それはいまを生きるにはほど遠くただ通過するだけで精いっぱいかもしれない。
しかしいまを生きたいと願い、生きようと祈り・・・
そして、いまを生きるためにエルヴィス・プレスリーを必要としているから、エルヴィスのCDが今日も売れる。
エルヴィス・プレスリーと聴く人の関係の素敵も、それぞれの素敵も、そこにあるのだ。
持っている曲ばかりであっても、あたらしくリリースされたCDを買うのはいまを生きるためなのだ。
その時、人は還暦を迎えたにしろ、高校生になったばかりにしろ、同じ場所に立って今日を生きようとしているのだ。
それがエルヴィス・プレスリーであっても、ビートルズであっても、美空ひばりであっても、浜崎あゆみであっても、一番大事なことはそういうことないだろうか。
エルヴィスを聴いてやる気になったよ、エルヴィス・プレスリーを見たくて痛い脚引きずってでも、CD屋さんまで出かけたよ。エルヴィスの歌を聴いて結婚する気になったよ。エルヴィスのDVD買いたいから、つまらない仕事と思うことも気合い入れて集中してやっているよ。
エルヴィス・プレスリーが聞いて喜ぶのも、知りたいのも。聴く人の気持ちと行動なのだ。自分は誰に何をしてあげられたのか?自分の全仕事は人の役にたったのか?
エルヴィス、あんたは歌がうまいねと言われてもエルヴィス・プレスリーは喜ばないだろう。
美空ひばりであっても同じだ。
エルヴィス、昔はよかったなとは聞きたくないだろう。ミック・ジャガーだって同じだ。
新しくミキシングされたものと、昔の録音と比べて云々するのもボクには意味がない。そういうことのどこにもエルヴィス・プレスリーの愛や涙や夢や祈りがないからだ。それはエルヴィスとは関係のないことだ。
電気的な技術に明日への願いも祈りも感じない。ボクにとってエルヴィス・プレスリーを聴く理由は、幸福になりたいと思うからであり、他者にとって少しでもマシな奴になりたいからだ。
エルヴィス・プレスリーの新しいCDジャケットを見ながらそう思った。遅くなったが、これから封をきろうと思う。エルヴィス・オンリー・ワン/ELVIS 2ND TO NONEの世界にGO!
|