ブランドとは唯一無二。
それがゲンキポリタンのいう「ブランド」。
つまり、他の誰かと取り替えできないあなた。
職場で、家庭で、いろんな場面で、
あなたにとって変わるひとはいないと言われる存在。
おそらく、ほとんどの人が求めてやまない存在ではないでしょうか?
どうすれば、そうなるのか?
上の図のマイウェイとは、「わたしの生き方」
THE WAYと7つのゴールデンルール
"THE WAY "という概念があります。
有名なのが HP WAY ヒューレッド・パッカード ウェイのことです。
自宅の小屋で創業していまでは世界的な大企業に成長。その裏には一貫してヒューレッド・パッカード ウェイがあったというのは有名な話。「ヒューレッド・パッカード
ならではの仕事の仕方」と解釈していいでしょう、
ブランドとは生き様ではないでしょうか。
有名ブランドのものを身につけるのも楽しみでしょうが、
他の誰にも真似のできない自分ブランドを確立したい。
カッコいいでしょう。
ゲンキポリタンではライフスキルを身につける方法として、7つのゴールデンルールを提唱しています。
実行を重ねて、身につけていただくと、唯一無二。取り替えできないあなたになることは間違いありません。
実行しぃていると、過去の習慣や癖が邪魔をすると思います。
その場面こそ、自分で自分に突きつける課題です。
乗り越えるか、へこたれるか。
ゲンキポリタンのガイドで乗り越えることが出来ますし、あるいは知識を深めることで自分で変わることも可能です。
心地いいくらしを手許に 引き寄せるようにしましょう。
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目的志向と原因志向はどう違う?
●目的志向・・・いまに立って未来に目を向けています。
●原因志向・・・いまに立って過去に目を向けています。
目的志向はポジティブ、原因志向はネガティブ。
もう少し違った表現をすると、
目的志向は上方志向、原因志向は下方志向。
たとえば自分が成長するにはできることだけをやっていては成長しません。
年齢に関係なく、背伸びしないと届かない目標にチャレンジするから成長します。
目的志向は「どうしたらできるのか」と日夜考え行動します。
人間の行動にはその人の意志が働いて行動していると考えます。
すべての行動は自分の選択なので当人に責任があると考えます。
責任とは別の言い方をすると主体性があるということです。
つまり自分は無力ではなく、自分の人生は自分がコントロールできるという考え方です。
この主体性のある能動的な考え方によって、自分は運命の犠牲者ではなく、運命の開拓者である、真の意味で自由であり、希望を持つことができると定義づけます。
目的志向の人が他者を励まし、モチベーションを引き出せる特質になりえるのは、そのような事情からです。
一方、原因志向で「なにが問題だったのだ」と原因を探ることに心砕いても、背伸びはありません。
原因志向とは、どうしてそうなったのか、過去にフォーカスします。
過去、現在の状況の何かの影響で現在の行動があると考えます。
そこまでは、 物事を反省をする上で、とっても重要なことです。
具体的な問題の原因を探して手を打つ上では有効ですが、そうでない場合には落とし穴があります。
考えても仕方のないことの答えを求めても、意味がなく時間だけが消費されます。考えている点では両者は同じですが、志向は全く反対で背伸びせずに、しかも考えても現実に反映されないことをいくら考えても時間のムダなのです。
さらに問題があります。
何らかの原因があって現在の行動があるわけですから、自分は過去や現在の状況の影響を受けた被害者・犠牲者と思い込みます。
主体性はなく運命に翻弄されているようなイメージでとらえ、意識は不足に傾斜し、不平不満が日常化しています。
不平不満を言わないことがモチベーションの高い状態にあると錯覚します。
それにしても、 現実に反映されないことを考えるのは、どうしてでしょうか?
実は密かな楽しみ、しかも依存症的な傾向を含んだ感情的な行動になっていることが少なくありません。
いつまでも終わった恋を考えているひとがいます。
本人は「好きだから」と思い込んでいます。事実そうかも知れません。
でも問題はそんなことではない。そのひとのことを考えている限り、その恋は終わっていません。
終わったか、終わっていないのか、その事実を決定するのは本人しかないので、わたしや第三者がとやかく言えません。
でも、いくら考えても現実に反映されることはありません。問題はその点なのです。
この場合、貴重な時間が考えることに奪われてしまいます。
それも人生なんだと言えば言えなくもありません。
しかし、何度も言いますが、現実に反映されません。
「掃除が面倒くさい。」など思いがちな方は気をつけましょう。
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ノウハウ本が自信を奪う
ノウハウ本は、成功事例ですから、読むことは悪いことではありません。
成功事例なので、原理原則に叶っているはずです。
帰納法で考えるときに役立つので、情報を仕込むという点では問題ありません。
この情報を、原因志向のひとは、自分との比較に使ったりします。
あるいはそのまま真似して頑張ろうとするものの、できないので、どうして自分にはできないのだろうかと「反省」して、自分を否定してしまいます。
この反省は、現実に反映されないので反省ではありません。
ノウハウ本を読むほど、自分に自信をなくします。
ノウハウ本には読む人の注意が必要です。
普遍性はあるものの、普遍的なことを書いているわけではありません。
つまり、内容が自分に合う人、合わない人がいます。
それは筆者の責任でも、あなたの責任でもない。
限界があるということです。
ファッション誌のモデルと衣装の関係と似ています。
きれい、かっこいいと思っても、それが自分に似合うかどうかは別です。
自分に似合うファッションがあるのと同じです。
自分に似合わないファッションでも、色彩のバランス、布地や素材の組み合わせ、形のバランスなど学ぶことはたくさんあります。
そうすると、男性でも女性のファッションでも学ぶことができます。
データとして蓄積しておいて、後で帰納法を使うと役に立ちます。
ノウハウ本は、そういう読み方をしないと危険なのです。
同じことは体験者の講演でも同じことがいえます。
目的志向のひとは仕事に自分を合わせます。
情報も、取捨選択して、アレンジして使いこなします。
原因志向のひとは自分に仕事を合わせます。
そのため、情報もまるごと 自分化してしまう傾向があります。
この違いがノウハウ本を読むほど自信喪失に拍車をかけます。
帰納法(きのうほう)
帰納法は、様々な事例を見ながら、そこに法則を発見するプロセスを踏むという点で演繹法とかなり違います。
車を例にして考えるなら、いろんな事例を見ることから始まります。
車種と使っている人の関係を見ることで、共通点を発見することが可能になります。
金持ちは共通して高級車に乗っていることを発見することができることから、金持ち高級車を好むことが高いことが分かってきます。
次に金持ちに照準を合わして観察すると、金持ちだけど安い車に乗っている事例も発見します。
すると高級車を使わない金持ちには、無駄と思うことにお金を使わないという違う共通点を発見します。
次に車に照準を合わせて観察すると、金持ちでない人が、高級車に乗っている事例も発見します。
今度は高級車を使う人に共通した考え方があることも発見できます。
野菜の場合でも同じで、共通点として栄養以外に「光合成」という機能に着目する可能性もあります。
その機会を得たことで野菜は光合成を行うという結論を出すこともありえます。
このように帰納法の場合は、共通点をいくつも発見できる可能性がありますので、複数の共通した要素を発見することも可能になります。
違う要素を発見することは、可能性の発見に他なりません。
ですから帰納法は可能性を発見するための考え方ともいえます。
だから行き詰まったら突破口の開けやすい、帰納法を使えというわけです。
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事件の現場は因果応報がいっぱい
「事件は現場で勝手に起こっている」は人気TVドラマの名セリフですね。
自分が生きるシーンで起こる「事件」は自然発生というより、選択の結果の積み重ねで起こっています。
自分に原因があると責めても仕方がないことですが、選択の結果であることには注目したい。
つまり、選択は、目的志向、原因志向の違いで変わります。
結果は選択により変わるので、現場で起こっている事件は、目的志向、原因志向の違いで発生しています。
つまり、「どうすれば自分の思うことが実現できるか」を日夜考えている目的志向で行動していれば未然に防げたことがたくさんあることを忘れないようにしたい。
原因志向で行動しているために事件をつくり、その原因を解決するために、イライラしてるというば、皮肉としか言いようがありません。
余談ですが、デジャウって映画。事件が起こる前に戻って事件を未然に防止するアクション映画ですが、いまのところ?現実には不可能です。
だから。目的志向を心がけたいですね。目的志向でも失敗はありますが、日夜どうすればできるか、取り組んでいるので、「失敗は成功の母」のことわざが現実になりやすいのです。
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好きなことをやれば成功する?
「好きなことをやれば成功する」というのは没頭できるパワーが違うので、その通りです。
しかしこのダレでも判りそうな定説には危険がいっぱい。
それを説明する前に、まず、言葉について知っておきたい。
ひとは言葉、動作、仕草、態度もを使ってコミュニケーションします。
なかでも判りやすいのは言葉ですが、それにも限界があります。
「みどり」という言葉は同じでも 、みどりのイメージが ひとによってみんな違います。
だから判り合えるはずなどないのが普通で、このように、すごく危うい状態でコミュニケーションをしています。
さらに次の問題があります。
「好きなことをやれば成功する」は、事実であったにしろ、そうそう簡単に自分の好きが発見できないものです。
ところが定説として、当たり前のように浸透しているため、発見できない自分に自信を失います、
ノウハウ本と同じく、ここでもまた、どうして自分にはそれがないのかと、自分を否定的に考えます。
否定する前に考えてほしいことがあります。
なぜ長続きしない恋愛が溢れているのでしょうか?
あんなに互いに好きだったふたりの恋が失意の内に終わるのはどうして?
「好きなこと」、なかでも「好きな仕事」の見つけ方には、工夫が入ります。
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仕事ってどうやって決めていけばいいのですか?
好きがないわけでなく、見つけ方を知らないだけなのです。
でも、そういうことを教えない。みんな知らないままに定説をもっともな顔をして言う。
これが一番怖い。
あなたが「好きなことがない」と大声で言っても全然恥ずかしくなくて、おかしなことではない。
おかしなのは、いかにも当たり前のように言う側なのです。
ワードショーに出演しているひとたちにも要注意です。
そこが判っていないと、まじめなひとほど、辛くなります。
その一方で、あまり考えることをしないで、気楽にやっている人を見るといい加減に感じます。
判ってくれるひとがいないと感じ、孤独感が深まり、コミュニケーションにも疲労感が強まります。
決してひとりがいいわけでもないけど、誰かといても疲れるだけ。虚しさから脱出したいと思うほど苦しくなります。
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賢いはずのひとがバカになる瞬間
意見交換していたら、意見の違いに出くわします。
当然のあっていいことで、違いも楽しい。
同じでないといけない理由はありません。
ところが、どうしても意見の相違があってはならない場面もあります。
仕事の場面なんかで、「どう考えても、それはおかしいだろう。その判断は間違っている」ということがありまます。
でも、本人は譲らない。賢いひとがバカになる瞬間です。
わたしはコンサルティングをしていて、よくそういう場面に出会ってきました。
で、なにが問題かというと、ある課題だけを考えたら判断は間違っていない。
でも、因果関係があるので、それをそういう判断したら、他で問題が生じるということが少なくない。
ひとはひとりで生きていないし、ある問題はそれ単体のことではなく、他の問題と連鎖している。
そこで「大局を観る」ことが欠かせない。
大局を観たら間違いだと判ることでも、大局を観ないと正解になってしまう場合が少なくない。
一回、二回の失敗なら取り返しがつくだろうけど、何度も重ねるとひどいことになります。
「大局を観る」ことができないひとのもうひとつの欠点は、因果応報が判らないことです。
現実を判断して結論を出すのはいいけれど、その現実は自分、あるいは自分たちの誤った行動がもたらした点に注目しない。
決して知らないわけではないけれど、注目しない。
で、どうするかというと表面化した問題に手を打つ。
「クサい匂いは元から絶たないとダメ」というのが本当なのです。
だから 表面化したことは、たまたまの結果に過ぎない。
手を打つべきは、誤った行動に向けてでないと意味がない。
なのに表面化した問題に手を打つ。
不思議な発想だと思うのですが、平気でそういうことをするひとが、たくさんいます。
理由は判りませんが、それが気になって仕方がないのでしょうね。
「こだわり」はものすごく重要。
唯一無二なんて、こだわりのかたまりのような世界です。
でも間違ったこだわりもあるので注意したい。
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じぶん力はこうしてアップする
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ひとには、幼少の頃から育つ過程で身につける生き方の構えがあります。
基本となる生き方の構えには、4つのパターンがあります。
自他ともにOK(肯定)、自分はOK、他者はNO、自分はNO、他者はOK、自他ともにNO(否定)の4パターンです。
生き方の構えによって、ライフスキルの身の付け方が変わってきます。
一方で、ひとは誰でも三つの私を使い分けながらコミュニケーションします。
三つの私とは、親の心(保護的な親と厳格な親) 、大人の心、こどもの心(無邪気なこどもと従順なこども)。
生き方の構えは、ライフスキルや三つのわたしの使い方に影響を与えます。
三つのわたしの使い方を間違えるとコミュニケーションはうまくできません。
するとライフスキルも理想的なかたちで身につけることが難しくなります。
ライフスキルが不足していると、いろいろ弊害がでてきます。
ひととの関係で、境界が曖昧になったりします。自分に対して否定的になるからです。
否定的になるとアサーティブすることが減る代わりに境界の乱れは激しさをまし、人間関係はこじれます。
本当は傷つけたくないひとを傷つけたり、側にいてほしいひとを遠ざけてしまいます。
やりたいことをしないように選択して、自分の人生から自分をどんどん消していきます。
遠い日、夕日よりもきれいに微笑んでいた砂場遊びの名人は消しゴミ使いの名人に変身することで、居場所がなくなる虚しさと悲しみがまとわりつきます。
ネガティブな感情は、傷つくことを怖れ、ひととの間に壁を作ってしまいますが、それも自分では気づかず、こどもの頃には、瑞々しいものだった感情も鈍ってきます。
考えても仕方のないことを考える機会が増え、感情的な行動が多くなります。
大事な場面で、モチベーションを引っ張り出して高くするにも、できない、無理と思うことが増えます。
モチベーションがひくいと、したいことができない、あるいはしたいことをしようとしない現象が表れます。あきらめグセがつき、そのうっぷんを関係のない他者に向けて境界を越えて投げつけてしまいます。
周りのひとにしたら。いい迷惑ですが、じぶんではそれさえ分からなくなります。
椅子に腰掛けて、新しい空気を胸いっぱいに深呼吸。
息を腹から出したら、少し休憩。
それは誰かの力でそうなったわけではなく、自分がした選択の結果。
だから、選択を変えれば、いまより違う場所へ行けることを考えてみましょう。
無力なこどもの頃の自分ではなく、いまの自分を取り戻す。
目標を持って達成にチャレンジします。
そのプロセスを通じて、じぶんの力を発揮します。
気分を変えて、思いきり頑張らないと達成できないくらいの目標が丁度いい。
自分の潜在力を引き出せるからです。
でも、なれていないと、できない病が顔を出すので、適当なバランスをとりながらストレッチ・ターゲットにチャレンジするのもいいようです。
上限も下限もありません。
すべては自分の選択です。
マネジメントとコントロールを使って達成に向かいます。
自分をマネジメントするとは、自分をケアすることも含んでいます。
達成のためにあの手、この手と全知全能傾けて、打てば打つほど楽しくなるので、プロセスを楽しみようにしましょう。
ネガティブなひとはそう思いませんが、どっちにしてもやる前のことですから想像にすぎません。だったら、楽しい想像したほうがいいのではないでしょうか?
見たものは信じる。どっちを選んでも、あなたの想像が現実になるだけのことです。
でも、忘れないでください。
自分が苦しんだ道だけは歩かないようにしましょう。
基本的な生きる構えをおかしく構えていると、三つの心の使い方、ライフスキルの充足に好ましくない影響がでます。
するとアサーティブできなくなり息苦しくなります。
目標設定して、脱却を試みます。
モチベーション、マネジメント、コントロール、コーチング 使えるものは全部使って、とにかく打ち込みます。
ゴールは「素顔のわたし」です。
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嘘か本当か。
本当に幸福な気持ちを手に入れる
ゴールは「素顔のわたし」です。それが幸福な状態。
いま、この瞬間、ただひたすら打ち込んでいるときです。
他のことはなにも考えない没頭の状態。
つまり考えて仕方のないことは考えない。
考えて仕方のあることだけを考えている。
一期一会の世界です。
だらしなくテレビ見ている恋人が、振り返って笑顔を投げてくれても、うれしいですか?
一途に集中していた恋人が、振り返って笑顔を投げてくれるのと、どうですか?
そういうことだと思うんですよ。自分をブランドにするのは。
やってしまおうよ!
「心地いい」それが条件
頑張ることは難しいことではない。
いろんな質問、問題をなげかけていただく方々の心の奥に、努力を嫌う傾向は感じません。
理由がよく判らない感情の洪水が、砂の城を砕くように破壊する痛み、
その切実を乗り越えるには、ゴールへ突き進む心地よさの体感こそ必要だと感じています。
頑張ると心地いいは相通じていますが、遮断するのが先の見えないトンネルの長さ。
中学生や高校生のように時間的余裕がないひとに、長いトンネルはつらいものです。
そのつらいプロセスを心地いいプロセスに変えることこそ、成功の条件です。
ゲンキポリタンならそれができます。