1940年12月26日、ニューヨーク、ブロンクス区生まれ。60年代、ロック・レコードにおけるプロデューサーとして、プロデューサーそのものの役割を変革した。
17歳のときにポップ.コーラス・トリオ、テディ・ベアーズを結成。その後ロカ・バラード「会ったとたんに一目ぼれ」で全米ヒット・シングルを放っ。1960年からシンガーとしてではなくプロデューサーとしてのトレーニングを積む。
翌61年、フィレス・レーベルを創設。2トラックのスタジオで2台のエコー・チェンバーを駆使し、有名な「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」を造りあげる。不朽の名作、ロネッツの<ビー・マイ・ベイビー>に代表される「ロックン・ロールヘのワーグナー的アプローチ」と称したそのサウンドは、3人以上の各種同一楽器の使用、パーカッション群、ストリングスをラウドなライヴ演奏で録音したもので、神秘的なエコーが響きわたるロックン・ロール・シンフォニーとして一世を風靡。
スペクターが作り上げた「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」という特長あるサウンドはオーバー・ダビングを繰り返したものだ。
フィル・スペクター以前のプロデューサーの役割は、レコーディングにおける単なる器材のひとつにすぎず、アーティストや作品に従属するものと考えられていた。しかしスペクターのとったアプローチはアーアィストこそ作品創造における単なる器材・道具のひとつにすぎないというものであり、「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」という形で体現、成功させたのだ。
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