朋子さんの場合 時間
長い間、核心の問題は暗い傘のようなもので、その傘のもとで間題行動が繰り返し起こっていた。今や、それ自体、意味を持ち、活気に満ちた生活に前進するため、まさにこの問題を活用するチャンスなのだ。
娯楽、アルコール、嗜好品、あらゆる消費・・・神経系統を曖昧にして集中力を奪うものは、体脂肪のように余分なストレスとなって、生活を鈍くする役割を達成していた。
遺伝学的、生理学的、心理学的な弱さを考えた上で、自分の姿勢を正しく保つ暮らし方に注意深く関心を持つことが必要だ。
必要なことを忘れて、どうでもいいことに時間を費やせば、現実から逃げることはできる。しかし現実が消えてなくなるわけではない。現実はいつも寄り添うように側にある続ける。それは朋子さん(仮名)が現実の存在だからだ。
毎朝、眠りから覚めたとき、今日という一日を全部使い果たしても片付きそうにない毎日、すべてを消化するために生きるような気がする毎日、そこに希望を持てなくても不思議ではない。どんなに努力しても、どこにも行き着くことのない気がする毎日、どんなに歩いても一歩も進んでいないような気がする毎日。
朋子さんが「ライフスキル講座」に参加してきたのは、生き延びるためだけの生活にきっぱり決別して、本当にやりたいことに挑戦する毎日を実現するためでした。
しかし実際には、なにを求めているのか解らない、なにをしていいのか解らない、惰性で暮らしている毎日にピリオドを打つことから始めるとことでした、そのために、まず無駄な時間と縁を切ることでした。
朋子さんはスタートアップテキストでまず衝撃を受けた。考えたこともなければ聞いたこともない「境界」という言葉にとまどった。友人との境界、親との境界、私は境界がないことが親しい証明だと考えていた。
しかしここでは境界があるから、親しい関係は成立すると知られた。納得できなかったが、なんとなく分かる気もした。
でも腑におちない。アテキスには、恋人との関係で説明されていた。越えるに超えられない境界の向こう側で、相手が主体性を持って自分を選んでくれたことに愛のかけがえなさがあるのだだと、もし強制によって、従属的に相手が従ったとしたら、そのことにどれだけの価値があるのか。
それは最近の自分の思い通りにならないからと言って凶行に及ぶおぞましい姿とは対極にある姿である。
自分が消えてなくなってしまいそうになるほど、相手に左右される朋子さん。
そして気がついたらする予定だったことが出来ていない。自分が思うように使う時間は少ない。朋子さんは、私には自由がないと感じていた。
しかし「境界」から学ぶことは、本当に不思議だと感じた。親しい関係にするために、自分と同じように相手を尊重する。それを可能にするのは、境界を越えることでなく、境界を尊重するという。
それを他人行儀というのではないかと思っていたからだ。しかしなるほど自分が消えてなくなってしまいそうになるのは、境界を越えているからだと実感した、自分も相手もない。
その状態を「感情の洪水に押し流された状態と言われた。時間がなくなるのは感情的になっているからだと教えられた。そして感情的になると、時間とお金を失うと言われた。
時間を主体的に使える力を身に付けるには、感情の扱い方を学ぶのが先だ。その意味からも「境界」はクリアすべき重要な課題だ。境界について、自分の考えがどう違うのか、じっくり確認したいと思ったのです。
99日間プロジェクトは、ライフスキル講座のひとつです。