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世界で一番大切な君に話すこと。

銀座のいちご


彼女・・・ちゃんは経理の仕事をしていたので、カフェの現場にはまり出ていなかった。
店のスタッフが食事に入るときだけサポートしていた。
自分は、そんなことは気にせずに店を利用していたので、朝に電卓を持って店内を歩いている以外、見かける機会は少なかった 。
自分は彼女から漂う雰囲気から、ある女性を思い出していた。

 

その人は、"りょう"と言った。
初めて会ったときは24歳だった。司法書士の事務所で働いていた。
こんな調子で本当に仕事しているのかと思うほど、突っ張っていた。
自分には、ぶっきらぼうに、人を見下したようなポーズを見せたが、気にせずに 接した。身長158センチ、160センチと158センチは全然違うとよく話していた。

特別な感情が互いにあったわけではないが、ふらっと部屋に遊びに来た。
鉄のドアを開けると、鉄以上に固いプンプンの表情で、視線も合わさずに、ベランダから飛び出してしまいそうな勢いで、一直線に部屋の奥まで突き進んで椅子に座っていた。

イヤだけど来たぞと言わんばかりの態度に、悪いことをしている気分になることもあったが、プンプンした横顔が好きだった。
約束した時間に遅れた時には、プンプンがひっくり返ったように、何より真っ先に、待ったやろう、ごめんね。としきりに気にした。
いつもなにかと心配もしてくれていた。鉄のような表情は自分の心情を隠すものだった。

こっちのことはアレコレ聞きたがるのに、自分のことは語らなかった。
自分は"りょう"の固い殻に包まれた強がりに潜む柔らかい仕草や雰囲気が好きだった。
人ごみが嫌いだったので、一緒にビデオを見たりして、不思議に仲良しだった。
「プラトーン」での目立たないけれど、やさしいジョニー・デップがお気に入りだった。
"りょう"らしいと思った。

知り合って2年ほどしたある日、表情があまりにもかわいらしかったので、キスさせてくれと言ったら、なんでと聞くので、明日飛行機に乗るから、もしかして今日が最後になるかも知れないと言うと、そんな理由でできないと断られた。
しかし、それもいいと思っていたのか、それを境に感情の起伏が激しくなっていた。
その頃、気にしていなかったが、 電話されると迷惑だというようなことを言い出していた。

そして、ある日、いつものように部屋に入るなり、無言のまま、プンプンふくれっ面でソファに座っていた。
自分が笑顔で接するといきなり、電話しないでくれと言う。
いつものことと思ったが、この日は執拗だった。
私に電話せずに他の人に電話しろという。
あまりにも執拗だったので、いい加減うんざりして、もう二度と電話しないと言った。
"りょう"は考えすぎよ。言ったが、考えすぎもクソもない。
こっちは"りょう"の言うままに反応しただけのことだ。
いままでのことはなんだったの?とも言ったが、もう頭に血が上った状態の自分の脳が回転不良だ。
鈍いといえばそれまでだが最初に執拗に繰り返された言葉が、突き刺さって痛みがぐるぐる全身を循環する状態では、"りょう"の言葉を考える余裕を失っていた。

しかし本心から怒っていたのではない。
自分が傷つかないように防御して、平静を装っただけだが、、その瞬間はもう電話なんかしないと本気で思っていた。

喧嘩したままだったが、帰り際に、用意していた旅行のお土産を渡した。
"りょう"はいつもと同じく柔らかな美しい表情で、うれしそうに受け取った。
その表情からも、自分は何も心配していなかった。
そして帰り際に、本当はお土産を買ってきた。今日は持ってこなかったけれど、また今度ね。と言った。
驚いたのはその後である。

その言葉を最後に、部屋から出るなり大声で、もう二度と電話してこないでと叫んだ。
いつも強がりの恥ずかしがり屋さんだった"りょう"らしくない行動だが、ヒステリックになって見境がなくなっていた。
すでに冷静を取り戻していた自分は何も気にしていなかった。分かった。また電話すると返した。



しかし、その日から、"りょう"は仕事もやめてしまい目の前から消えた。
懸命に探したが、連絡はまったくつかなくなった。
すでに思いつめていた彼女は、自分の言葉を真剣に受け止めてしまった。
後から思ったことだが、あの時、ヒステリックな最後の言葉は、彼女が彼女自身を言いふくめるためのものだったような気がしている。

ボタンをかけ違ったまま1年が過ぎた。さらに半年。
やっと連絡がついて、会うことができた。
"りょう" 本人自身の様子には変わりがなかったので安心した。
恥ずかしそうにしながら、素直だった。
次にあったときに、デートに誘った。そして、ふたたび"りょう"は目の前から消えた。


半年が過ぎた頃、もう二度と姿を現すことはないと確信した。
自分の望むことが叶わないのはストレスだが、手に入れるのもストレスになる。
同じストレスなら前向きに臨む方がいいに決まっている。

自分はよく"りょう"に言ったことがある。
どうせ私なんかと思うだろうが、"りょう"は上等な人間だからな。
どんな仕事をするようになっても、どんな境遇にあっても、自分を大事にしろ。
最初に出会って30分後に感じたことだが、会うたびに深く感じた。

"りょう"はきれいだった。なにより人間の品位があった。それが痛々しくも思えた。
食事中にクチャクチャ音を立てたり、場所を構わず携帯電話で話したりせずに、
自分と他人との領域を静かに守って暮らすことがきちんとできた。
自分が傷ついても、他人を傷つけるような人間ではなかった。
そんな人間にとってこの国は決して暮らしやすい国ではない。
可哀相だと思ってしまう。

そんな女が、しっかり自分を思い切り鋭利なナイフで傷つけていった。
寂しい人間は寂しい人間を求めるという。
自分がもっとしっかりしていればとも思うが、どんなにうまくやっても彼女はきっと消えたと思っている。
ジーンズの腰からのぞいていた赤いショーツの安っぽさが切ない記憶だ。
"りょう" は、決してゴミを道に捨てたりすることもなく、悪戦苦闘しながらも、精一杯に生きていることだけは間違いがない。

"りょう"がディズニーランドに行ったおみやげにくれた「銀座のいちご」
自分は"りょう"が姿を消す、そのずっと前から、"りょう"には言わずに、その包装紙を額に入れて壁に飾っていた。
その不器用な律儀を粗末にできなかった。
空き箱には"りょう"が行きたがっていたデスティニーズ・チャイルドのコンサート・チケットが入ったままだ。
銀座のいちごは何も言わないけれど、いちごの気持ちはよく分かる。
「銀座のいちご」を手放さずにいれば、"りょう"が少しでも幸福になれるかも知れないと、科学を超えた世界に頼っている。

 

ちゃんは、いつも周りに気を配りながら仕事をしていた。
そうすることに慣れているように見えた。
自分のままでいいんだよと、叫ぶより大きな声で言ってやりたかった。

ゴミ箱を用意してあっても、自分の出したゴミは自分の鞄にしまう人間がいる。
そんな人間を見ていたら、科学を超えることはたやすいのではないかと思っている。


「銀座のいちご」の中心を通り抜けて、もう一枚の包装紙の中心に向かっている。
そこで科学と一戦交えるくらいの覚悟で、
自分は背後霊になって、ちゃんに取り憑くつもりだ。
貯めたお金を全部つぎ込んで商売を始めるのと同じように、
溜めこんだ痛みや喜びの全部で、ちゃんを愛している。



 


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