我慢できる力は、自分の身体を自分が思うように使えるのに似ています。我慢は自分の脳と心を自由に扱える力です。
なにごとも思うようにならないのが当たり前です。だから自分でくじけないように「我慢」する力を駆使して、自分の真の欲求に近づくようにする、ポジティブ志向、それが我慢です。
我慢は、衝動的な欲求を自分自身が認識して、長期的な利益を考えた上で、欲求をふさわしい行動に変える技術のこと。何が何でも自分にとって真の利益にするポジティブな行動です。
ところが、我慢は自分を抑圧すること、つまり我慢は損をすること、自分の気持ちを殺すものと思い込んでいる方が多く、最近は特にその傾向が強くなっているようです。
我慢の解釈を間違えていると、なんだか損しているような気分になります。
では、抑えた欲求はどうなるのでしょうか?
どうやらその点が「我慢」の解釈が人によって違う原因になっているようです。
我慢していると、つらい思いがこみあげてきてしまうのも、我慢の解釈と過去の体験が原因のようです。
自分の過去の体験から、身につけてしまった欠乏感も天敵です。
自分への信頼感が薄いと、手にいれられるものは、いま手にいれておかないと手に入らないと無意識に反応してしまいます。
それにしても、その反応は長期的、大局から展望すると適切でない場合が多いのです。
望むままに欲求を満たしていては、自分で障害をどんどん作っていることにもなり、目標の達成は困難となるばかり。
我慢の本質は、目標を達成するために、瞬間、瞬間における自分の反応の仕方を適切なコントロールによって変えていくことにあります。
ですから、我慢する意味を理解していて、我慢することができるほど、我慢は苦でなくなるばかりか、逃げずに積極的に取り入れようとします。
より大きな喜びに近づいている実感が意識できるからです。
物事を成就するには、客観的に観て難易度が高いほど、準備をしたり、訓練をしたり時間がかかるものです。
自分を信頼している人は、必ず達成できるように、想定できる障害に対策を打ち念入りに準備します。
小さなことを疎かにしないで仕上げていきます。急がば回れです。
準備や訓練する人は、準備・訓練に要す時間も計算するだけでなく、時間の不足を危惧し、意識的に危機感を自然体で創り出して、時間を大切に扱います。
何度も同じ失敗している時間的余裕がないとして、準備や訓練も含めてプロセスを徹底するのです。
またうまくいかないときほど地道な努力を続けます。
日頃から、我慢になれていないとすぐ楽になろうとして諦めます。
結局、自己否定感だけが強まります。
それがさらに我慢する力を弱めます。
いますぐ結果が欲しいと求める心情は分かりますが、自分の努力の報酬として、いますぐ結果を求める人ほど、準備や訓練をしない傾向にあり、あきらめも早くなります。実際には案件にかかわっている時間が圧倒的に少ないのです。
しかも本気ではなく上滑りです。
面倒くさい、分らないで片付けて、その原因を自分のせいにします。
自分のせいに違いはないにしても、準備をしなかったことやスキルの弱さに原因を求めるわけでもなく、一足飛びに自分が悪いという自己否定だから反省にもなりません。
これでは手のつけようもないので、いくら失敗しても変化を起こせない。
自分の無力感だけが残ります。
・欲しいと思ったものは手に入れる
・欲しいものを手に入れるのに長く我慢することはしない
・人にして欲しいことがある場合はすぐにして欲しい
・何も考えずに不健康なことをしている
・待つのは苦痛だ
以上がノーの人は、我慢できる基礎力が備わっています。イエスの人は危険信号です。
我慢する力が弱いのは、自分に報いる気持ちが強いからですが、その背景にはストレスと自意識の扱いの違いがあります。
自意識が強いと依存心が強くなり、やる前から自分の努力に注目してしまい、そんなことはできないと身構えてしまい、ルールや言われることに反発したくなります。
これも自分に報いる気持ちが強いからですが、本当は報いるのでなく、自分を粗末に扱っていることに気がついていないのです。
どうしても我慢ができない場合は、その欲求を目標達成する上で、もっとも害がない形で消化するようにしましょう。
従来からのくせで、感情的になりがちだったとしても、意識することで、感情的にならずに、我慢できるようにしましょう。
怒っているときは怒りをぶつけること自体が目的のようになりますが、怒りの発端となった本来の目的はそうでなかったはず。
大切なことは怒りを表現することでなく、目的を達することです。感情的になるとそんなことすら分らなくなります。
次に、自己肯定感、自己効力感、専門的なスキルと共に育くまれていく好ましい事例を紹介します。
自己効力感とは、目標に到達する能力に対する自分の感覚(遂行可能感)を表現したものです。つまり、自分にはやれる気がするという感覚です。この感覚は達成を繰り返す事で身についていく感覚です。
「ぼくの夢は一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学、高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。
活躍できるようになるには、練習が必要です。ぼくは、その練習にはじしんがあります。
ぼくは3歳のときから練習を始めています。3歳〜7歳までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは365日中、360日ははげしい練習をやっています。だから一週間中、友達と遊べる時間は、5時〜6時間の間です。
そんなに、練習をやっているんだから、必ずプロ野球選手になれると思います」
これは現在大リーグ活躍しているイチロー選手が小学校6年のときに書いた作文です。
この作文に「自分はきっとやれる」といった自己効力感がしっかりと育まれているプロセスを明確に観ることができます。
練習漬けの毎日ですが、練習をすることによって、「友達と遊ぶ時間もないほど、こんなに練習をやっているんだから、プロ野球選手になる以外にないだろう。これだけやっているのだからそれしかないだろう」という実感を手に入れています。
追い込んで追い込んで、考えることを忘れるほどに追い込んだことで、小学生でありながら無心に辿り着いているように思えます。
選択の余地がないほど、自分と自分の時間を野球に投資しているのだから、その結果を引き受けていくしかない。という選択。
それは選択肢を失うほどに、意識をいまに集中させた膨大な累積の結果であって、それが類い稀な自信をこども心に呼び込んでいるのです。
この時イチロー選手は、この現象に対して、ネガティブにもポジティブにも判断できる立場にあり、判断の選択も自身にありますが、野球のスキルが上達していることもあり、ポジティブな判断に傾き「必ずプロ野球選手になれると思います」と結論づけています。
この状態を自分の選択で継続したことで、野球のスキルと、自己肯定スキルをはじめとするライフスキルを身につけることが雪だるま式にどんどんふくれあがっていったわけです。
「そりゃ、僕だって、勉強や野球の練習は嫌いですよ。だれだってそうじゃないですか。つらいし、大抵はつまらないことの繰り返し。でも、僕は子どもの頃から、日標を持って努力するのが好きなんです。だってその努力が結果として出るのはうれしいじゃないですか」
(イチロー:談)
最近の言葉です。
さらに重い言葉があります。
「ここまでヒツトを重ねるには、それよりはるかに多い数の凡打を重ねなくてはいけない。やっぱり思うことは2000という表に出る数字じゃなくて、それ以上にはるかに多い数の悔しさを味わってきたことのほうが僕にとっては重い気がします」(イチロー:談)
こんな話を聴く機会がよくあると思います。
コップの中に半分水が入っている。それを見て、もう半分しかないと思う人。まだ半分あるもあると思う人。同じものを見ても考え方はこうも違います。
ポジティブ発想、ネガティブ発想についての事例に、よく使われる話です。
このイチロー選手の談話は、どうでしょうか?
彼は失敗に関心があるようですが、そうではありませんよね。
彼の言いたいのは、悔しい思いをするたびに、どうすれば打てるのかを考え工夫したことを言いたいのであって、ネガティブな発言ではなく、常にポジティブだったと言いたいわけです。
つまり、「打てなかったときに、落ち込む人は多いけれど、ぼくはそうじゃない。打てなかったときほど、やってやると闘志がわき、考え、工夫して、練習をした」ということです。
それを裏付ける言葉があります。
「やれることはすべてやりましたし、どんなときも手を抜いたことは一度もなかった。やろうとしていた自分、準備をした自分がいたことは誇りに思います」
(イチロー:談)
イチローは特別な人でなく、みんなと同じだということを伝えたがっているのだと思います。
そのことを本人が一番知っている。
だからこそ、みんなと同じだけど、みんながしていないこと、つまりイヤになったとき、落ち込みそうになったとき、仕事から離れたくなるときほど、仕事に打ち込んだことを、誇りにしたいと語っているのです。
みんなが、していないこととは、できないことでも、あきらめずに、どうしたらできるのかを考えて行動したことです。
苦しくてもバットを置かずに、いつも振りながら、考えた成果です。
過去の成功も未来の不安もない。ただいまこの瞬間、どうしたら打てるのかと、練習中も試合中も考えながらバットを振っているだけなのです。
だから不安になっている時がない。
とてもシンプルです。
でもたいていの人は、嫌気がさして、時には失意や挫折の内にバットを置いて気晴らしに全然違うことをする。あるいはバットを置いて考える。あるいはさっさとあきらめる。
そして、これが一番重要なことだけれど、簡単にあきらめるのと引換に自己効力感を失っている点です。
私たちは誰でもが努力すればイチロー選手のようになれるわけではありませんが、自分の仕事で「イチロー」になることは自分の行動によって可能なのです。
次のことがイエスと答えられる人でいてください。
・目標に反している行動だと気がついたら、すぐにやめる
・欲しいものをしばらく我慢できる
・小さなことを積み重ね大きな目標を達成したことがある
・目先の利益にとらわれず全体的な利益を考えて行動している
・着実なやり方が手っ取り早いやり方に優ると考えて実行している
我慢力とは、自分を大切に扱える力だと定義してください。
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■ 基礎的な力
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・ 継続力(あきらめない力)
・ 我慢力
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