|
|
|
「愛するのと愛されるのではどちらが幸せ?」
|
|
愛は取引ではない。愛するとは、相手が自分をどう思っているかに関係なく応援したい気持ちなのです。 |
|
|
これはもうはっきりしています。
主体性のない生き方が幸福であるはずがありません。
しかも愛するとは、励ますことです。とても能動的なことです。
その意味で愛するのと、愛されるのでは、どちらの方に献身できるエネルギーが湧くか想像してみてください。
愛されるとは選ばれることですが、選んでくれた相手の条件がいい場合には、愛される幸福を感じて、条件が悪い人だったらと迷惑と感じるなら愛ではなく取引です。
それが悪いということでなく、それが現実ですから、愛する方が幸福なのです。
愛するとは、相手が自分をどう思っているかに関係なく応援したい気持ちなのです。
だから振られたからといって、相手への気持ちが変わらないのが愛の姿です。
好きになった人自身が、いつしか変化して許せないことをしているとかを除けば、愛した人への気持ちは永遠に変わらないのです。
うまくいかずに終わって、いつまでも忘れられないのは未練でもなんでもなく自然なことです。
だからといって新しい恋が始められないこととは別のことです。
全力で応援したい人が現れるのは普通だからです。すてきな人はたくさんいるからです。
つまり裏返せば恋した人全部とつきあわないことを意味しています。
好きな人がたくさんいても心を捧げるのはひとりだけということです。
愛の基準が曖昧だと、なにが幸福なのかも分からなくなります。
恋愛の刺激は永くは続きませんが、主体的にひたむきに生きることへの応援は変わ
らず続くものです。
それはひたむきに生きることが、その人のスタイルですから挫折があってもなかなか変わらないものです。
また、迷いながらも自分の未解決の問題を克服しようとしている人を愛した場合は、試練が待っているでしょう。
試練に打ち勝つ気持ちも半端ではできませんが、プロセスとともに自分を育てられるのは楽しい作業です。(ほとんどの人は互いにこの点に気がつかずに恋愛から結婚に進み張りのない暮らしに陥っているのは残念です。)
一般に浸透している愛の幸福は、コマーシャルベースなものが多く、自分の現実に持ち込むにはふさわしくありません。自分の感覚が鈍くなり、消費で刺激を与えないとつまらない暮らしに陥る虚しさが待っています。
もっともここに書いたことが現実的でないと思う方の多いと思いますが。
愛する基準をはっきりすることが、愛する幸福の最初の一歩です。ハッピー・バレンタイン!
自分をじぶんの味方にするQ&A
|
|
|
▲このぺージのTOPへ戻る
|
|
ホーム|じぶんぢから再生プロジェクト|メールマガジン
| ストア|カスタマサービス|サイトマップ
|
セミナー|
お問い合わせFAQ
|
セキュリティ・ポリシー | 買い物カゴ|
世界で一番大切な君に話すこと。 |会社概要
(PDF)
お問い合わせ
じぶんぢから再生プロジェクト事務局
株式会社マートワン
マートワンでは、フリーター、SOHOなどをバックアップ、 協業で力を貸していただける企業や店、人などを求めています。
Copyright (C) 2002-2009 GENKIPOLITAN All rights
reseved