先ほどお伝えしたように「以前と比べて、比較にならないくらい雰囲気が変わったけれど、何かしたんですか?」「最近、お母さん変わったね?」と声をたくさんいただいています。そして感謝されています。
講座に参加した方はこう言います。「変わりたい」
それまで「変わらなければならない」と思っていた人が、「変わりたい」と思うようになったのです。
他人を変えることはできないと信じている私が、会ったこともない人を変えているのです。
なぜ、短期間でこうも簡単に変えられるのでしょうか?
人が変わりたいと思い、変わっていくにはルールがあるのです。
その「ルール」に私は、あることを通して気づいてしまったのです。
知りたいですか?
現在大リーグ活躍しているイチロー選手が小学校6年のときに書いた作文が「イチロー思考―孤高を貫き、成功をつかむ77の工夫」という本に紹介されていました。
「ぼくの夢は一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学、高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。
活躍できるようになるには、練習が必要です。ぼくは、その練習にはじしんがあります。
ぼくは3歳のときから練習を始めています。
3歳〜7歳までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは365日中、360日ははげしい練習をやっています。
だから一週間中、友達と遊べる時間は、5時〜6時間の間です。
そんなに、練習をやっているんだから、必ずプロ野球選手になれると思います」
幸福の秘訣は、ここにあります。
「一週間中、友達と遊べる時間は、5時?6時間の間です。
そんなに、練習をやっているんだから、必ずプロ野球選手になれると思います」
選択と集中の大切さが伝わる言葉ですが、なかなかできません。
この話をすると、よく「イチローも偉いが、親が偉い」と返って来ます。
そして、自分の親の話に移ります。そこなんですよね。私が言いたいのは親の話ではなく、自分の選択と集中なのです。
最初にお話したように、「他人を変えることは私にはできません。自分にできることは自分の選択と行動だけです。」が現実なのです。
つまり私が気づいたのは、「選択と集中」が大事なことはみんな知っているはずなのに、それをしない事実です。
幸福になるために、私はなにをどうしなければならないのか。
そのために必要なことは何で、どうしたらいいのか、そこが分かったのです。
この文章のなかにも、ルールが書いてありますので、注意深くお読みください。
たとえば、ダイエット、貯金、禁煙、資格・・・・が思うようにできない。
できない人には共通した原因があります、
・目的(ゴール)が曖昧
・目標に無理があり、計画に難があり、実行が出来ていない
・継続する仕組みがない
・感情のコントロールができず、我慢力が弱い
・コミュニケーション・スキルが弱い
・流行りの情報に振り回されている。
・結果を急ぎ、マネジメントサイクルを回せない
さて、問題は、このようになる原因です。
たとえば、このような問題解決のために勝間和代さんの本を読む。でもできない。落ち込む。
あなたは 怠け者だから・・・・意志が弱いから・・・原因を自分に探す。
しかし、原因は、そうではない!
だから落ち込む必要はない。
本を読んでも、本当の原因が分からないのは、こうなる原因が別にあるからです。
その理由はシンプルです。
あなたは考えたこともなかった事実を知るでしょう!
私は、いまとても幸福です。
私は「七福神」の布袋さんが好きで、あんな風になりたいと思っています。健康に注意しているので体型は違いますが、懐の深いところに厳しさを潜ませながら、その気配を感じさせない「やさしさ」に憧れています。
私はバツイチで独身です。過去に、2年間ほど無茶な働きすぎで、会社の床にごろ寝していたことが災いになり手術の後遺症にも悩まされています。しかし達成感があるので後悔はしていませんが、何かつけて思い出ボロボロな人です。
ボロボロになりながら、これでいいのかを考える時間もなく、ひたすら仕事をしていましたが、いつも人間が課題でした。
「仕事は愛」が私のポリシーです。
どんな仕事にも目的を持つことの大切さを体験で学んできました。
困難を乗り越えるために、人の力が必要になります。
価値観の違いに出会うたびに、価値観の統合を重ねてきました。
自分のためでなく相手のために、どうしたら幸福にしてやれるのかを考えてきました。
本業であるコンサルタントでは会社を良くする立場で発想し、発言しています。
そのなかには時には個人は置き去りになることもあります。
可能な限りすくうようにしているものの、限界を超える場合もあり、もっと違う価値観を持てるようにしてやればと断腸の思いがするときがあります。
職場は学校ではないので限度があります。
このような思いがすべて結実したのが、サカイ式ライフスキル講座「自分を好きになる作法」です。
伝えたいことがあります。伝えたい思いがあります。インターネットは伝える手段に最適だと思いました。
その中身には自信があります。仕事も恋愛も遊びも全力投球でしか得られないことがあります。
寝食を忘れて、自分の体験を検証しながら、研究してきたすべてから客観的に抽出したことをお伝えする講座です。
恋愛する前、就職する前、離職する前、結婚する前、離婚する前、出産をする前、知ってさえいたら防げたのに・・・そんな思いをさせたくないのです。知ってさえいたら防げるのです。
会社の床で寝て過ごした、まさしく地を這うように命がけで働き、汗と涙の30数年かけて獲得した暮らしのさまざま、換金したら楽に1億円以上するノウハウを、5万円未満で学べるのです。
だから、どんな人でも講座さえ受けたら、幸福にできる。私はそう考えていました。
感謝の言葉を受ける一方で、そうでない場合もありました。
人生はそう簡単でないことを実感する瞬間が何度もありました。
「支払っていただいた費用がもったいない。」それは重苦しい悲しみです。
「人は誰にもできることと、できないことがあります。他人を変えることは私にはできません。
自分にできることは自分の選択と行動だけだ。」と実感する瞬間です。
想像してください。
きっと、この人も変わる。「変わりたい」と思ってくれる。意気込んで始めるけれど、その気配がない。無力感が私をノックします。
しかし、何としてでも、変わりたい、変わったと言わせたい。喜びがあふれるメールを受け取りたい。
「ああ、よかった」と見送りたい。 人生の最後に、それができる「じぶん力再生サポーター」になるんだ。
自由の感覚を自分と受講生の心身にみなぎらせたい!決意は、昨日の決意を今日の決意に塗り替えています。
毎日、毎日、さらに研究を重ねる。サイトのページはどんどん増えて、惜しみなく披露されていることに感激しますとメールをたくさんいただきます。
一流企業から、病院、学校まで、営業から人事、生徒さんから校長先生まで、資料に使わせていただいていいですか?打診から講演の依頼までいただいています。
しかし私の本分は、1対1の魂をぶつけあうパーソナルな講座にあります。
それが私のスタイルだと思っています。
私は本気なのです。
ずっと以前、ある一流企業のセミナーで話した時のことです。
質疑応答で、「どうしたら改善できるでしょうか」みたいな質問をいただいた時に、「本気になることです」と回答しました。
後からなんと馬鹿なことを言ったのかと反省しましたが、それは本当の思いだったのです。
自分は本気でやってきた。周囲から反対されても馬鹿にされても手を抜かすやれることを精一杯やってきた。その思いがあったので、つい自然に出てしまったのです。
「仕事は愛」のポリシーは、部下の人間的な成長を求め続けた成果から獲得した思いです。
その思いは「じぶん力再生サポーター」の基礎になっていて、サカイ式ライフスキル講座「自分を好きになる作法」を支えています。
私のノウハウを伝えて、サポートするだけで、価値観が変わり、行動が変わる、みなさんが幸福の階段を昇り始めます。
残念ながら私の力が及ばず変化を手にしない人もいますが、それでも私の講座による幸福の実績は、本屋さんでは手に入れられないものだと思います。
なにより、そのことを私自身が知っているからです。
では、肝心な話に入ります。
どうやって、あなたを変えるのか?
これは私の受講生が必ずぶつかる問題です。
サカイ式ライフスキル講座「自分を好きになる作法」では毎週テキストを配信します。
これを読んでいただきます。
それではメルマガと同じではないのか?そう思いますよね。
いくら内容が充実していてもテキスト読むだけで、自分が変わるとは思えない。
そうです。私も思いません。すべてはこの後に始まります。
私が講師で、あなたが受講生。
さて、主体性は、どちらにあると思いますか?講師でなく受講生であるあなたなのです。
実は、この関係性そのものが、あなたを変える最初の一歩なのです。
ライフスキルが不足していて、自分を好きになれない人は、主体的に生きていくことが苦手なのです。
だから、聞く側になることにはなれています。
サカイ式ライフスキル講座「自分を好きになる作法」では、まず、この状況を変えます。
あなたが私に投げかけない限り、私は動けません。
私はひたすら「あなたのことを教えて」と言うだけです。
リアルな教室なら息がつまります。他の人がいたら言いたくても言えません。
パーソナルなインターネットだからできるのです。
成功にも、失敗にも原理原則が働いています。
あなたが話し出すと、私は全身全霊で傾聴します。
そしてあなたを知ろうと自分のすべてを駆使します。分からなければ、未知の領域にも飛び込みます。
プロフェッショナルだから持ち合わせている膨大な情報から、あなただけの答えを見つけます。
相談するだけなら、友人にもできます。決定的に違うのが、原理原則から導き出す回答です。
たとえばテレビで人生相談を俳優さんがやったりしています。俳優さんもピンきりですが、自分の意見では回答にならないのです。友人の場合も同じです。
成功にも、失敗にも原理原則が働いています。原理原則とは、数多くの事象に共通している起こった事実です。
たとえば病気になる人には共通した悪癖がある。共通点を見つけるには、数多い事例が必要です。数多く集めるほど、信憑性はまします。
一件の事例に学ぶならたまたまとしか言えませんが、100、1000、10000と数が増えていくほど、そこで発見した共通点は確かな条件になります。
人生経験が豊富、学問だけでなく、過激なほどの恋愛体験や働く現場や生きる現場で獲得した知識と体験。
それを引き出すのは、受講生なのです。
私が主体性を持てば、受講生は私の言うことを聞くこどもになるしかありません。
それは私がめざすものでも、あなたがめざすものでもないでしょう。私はあなたを尊重しています。
成功者は、「どうしたらいい」を視点を大切にして実行します。
「なぜ、それをするのか」理由と目的があれば、自分を進化させることは自然にできます。
羅針盤があれば、「どうしたらいい」か、サポートができます。
しかし、「なぜ、それをするのか」は覚えているようでも日常に追われると忘れます。
その間、時の経過だけがあります。目的がない人生は経過だけしかない漂う船です。
羅針盤がない場合には、潜在している欲求に気づくようにガイドします。
サカイ式ライフスキル講座「自分を好きになる作法」は、港であり、航路を伴走するエネルギーの補給船です。
そして、もうひとつ、間違いやすい落とし穴があります。
どんなに頑張っても、これまで獲得した知識や体験を駆使しても、自分の土台になっている幼児期からの体験による生きる構えを間違えていると、すべての努力が無駄になることです。
努力するほどゴールが遠のくことは少なくないのです。
時間をかけて自分にしみついた生きる構えを発見するのは難しいことです。
しかし、これを間違うと致命的な間違いになるのです。生きる構えを間違えたまま努力していると、不満を預金するような状態になり、やがては引き出すときがきます。破綻のときです。
人気タレントの薬物事件はその一例です。彼女の問題は「薬物」そのものでなく、その背景にある生きる構えが変わらない限り、仮に薬物の問題をクリアしても、また違った問題になって表れます。
サカイ式ライフスキル講座「自分を好きになる作法」は、最初の一歩を間違えないように、アンケートをもとに羅針盤の調整を一緒にします。
羅針盤を正しくするには、全体図が見えていることが条件です。
環境問題がしきりに言われますが、環境問題は地球の仕組みが破綻している結果です。
ひとつひとつの現象だけを見て改善しようとしてもできません。地球全体の因果関係があるからです。
ひとつひとつの現象は「葉」でしかないのです。一枚の葉を健康にしようとしたら、木全体を観て、因果関係から解いていくことが必要です。
人も同じです。個人だけを見ているのは葉を見ているようなものです。
人が最初に学ぶ場所は家族です。家族にはそこに暮らす人の因果関係があります。
家族は仕組みです。自分が育ってきた仕組みを知ることは重要です。
自分が努力してもうまくいかないのは、努力を邪魔する考え方が、仕組みのどこかにあるかも知れません。
しかし、サカイ式ライフスキル講座「自分を好きになる作法」では、なぜそうなったのかを追求しません。
しても意味がないと考えています。問題は誰にでも、どこにもあります。問題を乗り越える力こそ大事なのです。
過去よりも、今と未来に目を向けて、「だから、どうしたらいい」にこだわります。
なぜ、サカイ式ライフスキル講座「自分を好きになる作法」は、続々と成功者を出すのか?
● 幸福と不幸の因果関係の全体像を知り、
●95%の人が間違えている生きる構えを正して、努力する最初の一歩を間違わず
●どうしたらいいのかを熟知するようになるからです。
それを知った上で、体験と知識をつなぎあわせて、自分に何がどのように起こっていて、自分がどうしていたのかを知ります。
自分の考え違い、行動の間違いなどが体系的に結びついて腑に落ちるのです。
すると、これまでの知識も呼び起こされて、自分のすべてが一体となって生きてくるのです。
それはまさしく再生の感覚です。
そうなのです。
サカイ式ライフスキル講座「自分を好きになる作法」の秘密は、あなたのなかであなたが引き起こす変化なのです。
それは対話を入口して実現します。やがて「ああ、わかった!」と腑に落ちます。
しかしそれは最初の一歩なのです。
そこから始まり、やがて次から次に疑問が湧いてきます。
「わからない」ことが、わかるようになると、さらに「わからない」が増えます。今度は興味に変化していきます。
ひとつの気づきは、じぶんの内に「わからない」を呼び起こします。
この「わからない」こそ、気づきなのです。
「わからない」は自分の内の矛盾を知った声なのです。 「なにかがおかしい」・・・これこそが 全体への気づき。
とまどいは、不安と勇気を生み出しますが、その狭間から自分への期待が生まれます。
もしかしたら「なりたい自分に、変われるのではないか?
因果関係が表面化し、腑に落ちたことが腑から飛び出してしまうのです(笑)。
しかし、それこそ気づきが本格的に始まった証明です。
同じようでも今度の疑問は以前と違い、因果関係、原因と結果が判り始めるのです。
原因と結果が本当に判っている人はひとにぎりです。
「原因と結果」というと、そらそうだよな。と思いますが、しかし言葉の素直さほど、実態は単純でなく、理解していない人の方が多いものです。
「どうして、そんなことしたの?」と尋ねたとき、ためらうことなく答える人は少なくありませんが、本当の原因を知らないままの人が多いのです。
ですから、何年もしてから、「あの時、どうしてあんなことしたの?」と聞くと全く答えられない人がたくさんいます。
その理由は、感情的になって行動したからです。
しかし、こんな調子で、選択と行動をしていたら、どうなるのでしょうか?
目的があっても、実際には感情でその場、その場を生きている。これでは目的を達成することはできないのが自然です。
因果関係を、自分で整理できるようになると、自分が変わる因果関係を、自分で整理できるようになると、自分が変わり出します。
まず自分はなにかとんでもない間違いをしているよいうな気がするようになります。
だからといって、自己嫌悪に陥ることはありません。
間違いだったにしても、自分にはそれが必要だったと判るからです。どんな馬鹿な間違いもムダにはなりません。
すべて必要だったと思えることは、自分を受け入れることができるようになったからです。
自分を受容できると、他者のあやふやな生き方や間違いにも許容できる視点ができます。
親も人間なんだと家族の間違いも受容できます。
そして互いに間違いを少なくしていくことが楽しさの条件だと思うようになります。
そして時間の大切さが本当に判って来ます。
知っているのと、判っているのは全然違う。
時って入ることと判っていることの境界線はどこにあるのでしょうか?
人生は「やったか、やっていないのか」それに尽きます。
判っているとは、実践しているに他ならないと気づきます。強い意欲が起こります。
「変わらなければならない」から「変わりたい」に変わります。
自分への信頼感が起こってきます。
生き方、恋愛、働き方、学び方、子育て、間違いだらけを気づいて、じぶんの物語を自分で書き直す。
脚本、演出、もちろん主演はあなたです。価値観の変更、じぶん物語の書き直しへの欲求ととまどい。それを楽しめる力がついてきます。
一緒に集めたあなたのアサーティブが半年後、花開きます。 一年後、あなたは第二の成人式を誇りを持って迎えます。