幸恵さんの場合 夫婦間の愛情
幸恵さんが「ライフスキル講座」に参加してきたのは、生き延びるためだけの生活にきっぱり決別して、輝いていた時代の夫婦仲を復活させることでした。
そこで最初に驚愕したのは「境界」「万能感」でした。いままで考えたこともないことが自分たちに大きな重石になっていたことに気づかされました。幸恵さんは自分の非を知り、改めようようと努力しました。しかし自分が変わっても相手も変わらなければ事態は変わりません。
事態は最悪でした。パートナーとのコミュニケーションは断絶していて、相手がなにを求めているのか解らない、自分もなにをしていいのか解らない。コミュニケーション不全が当たり前になった状態で、感情的に惰性で暮らしている毎日にピリオドを打つことから始めるとことでした、まず感情的な自分と縁を切ることでした。
幸恵さんは「ライフスキル講座」のプログラムのひとつ「99日間ぷロジェクト」に託しました。ただ託すだけでは叱られます。自分の行動で事態を変える決意をして臨んだのです。
幸恵さんはスタートアップテキストでまず衝撃を受けました。考えたこともなければ聞いたこともない「境界」という言葉にとまどったのです。
「夫婦との境界、親との境界、私は境界がないことが親しい証明だと考えていた。しかしここでは、境界があるから、親しい関係は成立すると知らされた。納得できなかったが、なんとなく分かる気もした。でも理解できないのです。」と質問したのです。
幸恵さんは親密な関係が苦手でした。親密な関係には境界がないと思い込んでいたのが、「ライフスキル講座」では、境界があるからかけがえのない人間関係が作れると教えられる。幸恵さんはなかなか理解できない。境界のある関係って寂しい関係だとしか思えなかったのです。
テキストでは、恋人との関係を事例にして説明されていました。越えるに超えられない境界の手前向こう側に立って、相手が主体性を持って自分を選んでくれたことに愛のかけがえなさがあるのだと、もし境界を無断で侵入、強制によって、従属的に相手を従わせたとしたら、そのことにどれだけの価値があるのか。境界を大切にしたコミュニケーション、それは最近の自分の思い通りにならないからと言って凶行に及ぶおぞましい姿とは対極にある姿だと学んだのです。
相手を尊重し、その自由を愛せる力、それは孤独を愛せる力と同時に、自由を愛する力だ。私にはできないと思った。孤独がイヤで恋愛して、結婚したのではないか。疑問が解けなかった、
「親密な関係のあり方」について少しすつ理解は進むものの、質問はなんども繰り返され、その内、幸恵さんはあることを指摘されたのです。夫の対して大事なことほど言葉にできずにコントロールでもって自分の願望を実現しょうとしている。
まずそれをやめること。自分と夫は別の人格であることを意識するように注意を受けました。
コントロールは子供さんにも使っていたのです。まず子供に対して言葉で分かりやすくと伝えるようにして訓練するようにアドバイスを受けたのです。「99日間プロジェクト」に取り組むことも分かっていたので、それまでにまず子供で成功しておこうと考えました。
しかし、夫は最小限度にしか話さない。なにかと小言も多く自分につらくあたる、子供で成功しても同じようにいくはずもない。自信が持てませんでした。そんな時期にテキスト「感情」が送られてきました。毎回テキストを繰り返し読みました。
読むのが目的でない、理解すること、自分の考え方とどこがどう違うのか、違いを発見するのが愉しみになりました。そしてテキストでの説明と自分の考えの違いを伝えて、自分の考え方ではどういうことになるのか、疑問をぶつけました。返ってくる答えに、新鮮な驚きと開放感を感じていたと言います。
でもどうすれば自分のものになるのか、すぐに行動できない自分に苛立ちながら、それでも行動を変えることで得られるよろこびの実感は尊く「ライフスキル講座」に参加してよかったという思いになっていました。
そして大事なことは言わずに、相手をコントロールする習慣、境界を考えずにどうでもいいことは言葉にする習慣、母子の関係で習慣化したコミュニケーションのあり方を変えるために半身半疑で、まずは子供とのコミュニケーションを変えました。子供も楽しそうな表情が増えるようになりました。そんなある日、思いがけないことが起こりました。「お母さん、最近変わったね」と子供が言ったのです。
幸恵さんはまず職場で、プライベートで「大事なことを言葉で伝える」というテーマに取り組みだしました。
幸恵さんは自分が傷つかないためにしているコントロールをやめて「大事なことは言葉で伝える」という課題に取り組みました。
それは簡単そうでも勇気のいることでした。相手の反応を予測しないで思ったことを率直に言葉で伝える。それはまさしく「一瞬先は闇」そんな感じでした。
幸恵さんはアルコール依存症の父親のもとで育ちました。幼いこどもにとって、率直に言葉で伝えることは命懸けの行為だったのです。曖昧な記憶のなかで恐怖だけがしみこんでいたのです。
親密な関係は一貫した愛情表現で育まれます。たとえば昨日、お父さんが抱っこしてくれて、「おまえはいい子だね、かわいいね。元気に大きくなるんだよ」と言ってくれた。
そして今日も同じように、やさしくしてくれた。このように一貫して同じ態度で育んでくれるとゆっくりと認識していくことができます。
ところが機能していない家族では不幸なことが起こります。昨日は父親が抱っこして「いい子だね・・・」と言ってくれたのに、今日になると「お前は悪い子だ。問題ばかり起こしてひどい子だ」と険しい表情と強い語気で怒る。しかも子供の方では思い当たるような理由もはっきりしないまま、特に酔った挙句の表現なら、子供にはなにが起こったのか分かりません。
選んだご主人は、アルコール依存症ではないものの、ご主人の関係性は父親と似ているようです。態度、言動に注目して、問題が大きくならないように自分を抑える。ことなくすめば安心。これではアルコール依存症者が暴れださないように細心の注意を持って様子を伺っているようなものです。こういった関係性で夫婦愛の復活を求めるのは不可能に近いものです。
ネガティブなものではなく、もっとポジティブに、自分の意見や想いを伝えることができるようにならなければ本物ではありません。
かといって相手を変えることはできません。自分が変えることができるのは自分だけで、しかも気持ちを変えるだけでなく言動を変えることです。それでもってご主人にいい変化が起こるように影響を与えていくのです。
従属的な立場になりがちな女性の立場に痛みを感じながら、それだけに私たちもなんとかしないといけないと考えました。
家庭でも職場でも、「大事なことは言葉で伝える」挑戦は「○したか」「×しなかった」で、自己評価するようにしました。それは同時にコントロールを手放すという慣れ親しんだやり方との訣別でした。こどもさんとの関係でコントロールをしないと決めて、態度で伝えることをやめたおかげで「お母さん、最近変わったね」と言われたのが自信につながっていました。「一瞬先は闇」を恐れず、闇に向かって自分を投げ込む練習を職場で重ねました。
職場での反応は上々でした。言葉で伝えるようになり、相手も分かりやすくなったのかいい反応が返ってきたのです。それはいままで自分に注目していたのが、相手を尊重するように変わった結果でした。自分が伝えたいことを伝えるために、伝える前、伝えているとき、伝えた後、十分な配慮をするようになったからです。
それができるようになったのも講座からは「自分だけが損している」ような感情を持たないことを何度も教わったのです。自分が言い難いことは相手も聞きたくないこと。お互いがいたわる気持ち、特に伝える側がいたわる気持ちを持たないとうまくいかないと何度も考えたそうです。
それはご主人に対しても同じことだったのです。幸恵さんはそのことを強く想いながら、自分が自分にどのくらい採点できるか、結婚前、結婚後を通じて振り返りながら考えていました。
幸恵さんの課題は、自分が傷つくことから防御する方法として身につけた「コントロール」をやめて「大事なことは言葉で伝える」でした。
次の瞬間に、なにが起こるか分からないのが普通だった機能していない家族で育った幸恵さんには、率直に話すことは強いストレスでした。
それでもご主人との関係をかっての楽しい季節に復活させるために、トレーニングに取り組みました。
日々のレポートでは、ほぼ毎日、「(職場では)言葉にして伝えたか」に◯がつくようになりました。家庭でも、こどもさんとの間では、できるようになっています。
さて問題のご主人相手に、できるようになるには、コントロールしてしまう理由について理解を深める必要がありました。
心理学用語で言う「コントロール」はなぜ起こるのか、なぜ必要とするのか?その背景には切ないまで弱い自己肯定感の問題が潜んでいました。
人は自分の願望が叶わないと思うとき、諦めるのはつらいものです。その一方で、人はガードするのがうまいものです。それが事態をさらに悪くするにしても、特に非力なこども時代には精一杯の生きる術になることがあります。
望みが否定されるなら、願望を持たなければいいのだ。さらに積極的に願望を否定すればいいのだ。こうして自分にトリックを仕掛けてまんまと騙してしまうことをやってのけます。そして笑顔のまま、人知れず内側で泣いているのです。
私はお父さんに会いたいは、やがて私はお父さんが大嫌いだに変わってしまう。くじけないために。
私はパイロットになりたいは、ある時の私は飛行機に興味がないに変わってしまう。くじけないために。
生きるが先にあるから、くじけるわけにはいかないのです。
自分のニーズを根底から否定する方法として、ニーズを逆転させてしまうと、ニーズのかけらさえないことになります。
このやり方は一時の対策として効果を発揮しても、長い目で見ると好ましい方法ではありません。大変危険な対策でも、猛獣に追いかけられた者はよし登る木を選んでいる余裕はないのです。
欲求を持つことに不安を感じるようになると、やがて自分のニーズは、罪悪感のように感じるようになります。
自分が自分のニーズを率直に認めないのだから、自分のニーズは他者の迷惑になると感じる様になります。間違った気遣いをするようになり、他者に依頼できなくなる。同時に他者に頼み事をすると、知られてはいけないことを知られてしまう気になります。どちらにしても他者との親密な関係は自分の身に危険が生じるような気分になってしまいます。ニーズは危険なものになり、自分のニーズに率直に動くことができなくなるのです。
ご主人に対してコントロールするのも、自分のニーズを認めずに、ニーズを充足してくれることを求めているからです。自分のニーズを認めないのだから、誰が望んでいるのか曖昧になります。自分のニーズを、ご主人のニーズにすり替えてしまう必要が生じます。大人であっても、子供であってもストレスが生じます。特にこどもは整理できないので、おかしくなってしまいます。
この状態で、相手がニーズを察してくれて、罪の意識を感じることないようにしてくれると、今度は一転して相手に依存的になってしまいます。極端から極端です。
依存的になる分、自分の能力を低く感じて恩義を感じるようになり、再び、罪の意識が強くなります。
罪の意識を弱めるために、相手の欠点を見つけて支配的になり、依存を続けようとします。ないからなにまで嘘になり、率直、素直、誠実、対等のアサーティブの4本柱は全部崩壊してしまいます。気持ちのいいコミュニケーションをしたくても、できる土壌はないのでできなくなります。
こうなると自分の素直な感情を知ることさえ困難です。しかも支配する事に躍起なので、相手の欠点さがしに終始し、攻撃をゆるめないが、相手に依存しているので、自分の内部で葛藤が起こるだけだ。
これはコントロールが状況によっては相手だけでなく、自分に対しても起こっていること意味します。
ゲンキポリタンの「ライフスキル講座」では、アサーティブであることを推奨していますが、その妨害がどのようにして起こっているか、知る上で欠かせない状況です。失敗を恐れる、あるいは傷つくことを恐れて、ニーズを認めない防御の仕方が、実は根源的な部分で自分を破壊してしまっているのです。自分を無視することで自分を守るという、これほど危険なやり方はありません。
それにしても、このような仕組みはどのようにして覚えたのでしょう。
もっとも多い動機は、親が期待を裏切ることをくり返した場合です。機能する家庭、人間関係では、約束は守られる。しかしアルコール依存症者に代表される機能しない家族では、約束が守られることは少ない。
たとえば「いいよ、明日は遊園地に連れて行ってあげよう’」と約束する。朝目覚めたら、まだ眠っているか、アルコールを口にしていて、「そんな記憶はない」という。こどもは失望に耐えるために、願望がないものにしてしまう。
「もう絶対に連れて行ってもらいたくない」と考えるようになり、さらに連れて行ってくれる人はいないと確信したとき、「私は遊園地なんかいきたくない、大嫌いだから。私は誰とも行くことはない」と信じるようになります。
「私を愛してほしい」と思った柔らかな気持ちは、やがて、「誰にも愛してほしくない」とかたくなな思いに代わり、さらに「誰にも愛させない」と石のように変わってしまいます。
自分を再生するには、かたくななベールを一枚、一枚はいでいく作業が待っています。優しい第三者に求める前には、まず自分ではがす努力をしたいものです。
でないと、ベールをはがす努力をするより前に、相手をコントロールして、相手と自分を傷つけてしまうからです。「きれいだね」と言ってほしかった少女は、言葉の代わりに頬を叩かれた。
「もう、言ってもらはなくていい。」と思う様になると、今度は「捨てるからね」といわれ、「もう誰にも面倒みさせない」と考える様になり、「面倒見る立場」に自分の生き場を見つける。看護、介護の世界で虐待が起こっても不思議ではないのです。
被害者はやがて加害者に変わるとしたら、まず被害者であることを認識することから始まります。そして本当の意味で、自分のような経験をさせたくないと思うなら、まず自分が自分をコントールすることをやめることです。
誰だって愛されたいんだ、愛されたいと思っていいんだと自分に言い聞かせます。そして、それでも愛されないときはあることも知ることだ、なぜなら残念なことに、愛する力のない人がたくさんいます。だから愛する力を周囲の人にお裾分けできるように、まず自分が愛する力を養うのです。
傷ついたか、つかなかったか、絶対的なものはなく、自分の選択なのだから、へっちゃらだと思えばへっちゃらだ。でも?せ我慢はしないようにしましよう。へっちゃらでない時は泣いていいのです。くじけないために泣いていいのです。
幸恵さんは希望を実現するために、学びなら理解を深めていきました。自分のトリックを知るほど、束縛が解かれていくような気がしていたのです。
客観的、論理的に自分を見直す作業はとても重要です。その意味で知識が必要で役に立ちます。束縛が解かれていくように感じるのも、生きづらい気分を作っている因果関係が見えてきたからです。
自分がなにをしたらいいのか、何に注意をするのかが分かると、意味がわからず感情的にイライラ、不安になっていた状態が少なくなってきます。
コントロールしない。必要なこと、大事なことほど言葉にして伝えるというのは、これまでの真逆のやり方ですが、ご主人以外には概ねできるようになっていました。
その体験が勇気になっていました。さて、問題はご主人です。幸恵さんが話そうとしても、聞く気がないようなそぶりを露骨に見せるのでした。それは明らかな「メッセージ」です。不満があることを伝えているわけで、その不満が何であるのか、幸恵さんは語りませんでした。知らないから語れないのか、知っているが語りたくないのか、われわれにはわからないことでした。
ゲンキポリタンは、過去にナニがあったのか、教えてほしいとメールしました。幸恵さんは随分迷ったようですが、少しずつ語り始めました。
私は主人が好きでしたは、帰りが遅いので毎晩ひとりで食事するのが寂しく、ふたりの時間はわずかでした。ある日、怒りがこみあげて「仕事を取るのか、私を採るのかはっきりして」といいました。主人は仕事に没頭していたようで、「女の代わりはいくらでもいるが、仕事は簡単に手に入らない。生きるために頑張ってるんだ。それが答えだ。」と言い切りました。
私は口惜しくて「父に報告するから」と言い返しました。彼は「いいよ」と平気な表情でした。どうして、そこで「父に報告するからね」が出てきたのですか?後で「しまった!」と思ったのですが、実は父が私たちの結婚を反対していたのです。
主人は高校しか出ていなくて、中小企業勤め。私の兄ふたりは大学を出て大企業勤めでした。父は将来性を案じたのです。主人はそれでも辛抱強く結婚したいと両親と何度も話し合ったのです。
私も主人が好きで、家を出てでも結婚したいと考えていました。でもこじれた関係にしたくないから承諾してもらえるまで待とうといってくれたのです。頭があがらないだろうという思いがあったのですね。それでつい言ってしまったのです。それで仕事に励んでいたのですね。そうです。父を見返したい思いが強かったと思います、兄たちにも負けたくないと思っていたようです。見えない重荷を背負っていたようですね。それがプツンと切れたみたいで。
その後はどうなりましたか?
近所の奥さんたちからから「ご主人カッコいいね」って言われるくらいでしたから、モテたと思います。それで女性ができてしまって。また喧嘩になりました。「おれは言ったようにやっている」と・・・。決定的に関係が悪くなりました。私のひとことが傷つけたこともあって、言葉で伝えることが怖くなり、その分態度で伝えようとしたり、こどもに言うふりをして不満をぶつけたり。ますますコミュニケーションができなくなるばかりでした。
怒りの矛先は、幸恵さんにもあるけど、ご両親にも向いているんですね。
そのようです。
それにしても、過去は変えられない。これからどうしたいのか?どうするかですね。
私の気持は同じなので、以前の状態したいのですが、 主人が変わってくれない限りは?
自分が主体的に取り組んでいくことを忘れないでくださいね。ご主人以外には言葉で伝えられるようになったわけですから、これから第2ステージに進んでいきましょう。と、いうかこれからが本当の99日間プロジェクトです。
状態が良くなるなら頑張りますので、よろしくお願いいたします。
では、次のことを決めましょう。
クリアする目標。夢と言ってもいい。
以前のような夫婦仲になること。
クレドを作りましょう。行動基準のことです。
クレド?
ライフスキル講座でゴールデンルールを学びましたね。あれが行動基準です。全部取り入れてもいいし、さらに追加してもいい。できそうにないと思うなら減らしてもいい。行動基準は何事にも使えるので、身につけば自分のスタイルになって生涯使えます。
目標があっても、たとえば行動基準が「すぐにあきらめてしまう」ようなら願いを叶えることはできません。困難があっても「できるまであきらめない」のが自分の基準だったら、困難があっっても乗り越える力になります。
一流ホテルやスターバックスでは、行動基準を冊子にしてみんなが持っています。従業員が同じ行動基準を実行して、チームとしてのポリシーを貫いている。個人の場合は自分で決めることができる分、基準をどんどん下げてしまう。日本の家庭では、躾と言って教えますが、マナー、エチケットが重で行動基準は学校まかせの傾向があるようです。もちろん家でも教えますが、結果重視で行動基準にこだわっていない。行動基準がいいと、比例して結果はついてきます。
お子さんに対してどうですか?行動基準にこだわっていますか?
いいえ、一応言ってるけれど、こだわっていないです。
願いを叶えるために自分のクレドを作ってください。
はい。
いつ復活させるか、スタートからゴールまでのスケジュールを作ります。
相手次第なのにゴールなんか作れないのでは?
相手次第ではありません。毎日会うことができるのだから、自分次第です。ご主人が態度を変えたいと思うように影響を与えていくのは幸惠さんの行動次第です。相手次第なのに」と」思いながらスケジュールを作らないでくださいね。嘘の計画では本気にならない。
本気になることが重要なのですね。
そうです。本気のスケジュールになるように、行動基準とセットです。スケジュールにしたことを行動基準以上で実行したか、しなかったか、を毎日チェックしてもらいます。チェックして感じたことを日記に書いていただきます。
たとえば、うまくできなかったとしたら、なぜできなかったのか、行動基準以下の行動をしなかったかを反省してもらいます。反省は自分を責めることではなく、どこがまずかったを振り返り、次はどうするかを決める機会です。
日記ですか。がんばります。
後は気づいたこと、思いついたことをメモすることです。感じたこと、考えたことは、すぐに忘れてしまうものです。考えている時には出てこずに、急に時、場所を選ばずに出てきますからね。
なるほど、そうですね。
以上、ご説明したことをツールに置き換えると、願いを書きこむメモ、スケジュールを書いたノート、行動基準を書き込んだクレドにするノート、日記を書くノート、思いつきや気づきを書き込むノート。以上です、紙でも、iPhone
のような電子ツールでもいいです。いつでも見ることができることが大事です。自分が使いなれたものを使うのが一番ですので、新たに購入する必要はありません。どうでしょうか?
そうですね。ノートを使ってやってみます。うまくできない場合はご指導お願いしますします。
A4サイズでプリントアウトできるものは用意していますので、それを使ってもらってもいいです。書き方の例もついていますので、参考にしてください。
それは助かります。
それでは、願いを必ず実現するプロジェクトを始めましょう、きっとやりきりますからね。いいですね。成功はクレドにかかっていることを忘れないでくださいね。
行動基準ですね。はい、覚悟して臨みます。
翌翌日、幸惠さんに、ゲンキポリタンからゲンキポリタンが作成したサンプルと共にお守りが届きました。神頼みではなく、自分の力を使い果たしたら、神を使ってでも、望みは叶えるという意味です。
幸惠さんから、御礼と、分かりました、自分の力を使い果たすまで使い切るようにします。とメールが届きました。
99日間プロジェクトは、ライフスキル講座のひとつです。