なぜ大事な場面で避ける、逃げようとするのか
私たちは個人生活でも、職場にあっても、責任を果たすことは、自分の能力を発揮する価値ある行動ですが、そこに至る判断、選択、行動のプロセスは自尊感情の高さに影響を受けています。
自尊感情とは自己肯定感、つまり自分はやれる、あるいはやれるはずだ、やれそうだと自分を信じて、自分を受け入れることができる気持ちです。
結果が問題ではありません。
間違いがあっても、またやり直したらいいと判断して、やり直せる力の基礎になる気持ちです。
やり直しの繰り返しやり直せば、徐々に間違いはなくなりやがて達成できるようになるものです。
自分を信じていると、そういうふうに自然にできます。
ところが自尊感情が低いと自分を信じることができないので、少しやってみて間違うと失敗した、あるいは失敗すると思い込み、関わるより避けようとします。
ですから、自尊感情の高いひとは、自主的に責任を引き受けたいと行動するし、反対に自分の能力を低く見積もっている人にとっては、重圧になり、引き受けようとしません。
その違いは一過性でなく、人生のいろんな場面で、繰り返し起こることから、自尊感情つまり自己肯定感を高める循環を繰り返すひとと自己否定感が高まる循環を繰り返すひとに分かれます。
この違いは放置しておくと、一生続くということが普通に起こります。
重圧を強く感じるひとほど、苦痛も比例して大きくなるので、責任から目をそらし、逃げ出したくなります。
逃げるためのテクニックや口実はいくらでも用意できるし、使うことも可能です。
トリックは手品と同じようなもの。使えば使うほど上手にもなりますが、逃げてはいけない場面で逃げていると、どんどんじぶん力は退化します。自分にしか分らない挫折感にこだわるのと、周囲のひとの目を気にして、逃げて何の意味があるのかと思いますが、意味はありません。
挫折感なんて感じ方の問題だけで実体があるわけではありません。
自分の判断でしかなく、思えばあるけど、そう思わなければないものです。
周囲のひとの目といってもほとんどが自分にしか関心がないのが普通ですから、所詮、他人事でどうでもいいこと。これも実体のないものです。
それより問題は本人が、実体のないものをもって、ひととひとの間にある境界を越えてしまっているために、自分の感情と他者の感情がひとつになってしまう点です。
依存はここで起こる
人間は、肉親との死別など苦痛を経験しなくてはならない宿命にあります。
耐え難い苦痛があっても狂気に至らないのは、忘れるというメカニズムを使って、バランスを保っているからです。
忘れることで本能的に自身の生命を守っているのです。
その心理のメカニズムの身近な事例は、アルコール、ギャンブルをはじめ、いろんな依存症に見ることができます。
依存することで「責任」の存在を忘れる、あるいは遠のくようにして、責任と向かい合わないように自分で選択しています。
人のせいにしたりするのも、その調整のひとつです。
人間関係をこじらせるようなことをしたり、その方法はいろいろ。それをあげていたら、キリがないので、ここでは省きますが、ポイントは次の一点
本来、自分がしたいことを
していない状態になっていませんか?
もし、そうならあなたは逃げてます。
自分が知っている
しかし、いくらうまく避けても、逃げても、逃げていることを自分が知っています。
逃げたくない良心と逃げている状態とのズレが自分のなかでしっくりしないので内面で葛藤が起こります。
葛藤の末に、本心を抑圧すると、自分の内側で、心の分離が起き、無力感が自分のなかに広がります。
この自分が感じている無力感は自分だけのものですので、他者は関係ありませんし、他者は知らないことです。
ところが、自分を欺くために自分を正当化したり、ひとのせいにしたりします。
これによって気がつかない間に、自分と他者を区別する 境界を越えてしまい、一緒になってしまうと、自分の無力感を他者も感じているように錯覚します。
これが周囲の目を気にする状態です。
周囲の目を気にしだすといつも最悪の事態を想像するようになります。
責任を引き受けるより、最悪の事態をどのようにして避けるかがテーマになります。
周囲の目に最悪の状態で自分がさらされている感覚は恐怖です。
ひどい場合は生死にかかわる問題のように感じることもあります。
自分としては自分の良心のままに行動したくても恐怖心に苛まれ身動きがとれないので、自分が自分を抑圧した不快感から解放されることはありません。
イライラしたり、体調不良になったりしますが、忘れるために使う「依存」は、好ましくないことであっても、悩める本人にとって、もっとも合理的な問題解決方法になります。
その依存から脱却し、自ら責任を引き受けるようになるプロセスは長い旅になるかも知れません。
しかし、それでも周囲の目を気にして生きるより、主体的に自分が責任を引き受けて、自分の持てる力を全部使って成功したり失敗したりする楽しさを獲得するためには、自分を作りなおす旅に出たほうがいいのです。
感情をどのように使いこなすか
■ストレスマネジメントスキル
(感情対処・ストレス対処) |
【ストレスマネジメントスキルを向上させるために心がけること】
● 言葉にするどんな感情も認める
●
感情的な行動をしない
●
相手や周囲への気配りをする
●
言葉づかいをアップする
●
礼儀作法、マナー、エチケットの励行
いついかなる場合も、感情的な行動は、人を破壊する行動です。
まず自分を破壊します。次に周囲の人を破壊します。
不安や恐怖のもとである自己肯定感の欠如は、ほとんどの場合、感情的な行動の影響を受けていますし、逆に感情的な行動を取りがちになります。
つまり感情的な行動を受けると、今度は他者にしてしまう連鎖が続きます。
どこかで断ち切ることが重要な行為です。
人間は感情の動物ですから、感情は年中動きますし、感情的になることもあります。
感情的になるなといっても無理でしょう。
そこできっちりと認識しておきたいのは、感情の表現はいいけれど、感情的な行動はやめるということです。
感情の表現と感情的な行動は二つは全く異質なものです。
さらに、物事を良い方向へ動かすには、2つの重要な要因があります。
● 感情的な行動をしないこと。
● 時間の有効な使い方。
この二つの要因は全く別なように見えますが、実は密接にリンクしています。
感情的な行動は、恨みを晴らすかのように時間を浪費します。
また、物事を為すためのプロセスに占める累積成果と累積投入時間のギャップ(努力したけれど報われない)が大きいと、つらさの実感も大きく孤独の実感の深さになります。
その上、もとからある孤独感や、解消されていない甘えなどがあると、痛みの相乗効果が働きます。
実感は他者の想像を越えるものになることもあります。
他者は自分の経験から相対的に比較するか、客観的に想像して「そのくらいの辛抱は誰だってしているよ」と言うかも知れません。
それが必ずしも適切でないのは、ひとの実感は個別に違うからです。
この実感は他者には分かりません。
ですから自分が痛みを訴えても通じないことは少なくありません。
すると、自分の苦痛を誰も分かってくれないと思うようになります。
どのような感情も、他者に共感してもらうとすっきりします。
幼い頃から感情に注目してもらい、感情を処理してもらう経験を十分していると、成人
したときには、未処理の甘えはほとんどなくすっきりしています。
しかしそれは稀なことで、たいていのひとは未処理な感情をもって成人しています。
誰にも分かってもらえない「つらい感情」は、次の四つの実行によって処理します。
【ストレスマネジメントスキルを向上させるために実行すること 】
● 感情を知る
● 感情を認める
● 感情処理を可能にするため感情的な行動はしない
● 変化に注目してその成果を認めるまずつらい感情の存在を知って認めます。
「面倒だな」「いやだな」「おもしろくないな」といった気分がそれです。
知ることで、感情的な行動をせずに処理できる機会を持ちます。
「ああ、自分はいま悲しい気分になっているな。可哀想に。よし、よく聴いてあげよう。」
機会を持てば、処理が可能になります。
努力したことは決してムダになっていないものです。
たとえば部屋の掃除をしている時に、用ができて中断しても、手をつけた部分はきれい
になっています。
このように自分が手にしたものに注目すれば、自分の成果を感じることができます。
「どれどれ、なにができていなくて、なにができたのかな」
注意深く変化を探して見つけます。
その上で変化にどんな意味があるのか、よく考えます。
どんな小さな変化だって意味があるものです。
たとえば失敗も成果です。
失敗したことでヒントを手に入れています。
失敗していない人には分からないことを、自分が行動によって得たのです。
先のことは分からないので誰にとっても不安な材料です。
だから、自分も変化を続けていることを忘れないようにしたいものです。
【ストレスマネジメントスキルを向上させるためにしてはいけないこと】
● ラケットを使う
● ヒステリックになる、パニックを起こす
● 自分や周囲の人を責める
感情的な行動の原因は、コミュニケーション不全から起こるのが一番多いものですが、まず自分が感情的な行動をしないように心がけます。
感情的な行動で目立つのがラケット。
ラケットというのは、心理学用語で表情や態度をメッセージにして、相手の行動を変えようとするもので、無力なこどもが主に親に対して多用するものです。
それを成人したいまも使っているのです。
ラケットを使うと人間関係をこじらせますが、自分もイヤな気分になります。
その他、自尊心の欠如からトリッキーなことをします。
否定、抑圧、反動形成、退行、投影、合理化、同一化、置き換え、感情分離、知性化、
取り消し、昇華、補償など様々な行為が生じます。
なかには成長に役立つものもありますが、結果的には破綻します。
たとえば補償という行為は、コンプレックスをバネに力をつけます。
こんな事例も補償です。
貧しくて学校に行けなかったひとが、学歴へのコンプレックスから一生懸命勉強して知識を蓄えます。
ここまではいいのですが、その知識をひけらして嫌われます。
このように自尊心にこだわると、折角の長所も台無しになってしまいます。
最も日常的に多いあるパターンは、したいことや、しなければならないことが起こってくると決まったように人間関係をこじらせたり、不愉快な状態をつくり出す方法。
もちろん当事者は気がついていませんが、これによって本人は、やりたいことやしなければならないことから意識が外れて当人は合理的にやらなくてすむようになります。つまり責任転嫁でしかないのですが、これによって挫折感と向き合う機会を遠のけています。
しかし、冒頭に述べたように意味のない行動なのです。その空虚感が自分を痛めます。
人間は生きていたら傷つきます。
不幸なときも、幸福なときも傷つきます。自分を使ってこそ価値ある行動といえます。
【感情的な行動をしてしまう場合】
●目的志向
● 大局を観る
●
ユーモア
● それでもイエスと言う
● 人より優位に立とうとしない
● 楽観的(準備を怠らない)
●
傾聴・聴き上手
ここにあげた要素は、周囲のひとを肯定的に受けとめる態度です。
裏を返せば自分を肯定的に受けとめるときに感覚と同じです。感情的な行動をしてしまうひとには難しいかも知れませんが、寛恕p的な行動の背景には自尊感情の脆さが潜んでいます。自他肯定感を高めるうえで有効ですので、意識的にとるようにsてみましょう。
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感情的な行動がどういうことから起こり、その弊害にどんなことがるのかについて説明していますが、感情の問題は「とんがるモチベーション」でも多くのページを費やしているように簡単には説明できません、