■努力を不安が打ち砕く
努力の感じ方と現実のズレは自意識から生まれます。
次のグラフ1はパレートの法則(20:80の法則)に則って描いています。
(グラフ1)
グラフ1のように、エネルギーを投入すれば一応の成果はあがります。
スポーツ、勉強、仕事、何事でも、全体を100とした場合、80%までの成果は比較的容易で、メキメキと上達するものです。
だからこの図の80%レベルは使い物にならない。たとえば少し歌のうまい人ならカラオケで80%まで到達する。でもそのレベルなら、たくさんいるからプロになれない。
プロになろうとしたら97%のレベルに到達する必要があります。
問題は、80%の先なのです。ある時点からは壁があるかのように変化が見られなくなります。努力しても、しても、成果が乏しく無駄に感じます。少し頑張れば、たいていの人が届く範囲なので、周囲に同じ程度の人はたくさんいます。
そんなわけですから、続行してもしなくても同じような気がします。
本当にこんなことに集中してムダにならないのか、不安が孤独と恐怖に変わっていきます。
人にとって、時間は命そのものです。それを使ってもなにも得られないとしたら、恐怖心に苛まれても無理ありません。
グラフ1で成果を80%以上の領域は、エネルギーの投入に比べると効率の悪いものに見えます。努力に対して変化がないわけではありませんが、ある程度のレベルからは、少し進歩するために、これまでと比較にならない時間とエネルギーが必要になるので、不安から判断が鈍りだします。
中止することを合理的な判断として、やめることに抵抗を感じない人も出てきます。
努力の中止が起こります。
次のグラフ2は、グラフ1と同じことを、視点を変えて表現したグラフです。
グラフ1が努力量の推移から成果を観察したのに対して、グラフ2は成果の推移から努力の量を観察しています。
(グラフ2)
つまり努力しても、努力しても、モノにならない状態が続いた後、ある時を境に一気に成果があらわれる状態を表しています。
他者との違いが出る領域、たとえば競争力がついたところに到達してから振り返ると、成果の実感はグラフ2(エネルギー100のあたり)のように感じるはずです。
長い間、努力しても、努力しても、芽も出ないままだったけれど、ある時(エネルギー80の努力を超えたあたり)を境に急速に他者と差がついたことを実感します。
みんなが努力をやめた後からの努力の違いが、競争力があると呼べるだけの違いになるのです。「継続は力なり」という言葉を実感として感じます。
2つのグラフはひとつの現象が物の見方、感じ方で変わることを表現しています。
グラフ1は自分の努力を中心にして観た状態、グラフ2は成果を中心にして観た時間の実感です。
自分を中心にして考えると自分の努力ばかりが気になります。
これが「他人事」状態です。
自分のことが気になるのに、他人事の仕事とはおかしな話に思えます。
それにしても自分の行為に対する報酬(メリット)が気になり、目的から意識がそれてしまうために、心ここにあらずになり他人事になってしまうのです。
恐怖心が邪魔をしています。
結果にこだわっている人ほど、結果にこだわらず行動して、逆に結果にこだわっていない人ほど結果にこだわった行動をします。
このように逆転現象が起こるのがひとの心理のメカニズムです。
自分の努力に対する報いに注目すると、「できそうにない」という悪いイメージを呼び起こしてしまいます。
一方、目的の達成を中心にして考えると、目的の実現度が気になり自分の努力の不足が気になります。努力の不足が気になれば努力を続けます。
行動が考えても仕方のないことを考える時間を奪い、努力が習慣化すれば必要以外は考えなくなります。
不安や恐怖は誰にでもあります。それを恥じることはないのです。しかし不安や恐怖の感情を放置しておくと、自意識を過剰にしてしまい、じぶん力を弱めてしまいます。
無理に克服しようとするほど意識が強まり、内なる不安や恐怖をさらに煽ってしまいます。不安や恐怖に適した感情処理は、いまこの瞬間の行動に集中することなのです、
不安と集中の間には「考えても仕方のないことは考えない」という行動があります。
「どうにかなる問題に悩む必要はない。どうにもできないことは悩んでも仕方がない。」ダライ・ラマ14世の言葉です。
行動こそが大切だと思い知らされる言葉ではないでしょうか。
そして行動するとは、タイムマシンがない世界に暮らす者にとって、過去への行動も、未来への行動もなく、いまこの瞬間の行動以外にはありません。
不安や恐怖は、考えても仕方のないことの最たるもので、考えるから不安や恐怖は起こります。
ネガティブな感情に支配されていると、何事についても、最初のグラフのように見えることでしょう。
わずか20%の攻防です。
コストパフォーマンスが悪く思える20%の努力を続けるのは、愚かに思えるかも知れません。
しかし、社会では卓越性こそが価値であり、それは20%の差といえます。
圧倒的な能力の優位性で、他者に勝る人は、ほんの一握りしかいません。
大半は毎日の積み重ねによって生じる小さな違いの集積を、大きな違いにして差別化を実現しています。
その差は生きる意欲、つまり動く意欲、働く意欲、学ぶ意欲の違いです。
それは根本的には、意欲がないわけでなく、「このくらいと見逃す程度」の違いです。
言い換えると、誰も気にしないことにこだわる執拗さがじぶん力の品質に変化を与えます。
不安にこだわる執拗さを成就にこだわる執拗さに変えれば、20%の孤独は突破できます。
成就にこだわる執拗さとは何か。それがライフスキルなのです。
「ライフスキル」・・・・何と味気のない言葉でしょうか。
味をつけるのは寒さを身にまとえる身体、何もない空虚に夢を見抜くまなざし、遠くまで歩ける心、恐れを一身に背負って行動するプロセスがあなたならでは味をつけます。
次のグラフは先のグラフ1と2を合体したものです。
このグラフの2つの線に囲まれた範囲を観てください。この範囲があなたの孤独と不安の正体なのです。この大きな範囲が深く闇のような海に思えるために、沈んでしまうのではないかとあなたを苦しめるのです。
努力と成果のギャップに耐えられなくなることはあります。さらにあなたの自意識と想像が、追打ちをかけて、自己実現を阻害します。
努力と成果のギャップの大きさはつらさの実感となり、孤独の実感になります。
大きいほどイヤになるのが普通です。
その上、もとからある孤独感や、解消されていない甘えなどがあると、痛みの相乗効果が働きます。
そのため人によって実感は他者の想像を越えるものになることもあります。
他者は自分の経験から相対的に比較するか、客観的に想像して「そのくらいの辛抱は誰だってしているよ」と言うかも知れません。
それが必ずしも適切でないのは、ひとの実感は個別に違うからです。
この実感は他者には分かりません。
ですから自分が痛みを訴えても通じないことは少なくありません。
すると、自分の苦痛を誰も分かってくれないと思うようになります。
どのような感情も、他者に分かってもらい共感してもらうとすっきりします。
幼い頃から感情に注目してもらい、感情を処理してもらう経験を十分していると、成人したときには、未処理の甘えはほとんどなくすっきりしています。
それにしても、それは稀なことで、たいていは未処理な感情をもって成人しています。
誰にも分かってもらえない「つらい感情」は、次の四つの実行で処理してあげます。
・感情を知る
・感情を認める
・処理する機会を得るために感情的な行動はしない
・変化に注目して、その成果を認める
まずつらい感情の存在を知って認めます。
感情を知るという作業は、簡単なようで案外難しいものです。
自分の感情が判らないので、感情的な行動で感情を拭おうとすることは少なくありません。言葉に置き換えることが未熟なこどもに多く見受けられる特長です。
ライフスキルを構成するなかでも重要なスキル、それが自己認識スキルです。
自己認識スキルは、感情を知るスキルです。
では、順を追ってライフスキルについて説明していきます。