシングル<ハートブレイク・ホテル>を発売。

1月30日 <ブルースエード・シューズ>を録音。

2月にTV『ステージショー』3度出演

2月 サンからリリースした<忘れじの人>が全米カントリーチャート第一位になる。

3月13日 アルバム『ELVIS PRESLEY/エルヴィス・プレスリー登場!』リリース
     
1.Blue Suede Shoes
2. I'm Counting On You
3. I Got A Woman
4. One-Sided Love Affair
5. I Love You Because
6. Just Because
7. Tutti Frutti
8. Tryin' To Get To You
9. I'm Gonna Sit Right Down And Cry (Over You)
10. I'll Never Let You Go
11. Blue Moon
12. Money Honey

■<Blue Suede Shoes ><Tutti Frutti ><I Got A Woman><Just Because>の4曲をアルバムからカットしたEP盤も同時にリリースされる。

■また2枚組のEP盤も同時にリリース、こちらは以下の8曲

Blue Suede Shoes
I'm Counting On You
Tutti Frutti
Tryin' To Get To You
I Got A Woman
One-Sided Love Affair
I'm Gonna Sit Right Down And Cry (Over You)
I'll Never Let You Go


3月17日  <ハートブレイク・ホテル>ビルボードカントリー・チャートで第一位になる。

3月24日  6回目、最後の『ステージショー』に出演

4月 3日 『ミルトン・パール・ショー』に出演、
      サンディエゴの海軍補給基地の空母から中継

4月 6日  パラマウント映画と7年契約を締結(1日にスクリーン・テスト)

4月23日  ラスベガス、ニューフロンティア・ホテルに4週間の予定で出演
                         (不評で2週間で終了)

5月 5日 『ELVIS PRESLEY/エルヴィス・プレスリー登場!』
      全米アルバムチャート第一位
      RCAビクター史上最高の売上を記録

7月 1日 テレビ『ステーブ・アレン・ショー』に出演。
     非難を考慮し、タキシードを着用させ、体を動かさずに犬に向かって歌わせる。
     まるで道化師だ。ステーブ・アレンは「好評だった」とコメントした。
     エルヴィスは「仕事だから我慢するよ。」とスコッテイ・ムーアに語る。

7月13日  <冷たくしないで/ハウンドドッグ>リリース
      このシングルもRCAビクター史上最高の売上を記録。

8月10日  <冷たくしないで/ハウンドドッグ>共にビルボード第一位。

フロリダ州少年裁判所判事、エルヴィスに体を動かせて歌うことを禁止命令。
違反した場合、即刻逮捕するとし、監視されながら、コンサートを行う。

若者がエルヴィスを支持。擁護運動が起こる。
アメリカの歴史において初めて世代間ギャップが発生。若者文化の誕生。

ロックンロール・ブームが全米に巻き起こる。
レコード業界の売上は一挙に3倍になる。


8月31日 RCAは急遽、『ELVIS PRESLEY/エルヴィス・プレスリー登場!』に収録されて     いた全12曲を6枚のシングルにして一斉にリリースする。
     音楽業界史上空前絶後。
     

9月9日 テレビ『エド・サリバン・ショー』に出演。視聴率82%。
      若者文化の確立を意味する。

11月3日 <ラブ・ミー・テンダー>ビルボード第1位

11月16日 映画第1作『やさしく愛して』公開。

12月8日、2作目のアルバム『ELVIS』をリリース。

そしてーーーー

12月29日 ビルボード始まって以来の快挙!
      トップ100に同時に10曲をチャートインさせる。

1957年

1月6日 3度目、最後の『エド・サリバン ショー』に出演。
(以後、テレビ出演は、シナトラ・ショー、NBC スペシャル、ハワイ・サテライト中継3回のみ)

当時の社会情勢を考えた時に、この『ELVIS PRESLEY/エルヴィス・プレスリー登場!』の表現はやっぱりスゴイ。
ヒットチャートナンバー1になった<ハートブレイク・ホテル>は営業上の政策で意識的に外されているが、ここには永遠のチャレンジャー、エルヴィス・プレスリーがいる。

このレコードは人種差別の問題を根源とする多種多様な理由の非難によって、多くのヒットシングルとあわせて燃やされもした。しかしエルヴィスは「エルヴィス・プレスリーの音楽」が決して間違っていないと信じていた。

サン・レコードのサム・フィリップスは最初にエルヴィスに会った時にどんな種類の音楽が歌えるのかと尋ねた。「僕は何でも歌えます」「僕は誰にも似ていません」この言葉はそのままエルヴィスの人生となった。

サムに歌ってみろと言われたエルヴィスは知ってる限りのあらゆるジャンルの楽曲を歌ってみせ、サムに衝撃を与えた。
「僕に必要なものは、僕のアイデアを一緒に作り上げてくれるバンドです」といい、その言葉はそのまま真のロックンロールの創造となった。それはロックンロールをめざしていたというより、黒人の音楽と白人の音楽はひとつに融合できるというアイデアだったのだと思う。

その点が先に出された<ロック・アラウンド・ザ・クロック>やエルヴィスを追いかけたロカビリーたちと決定的に違うのだと思う。
そしてそれはそのまま最後までエルヴィスの道になった。

音楽という芸術の測り知れない可能性を切り開いた。


3つの契約、ロック史上最大の悲劇

1955年、エルヴィスの才能に惹かれたトム・パーカー大佐はRCA、CBSコロムビア、アトランティックの3社とサンからの移籍の交渉をした。それは自身がマネジャーになるための手順でもあった。契約金2万ドルがパーカー大佐のボーダーラインだった。
最終的にRCAと2万5千ドルで契約。しかしエルヴィスの感激は、同時にロック史上最大の悲劇と呼ばれること表裏一体だった。

パーカー大佐がRCAと契約と同時にヒル&レインジ出版という音楽出版社との契約を交わしてしまったことで、エルヴィスはこの出版社の管理している曲か、この出版社の抱える作家の曲しか歌えなくなってしまう。エルヴィス・プレスリー出版社も設立されるが事実上このヒル&レインジ出版という音楽出版社の専属アーティストということだ。それ以外の曲を歌おうとする場合、楽曲を提供した作家たちは著作権料の一部をこの出版社に支払うことを要求されることになる。これはヒル&レインジ出版に属さない売れっ子作家には自分の取り分をピンハネされるのと同じ状態を意味する。

これによって徐々にエルヴィスには質のよい作品が提供されなくなってしまい、それはエルヴィスの才能を凍結することになってしまった。それはロックンロールの発展の凍結を意味した。ロックンロール史上最大の悲劇と呼ばれる由縁だ。

この著作権料の問題は<ハウンドドッグ><監獄ロック><ラヴィング・ユー><やさしくしてね>などのリーバー&ストウラーや<恋にしびれて><冷たくしないで><心の届かぬラヴレター>のブラックウェルのような素晴らしい楽曲を作れる人に対しても同じく適用された。
エルヴィスがこの事実を知ったとき、エルヴィスは愕然とし、優秀な作家たちにそんな要求をするのは中止しろと言ったという。

エルヴィスが絶頂期の場合は著作権料を分け合ってもメリットも大きいものであったにしても、ビートルズが全米を席巻した後、本来ならより素晴らしい楽曲を獲得することが必要であったにもかかわらず、逆に急速に悪化したのは、売り上げが低下する分、さらにコストダウンを求めて売れない作家のものを歌わせたのが原因だろう。ビートルズやストーンズらが人気を呼んでいても、エルヴィスはやはりアメリカの大スターであってエルヴィスであれば売れるという現象は続いた。その喜ぶべきことが、悲劇的だった。才能はより封印され、エルヴィスのキャリアに大きな傷跡を残した。

もうひとつが映画会社との長期契約。ここにも同じような原理が働いた。マネジャー、トム・パーカー大佐のこれまた光と影である。

エルヴィスの光と影を語った書物や情報がたくさんあるなかで、ひどい中傷に満ちたものも多い。その原因を作っているのは実はエルヴィス本人の問題というより環境が原因のものだと言える。

エルヴィス以前にエルヴィスはない。それはこれだけのスターをどう処遇すればいいのかというモデルがないという意味だ。
エルヴィスの周辺に集まった誰が、ロックンロールのような風変わりな音楽が脈々と続くことを予測しただろうか?
エルヴィスは自分の環境が作られていた時、この世界のことは何も知らなかった段階にあった。
それを弱冠21歳の田舎からやってきた青年に考えろと言っても酷な話ではないか。
一体誰がそんな計算ができるというのだ。ましてエルヴィスはアーティストであってビジネスマンではない。会社勤めのサラリーの計算は出来ても、アルバイトで稼ぐ金の計算は出来ても、スーパースターの計算は出来なかったし、なによりこの時点で自分が世紀のスーパースターになれると想像もしなかっただろう。

おかげでエルヴィス以降に登場したヒーローたちはエルヴィスの光と影をモデルとして考えることが可能になった。

ピエロが一番大好きなエルヴィスの写真。

次の写真はピエロが一番大好きなエルヴィスの写真。
1956年ニューヨークへ行ったエルヴィスが買い物しているスナップ。
この時のエルヴィスの気持ちを考えたら、胸が焦げそうになりますよ。
おそらく人生で一番幸せな時間だったと思うのです。

奇妙なキャリア

エルヴィスはその才能を発揮しえたかというと、「とんでもない、氷山の一角でしかない」と断言できる。

エルヴィスのキャリアはまことに奇妙だ。
まず、<ザッツ・オールライト/ブルームーン・オブ・ケンタッキー>でデビュー。リスナー、業界人に衝撃を与え順調なプロ・デビューを飾る。その後<今夜は快調!><ミルクカウ・ブルース・ブギー><ミステリー・トレイン>をリリース。
その能力の開拓は激しく進む一方だ。素晴らしい進歩だ。断然後になるほど素晴らしい。しかしセールは才能の開花とは逆に下降していく。要するにエルヴィスの卓越した表現は当時では難解で、リスナーがついていけない現象が起こっていたのだろう。

その後、RCAに移籍、メジャー・デビュー。<ハートブレイク・ホテル>というまことに恐るべき素晴らしい曲を発表する。これはサンの集大成と呼んでもいいだろう。この曲はその後にヒットチャートを占領した数々の曲と比べても完璧な出来栄だ。

その後、まるで誰かが「おい、あんまりやりすぎるなよ」って言ってるような気がするくらい傾向としては軽快で馴染みやすいものになっていく。
ヒル&レインジ出版の問題が根源にあるにしても、ゴールデンレコード第二集ではさらに分かりやすい曲になっていく。軍隊からカムバックしての<考え直して>などでその本領をみせつけるが、その後のアルバムではますます分かりやすくなっていき、「オー・ソレ・ミオ」をアレンジした<イッツ・ナウ・オア・ネヴァー>は2000万枚の大ベストセラーになり、ハワイアンにチャレンジした『ブルーハワイ』はアルバム・ヒットチャート20週連続1位という超メガヒットになってしまう。

その後、時が過ぎ『エルヴィス・イン・メンフィス』で素晴らしい新境地を聴かせる。これには素直に馴染める人と、違和感を感じてしまう人に別れるだろう。
その後、ライブ主体になり、レパートリーは広がる。歌唱力、表現力はどんどん素晴らしくなっていくが、やはり曲の傾向はどんどん分かりやすくなっていく。

エルヴィスの才能が磨かれ高い難易度をクリアするたびに、歌われる曲は逆行してないだろうか?常に「芸術」よりも「ビジネス」が優先されたように思えるのだ。「ファンに応える」それがエルヴィスに課せられた、あるいは自ら課した最大の「ビジネス」だった。
それは貧しい田舎の子だった自分を裕福にしてくれた、民主主義国家アメリカへの敬意でもあったのではないだろうか。



"IF I CAN DREAM"

ロックファン、それも知的ロックファン(そんな人がいるのならだが)にはエルヴィスは好意的に見られていない場合が多い。しかしその判断はあまりに短絡的に過ぎないだろうか?
はたして<アメリカの祈り>はコケおどしの大袈裟で保守的な茶番なのか?<ブルー・スエード・シューズ>の対極にあるのか?
一体誰がイタリア民謡を2000万枚も売ることができる?
一体誰がハワイアンアルバムを半年もヒットチャートのトップに置くことができた?
ひとりでも多くの人の心に届く歌を歌いたい。その人生観をどうして間違っていると言えるのだ。
その解答は歌声の中に容易に見つけることができる。

エルヴィスのキャリアに一貫して脈々と流れているのは、「個人の尊厳を守る自由」であり、それこそがエルヴィスの「善」であり、エルヴィスの「ロックンロール」であり、「エルヴィス・プレスリーの音楽」そのものだった。ひとりでも多くの大衆から愛される歌。それは民主主義そのものではないだろうか?
エルヴィスの音楽的知性は想像を絶するものがあるように思えてならない。

エルヴィスは「芸術家」としてはあまりにもカリスマ的大スターだった。
ビートルズは「芸術家」を選んだために分解してしまった。

エルヴィスの自己実現によって得たものの大きさは、その後夢見ることさえ困難になるほど大きすぎた。絶望は突然やってきたのではなく、野心の達成の内側でじわじわと浸透していった。「僕に必要なものは、僕のアイデアを一緒に作り上げてくれるバンドです」と言えたエルヴィスはいつの間にか、必要なものを用意する立場ではなく、必要とされていることが自分のすべての立場になっていた。

レコードの売上枚数、ファンの支持とファンへの露出はエルヴィスにとって金額の多さだけではなく、民主主義を意味したのではないか。エルヴィスが得たものが民主主義によってもたらされた幸福だったとしたら、エルヴィスには裏切ることはできなかったはずだ。

双生児の兄の死産による母の苦悩、自分が死ねばよかったという気持ち、貧困、溺愛、栄光と非難、犬に向かって歌わされた屈辱、人気絶頂期の入隊、そして「僕に必要なものは、僕のアイデアを一緒に作り上げてくれるバンドです」と言っていたエルヴィスにとって予想もしなかっただろう超えても超えても続いた生彩のない楽曲への挑戦と突破は民主主義のための戦いでなかっただろうか?

エド・サリバンは「あんな若造を自分の番組には絶対出演させない」と当時のアメリカの良識にこだわった。しかしライバル番組である『ステーブ・アレン・ショー』にゲスト出演。
内容はともかくエルヴィスが出演したことに価値があった。
若者にエルヴィス支持の気運が高まり、人気に対抗できず自分のショーにも出演依頼する。

3度目、最後のエド・サリバン ショー
パーカー大佐はエルヴィスに<谷間の静けさ>を歌わせ、ファンにまだ見せていない面を披露。
番組の最後にエド・サリバンは「この国に言いたい。エルヴィスは礼儀正しい好青年だ」と紹介した。
この瞬間のエルヴィスの表情がすべてを語っている。それこそが21年間、エルヴィスが求め続けたものだった。
それはステーブ・アレン・ショーで犬に歌いながら、ほほえみの中に浮かぶ憎悪とは反対のものだ。

アメリカ文化の良識であったエド・サリバンはエルヴィス・プレスリーに敗北し、アメリカ社会はテレビを通じて「若者文化」を公然と承認した。
またエルヴィスは、テレビを通じて「民主主義の一員」としてアメリカ社会に認知された。
エルヴィス・アーロン・プレスリーは勝利を自らの手で勝ち取り、ロックンローラー、エルヴィス・プレスリーは「民主主義の魅力」に屈服した。

アメリカの民主主義はかってないダメージを受け、変化し続けることを余儀無くされ、同じように世界も巻き込まれた。
そしてテレビは若者の支持を受けたことによって、「文化の中心」なった。

このエド・サリバン・ショーでエルヴィスが「谷間の静けさ」を歌い終えたあとに起こった出来事ことこそ、「世界が変わった瞬間」に他ならない。

もし、このエド・サリバン ショーがなければ、エルヴィスはいつの日か、キング牧師のように、あるいはあの『イージー・ライダー』のように射殺されていたかも知れない。

エルヴィスにとってのビジネスとは「個人の尊厳を守る自由」に他ならず、ビジネスの全うこそ人生のすべてであり、そこにいたエルヴィスは、「民主主義」の前に個人の夢と可能性を自ら律した殉教者と呼べるかもしれない。皮肉にも絶望は希望と一体だったのでは?

気がつけば誰もひとりでは立てないところに彼は立っていた。

「神はまたも山をくださった」ーーーYOU GAVE ME A MOUNTAIN
その歌のままに、その人生の大半をたったひとりで乗り越えて来た。
屈強の精神ではなかったかも知れないが
誰もひとりでは越えられない山を越え続けた。黙々とーーー。

永い葛藤。
立ち続け、善を全うすることに疲弊し、命は絶え、歌声が残された。

エルヴィスの声が聞こえませんか?-----"IF I CAN DREAM"

輪廻転生。

その発露されずに終わってしまった未知の感動はーーー輪廻転生、いずれ、いつか、また。
ロックンロールを創ってくれてありがとう、エルヴィス。
あなたの痛みが、あなたがいなくなってからも、何年も何年も、みんなを癒しています。
ありがとう。

 
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エルヴィス・プレスリー全アルバム


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