図のように、起こった状況を、どう認識するかで、行動が決まります。
まったく同じ事象が起こっても、人によって反応が全く違うのは、なぜでしょうか?
「観る→なぜ→どうする」の手順は同じでも、その内容が違いすぎるのはどうしてでしょうか?
あるものはピンチと認識し、あるものはチャンスと判断する。
起こった事象をどのように認識するのかは個人の判断で、認識の仕方で行動が決まる。
成功体験に復讐されるという言葉がいかに認識が思い込み、固定観念、主観に左右されるかを物語っています。
人は考え、判断し、行動を選択するときに、何かを基準にします。個人的な思い込みを基準にするか、原理原則を基準にするか、その選択で、行動が変わり、結果も変わります。
過去の出来事でフレームワークするのと、原理原則でフレームワークするのには大きな隔たりがあります。
過去の出来事によって作ったフレームを通して事象を認識し、世の中を見続る限り、過去が自分たちの現在と未来の両方を支配し、決定するのを受け入れたことを意味します。
それは過去の再現を繰り返すことを意味します。成功体験に復讐されてしまう理由もここにあります。自分の思い込みは現実であることを確信し続けます。
新しい事象が起こったとき、過去が良いか悪いかといったことは、マネジメントする時に問題にすることではないことを絶対に忘れてはいけないのです。
自分が立てた仮定をテストすることもなく、絶対の真理であるかのように使えばどうなるか?
思い込みという間違った仮定は、「観る→なぜ→どうする」を機能停止させ間違った判断を導きます。こうした態度をとり続けることで、事実ではなく、テストもしていない認識で自分だけの現実を作りだしていないか用心深くチェックする必要はいつどんな時にもあります。
間違った仮定を立ててしまうことで、するべきこと、してはならないことについて間違った判断を下すのは当然の結果なのです。その結果、「わたしの現実」が作られます。作ったのはもちろん「わたし」なのですが、それに気がつきません。
この態度が、問題をさらに間違った方向に導きます。
自分が作り出した現実を現実として扱えば、改善はほぼ永遠に不可能になります。
注意すべきことは、「わたしの現実」は固定もので万人の現実ではないことです。
ビジネスはコミュニケーション力です。というのも、人は「わたしの現実」に疑うこともないままに振り回され、コミュニケーション力を弱めてしまうからです。
ビジネスを成功させる上で、もっとも重要な能力は「客観的に自分を観る能力」です。
この能力はIQ以上に重要です。
私たちのフレームがもっともひどく歪められるのは、起こった事象を認識する時よりも、自分自身を見る時です。
自分自身を現実的・客観的に見ないために、自分がどんなかたちで仕事上の経験に影響を与えているか、気がつかないままです。
そのために、自分がその出来事の原因を作っているということには見逃してしまい、起こった事象に対処する際に、新たに問題を作っている思い込みの連鎖が止まらないのです。
その証拠は、同じ業種であっても、その会社の風土やコミュニケーションの方法も全く違うという真実に観る事ができます。
自分が認識していないことは変えようがないという事実には疑いの余地はありません。
たとえば算数の苦手な人が、自分は算数が苦手だ。ということを認めない限り、算数の勉強の必要性を認める事はなく、勉強の機会は自らつみとります。認めない限りずっと苦手なままです。否認の背景にある最も厄介な問題は、単に苦手ということでなく、自分の能力不足を信念のレベルで否定していることです。自分が自分を叩きのめしているのです。
思い込みの怖さを考える意味で、思い込みの際立った事例を挙げましたが、この態度によって自分がどんなかたちで仕事上の経験に影響を与えているか、見逃している見本なのです。
物事の見方を柔軟に変えるスイッチチェンジができる条件は、自分に対して誠実、率直、対等(卑下しない)、自己責任(自分が決める)という人間尊重の精神を発揮することです。自分が決めるとはおそらく会社に入社するより遠い以前に誰かによって思い込まされた過去との決別を意味しています。
自分を尊重することが他者を尊重する動機になります。WIN-WIN(ウィンウィン)へのはじまりです。
交渉で難題に直面したとき、ギブ・アンド・ギブンを念頭に、どうすれば相手を勝者にできるのか、まず相手を優先して考えてみましょう。
アサーティブな関係を作る、 WIN-WIN(ウィンウィン)を求めることが、どれほど自分や周囲のひとの救済になるか、じっくり考えて自分のものにしたいものです。
アサーティブな自分になろうとすることが経験に与える影響は 大きいのです。