小さかったころ、
おれを裏切らなかった唯一のものがロックンロールだった。
まったく出口がないように思えたとき、ロックンロールがおれの家に来てくれたって感じだった。
それまではまるでどんづまりの袋小路みたいだった。
ロックンロールは、なんの音楽も本もない、なんら創造性のかけらもないそこら中の家全部に広がって、全体に染み込んでいった。
それが、おれの家でも起こったんだ。
ブルース・スプリングスティーン(1981年)
おれの9歳のころなんて、
エルヴィス・プレスリーに
なりたくないなんて奴は
想像もできなかったね。
ブルース・スプリングスティーン
エルヴィスの家の門にたどり着いたとき、おれは中をのぞいてみた。午前三時だったのに家の明かりは全部ついてた。
おれは「彼の家かどうか確かめなくちゃ」と言って、門をよじ登って玄関に向かう車道を歩き始めた。
家は奥に引っ込んでたから、長い道のりなんだ。
もうちょっとで玄関のドアをノックしようとしたとき、木々の間からおれを監視してる男がいるのに気づいたんだ。
彼が「おい、ちょっと来い」と言うんで、おれは「エルヴィスはここにいるのか」と尋ねた。
彼は、いいや、レイク・タホだかどこだかにいると言う。
そこでおれは考えられる限りの安っぽい手段を使おうとした。おれは『タイム』誌に載ったとか、おれはギターを弾くとか、エルヴィスはおれのヒーローだとか、他の人には絶対に言ったことがないようなあらゆることを並べたてた。
メッセージを伝えてもらえるんじゃないかと思ったからさ。
だけど、彼は「ああ、わかった。門のところまで送らせてもらえないかな。 きみはここから出ていかなくちゃならないんだ」と言っただけだった。
おれをただのクレイジーなファンのひとりだと思ったんだろうな実際そうだったんだけど。
ブルース・スプリングスティーン(1978年)
おれが最初に買ったレコードは
<JAILHOUSE ROCK>だったと思う。
ブルース・スプリングスティーン(1975年)
エルヴィス・プレスリーのおかげで考えるようになった。
彼のせいで、「おれはどこに向かっているんだろう」って思うようになったんだ。
ディラン、エルヴィス・プレスリー、エディ・コクラン---。
こういった人たちがおれの中に思想を引き起こした。
彼らがちょっとした火花をくれる。
それは楽しいこと、それは人生ーロックソロールなんだ。
ブルース・スプリングスティーン(1975年)
おれは多くの人たちに影響されてきた。
エルヴイスは初期のころに影響を受けたひとりだ。
オーティス・レディング、サム・クック、ウィルソン・ピケット、ビートルズ、ファツツ・ドミノ、ベニー・グッドマン、多くのジャズメン。
望めば、いっだっておれの音楽の中に彼らの影響が聞こえてくるはずだ。
ブルース・スプリングスティーン(1980年)
ライバルたちがいた。真似をする連中もいた。
だけど、キングはひとりしかいない。エルヴィス・プレスリーだ。
ブルース・スプリングスティーン
あんなにも生命感にあふれた音楽をやって、多くの人たちの孤独を取り去って、多くの人たちに生き甲斐や生きる指針を与えてくれた人(エルヴイス)が、あんなにも悲劇的な死に方をするなんて、おれには信じられなかった。
あまりにも意味のない死に思えたんだ。
彼は、絶対にもっといい死に方をしてしかるべきだったのに。
ブルース・スプリングスティーン(1986年)
ディランは革命的、創造的だった。エルヴイスもそうだった。
おれはいつも自分のことを実践的なタイプの人間だと思ってた。
ブルース・スプリングスティーン(1988年)
エルヴイスがみんなの体を解放したように、ボブは心を解放した。
本来音楽は肉体的なものだけど、だからといって知性を否定するものではないということを示してくれたんだ。
ブルース・スプリングスティーン(1988年)
ボブ・ディランの音楽はおれにとって今までに書かれた最高の音楽だ。
彼は、まったくふさわしいやり方ですべてを語ってる。
信じられないくらいにパワフルだ。彼以上の集中力なんて誰ももってないよ。
ブルース・スプリングスティーン(1980年)
エルヴィスが誰かを裏切ったとは思わない。
個人的に、彼が誰かに何かを負っていたとは思わない。
だって、彼は、他のほとんどの人たちが一生かかって自分のためにやれる以上のことを、みんなのためにやってやったんだから。
ブルース・スプリングスティーン(1984年)
エルヴイスのことはよく考えるし、彼の身に起こったことについてもね。この職業が人に課す要求は不合理なものなんだ。
出かけていって、みんなにサンタクロースやイースター・バニーでも見るような目つきで見られるのはひどく変な感じだよ。
ブルース・スプリングスティーン(1985年)
エルヴィスはみんなが思っているように、素朴なんかじゃない。
彼は芸術家だし、芸術家であることにのめり込んでいた。
もちろん、彼は尻を振ってロックすることにものめり込んでいだけれど、それは彼の一部でしかないんだ。
ステージの上で、彼はすべてを取り込んでいた----彼は世界をあざ笑い、自分自身をあざ笑っていたが、同時に彼はクソ真面目だったんだ……それはぞっとするようなものだったけれども、やっぱり素晴らしいものだったよ。
ブルース・スプリングスティーン
いつもずっと昔に戻るんだ。
ハンク・ウイリアムズ、ジミー・ロジャースのころに。
彼らのレコードで聞ける人間的なものはほんとに美しくて崇高なんだよ。
ブルース・スプリングスティーン(1980年)
自分のために歌を書いても、それが誰か他の人のためにプレイするものでなけ
れば意味がない。人と人の関係こそ、永遠に続くものであって、決して引き離
すことができないものなんだから。
ブルース・スプリングスティーン
エルヴィス・プレスリーはすべてを手にしながら、それを失ってしまった。
あるいは指の間からただすり抜けさせてしまったのかもしれない。
いつのころからか、どうしてなのか、自分自身にかまうことを止めてしまったからさ。
彼は自分を太らせて、漫画になってしまったんだ。
ブルース・スプリングスティーン(1981年)
それ以上はない。
すべてがエルヴィスにはじまり、エルヴィスに終わるんだ。
彼は本を書いた。
彼はこのビジネスにおいて、やるべきすぺてのことであり、やってはいけないすべてのことでもあるのさ。
ブルース・スプリングスティーン(1981年)
母の愛なんだ。
僕の使命は、母親が子供の面倒をみるように、音楽で人を支えることだった。
僕達のとてつもなく大きな精神的な愛を<Don`t Worry Baby>に託したと考えてほしい。
ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)
ビートルズのA HARD DAYS NIGHT------
すごいエネルギーがある。
ヴォーカルがエネルギッシュなんだ、これは労働者階級のための曲だ。
ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)
問題は、自分の視点がどこにあるかということだね。
自分の内部から自分の目をとおして見ているのはいったい誰なのか、ということだけど。
ぼくの感じているところにょると、誰もが意識のなかに閉じこめられている。言葉をかえるなら、意識というものは、ひとつの状況であり、その心のなかの状況をぼくたちは自分自身の存在として提示しているということになる。
そして、時間というものは、意識と存在とのあいだで仲だちをしてくれるもののひとつなんだ。
ライクもう何年にもわたって、私は、自分自身の内部に充電しておいたエネルギーを使って、やってきたと言える。
ブルジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)
身のまわりの状況をよく理解するには、ゆっくり進んだほうがいい、ということだ。
これまでも、老いた人たちが若い人たちに対しておなじことを言ってきたわけだが、聞かされる立場にあったときはぼくも、ゆっくり前進するのがいちばんだ、などという言葉は、なかなかすなおにうけとめることはできなかった。
しかし、すこし年齢的に成長してくると、ものの見方や考え方にパースペクティヴができてきて、あれはやはりほんとうだったのだ、とわかってくる。
すでにいろんな人たちによって言いつくされたことをまたくりかえしているだけにすぎたいように思えるかもしれたいけれど、そうすることによってほかの誰かがぼくたちとおなじようにこのみじかい文句に触発されてくれたら、という願いがある。
むやみに期待をかけるわけにはいかないけれど、そういう触発が実際にあれば、それは望みうる最高の結果だと思う。
ビジネスとしてではなく、公共のものとして!
ブルジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)
みんな僕を
置いていってしまったんだ。
ブライアン・ジョーンズ(ローリング・ストーンズ)
ロックンロールについて書かれた本で読んだのだけど、ロックンロールにとってのほんとうのメディアムはレコードであって、コンサートはレコードの反復にしかすぎない、というのだ。
グレートワル・デッドは、この正反対だと思うけれどという質問に対して
ぼくたちのレコードは、そういう意味で絶対的なものでは決してないし、これまでも一度だってそうなったことはない。ぼくたちがやっていることは、それをおこたうときにぼくたちが身を置いているシチュエーションや、いわく言いがたいそのときどき、あるいはその場その場の雰囲気に依存している部分がとても多い。
自分たちの世界をトータルにコントロールしているわけではないので、「さあ、今夜の演奏は、決定的な最高の演奏だよ」などと言うことはとうていできない。今夜ぜひそうなるようにやってみます、ということしか言えない。どうなるかは、ぼくたちにも、そしてほかの誰にも、予測できない。終ってしまったあとでも、その夜の演奏や、ぜんたい的な雰囲気がいったいどうだったのか、断定的なことは准にも言えない。非常に微妙で、とらえにくいげれども、リアルなんだ。
コンサートの不幸は、ステージだ。観客はフロアにみんなすわりこむか、椅子の席があるときには立ちあがっていなくてはならない。なにか新しいものはなかなか生まれてはこない。柔軟性がなさすぎるからだ。こういう、いわば箱のようなもののなかで、これまでぼくたちは活動してきた。生きのびていくためのメカニズムとしてそういったものをぼくたちは利用してきたけれど、枠をとっばずしてなにかができそうなときには、そうしてきた。だけど、基本的には、・なにも新しいものは生まれてはこたい構造になっているし、観客のほうも、はめられた枠をはずせないことになっている。なぜかというと、アナーキーやカオスは、誰もがおそれるものだからだ。すくたくとも、とても多くの人たちが、アナーキーやカオスをおそれているーアナーキーやカオスのただなかに入りこんでくる人たちは別として。
場数を踏んでいるから、アナーキーやカオスがとても好きだ、という状態にまでぼくは達している。
アナーキーやカオスのなかで、新しいことがおこってくるのだ。
なぜ人がアナーキーやカオスを怖れるのか、その理由がぼくにはいまだにわからないけれど、怖がる理由は、それなりにあるのだと思う。自分を守りたいとか、自分自身に関する自分の個人的な幻想をこわしたくないとか。みんな、パラノイド的な理由だ。
大きなエネルギーが発揮される種類の体験ではみんなそうだけれど、正面きってぶつかっていくと駄目なんだ。サーフィンで大きな波に乗るときとおなじで、大きなエネルギーに自分をそえて乗せていけば、なんともない。
ブルジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)
「シリアスにやってるのではないし、なにかはっきりした理由があってやっているのでもないんだ。
ただ楽しんで、フリーク・アウトしてるだけなんだ。
自意識なんてまったくなしに、完全に自由に。自己犠牲は貢献ではないね。
貢献というものは、強制ではなく、自分が持っているポジティヴなエネルギーを外にむかって出していくことなんだ。
ぼくは、自分の仕事を、いわゆるフル・タイムの仕事として考えたことはないんだ。
たしかに仕事にはちがいないけれど、自分では、面白く遊んでるっもりなんだよ。
15の年にドロップァウトして以来、ずっと遊びの連続さ。いまでも遊んでぱかりいるよ」
ブルジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)
|