映画「八甲田山」について
永年に渡り秘密にされていたという「八甲田山雪中行軍遭難事件」を山岳小説の第一人者新田次郎が小説化。
その「八甲田山死の彷徨」を映画化したものが、映画「八甲田山」で公開当時大ヒットし、またテレビでも何度も放映されているので鑑賞された方も多いと思います。
「指揮官が悪ければ隊は滅びる」というこの典型的な事件は管理職の方にあってはバイブル的存在と言っても過言ではありません。
隊を滅ぼさないために指揮官は何をしなければいけないのか?また何をしてはいけないのかを考えていただくと幸いです。
同じことを目標にしながらなぜ結果が大きく違ってしまったか
弘前31連隊(徳島大尉=高倉健)
青森5連隊(神田大尉=北大路欣也)
2つのチームのどこがどう違ったのか?わずかな違いの積み重ねが大きな違いとなる点に注目しましょう。
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関連
コミュニケーション力
重要なのは答えを知っていること |
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【心構え】
会議の後、徳島大尉が神田大尉に語ります。
いかに現実が厳しいかを認識した言葉「天候に恵まれた一度ぐらいの経験は何の役にも立たない」と感想を語っていますが、この危機感が後々の準備や行軍中の指揮に表れます。
私たちはビジネスで様々は販促、キャンペーンを展開しています。前回上手くいったから今回も問題なく出来ると思いがちです。
そのため充分な用意、検討なしで進めて失敗してしまうケースが少なくありません。
「答え」にならない少ない経験での指示や行動は信用出来ないのは当然だし、何回やろうが毎回状況は変化しています。
常に初心に戻って取り組むことが重要です。 |
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神田大尉の事前調査
村長に道路状況を確認する程度の事前調査。
「状況によっては道案内を依頼する」と伝えるに留まっている程度の準備で終わっている。 |
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神田大尉、徳島大尉宅を訪問
徳島大尉は「道順すら決まっていない」と語っているが、問題はいかに隊をまとめるか、装備するかなどの点を重視。
青森隊は道順を重要視しているものの、管理統制、育成への意識がおろそかになっている。
ビジネスで言うならば道順は計画ではない。商品やプロモーション(販売促進)にあたる。
商品を売るにしても、プロモーションを展開するにしても、人間のすることなので、問題は人間にある。
したがって商品以上に問題にしなければならないのは商品知識をいかにマスターさせるか?スタッフの士気(モチベーション)をいかに高めるか、スタッフをいかにをまとめるかが重要課題であるのと同様である。
販売力の弱い会社ほど売りやすい商品はなにかに気をとられたり、いたづらに安値販売に走ったりするが、肝心のマネジメント(スタッフを管理・統制・育成)をすることがおろそかになっている。その結果、改善が困難になっている場合が多い |
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酒の席の会話
神田大尉は「苦しい時には春や夏の山や川を考えている」と感傷的であるのに対して、徳島大尉は「”風は、温度は、装備は?”などを考える」と現実的かつ科学的であるが、これも危機感に対する認識の違いから生じている。
また別れ際でも予備演習を実行することを強調しているように厳しくとらえている。
苦しい時は誰でもその事から逃げたくなるものだが、目標を達成するためには苦しい時こそ逆により関わるしかない。
チームワークを高めるためにミーティングと称して簡単な伝達だけをして食事して終わりといったケースもよく観られるパターンだが、依存心が強くての発想になるのであって本質の改善にはならない。依存心が問題なのにさらに依存心を強化すれば泥沼にはまりこむのは当たり前である。「よく働きよく遊ぶ」という精神とはほど遠いものだ。
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【準備】
各々の連隊長への報告
大した違いが無いように見えるかもしれないが、二人の違いがかなり強く表れている。
徳島大尉の危機感の感じたがよく解る。徳島大尉はゴールに最悪の結果を想定し、その最悪にたどりつかないようにするにはどうしれば良いのかと考えている。
また個人的には無理だと思える雪中行軍を止めたいと考えながらも、組織としての面目、社会的な立場や約束の履行を考え成功させる方策を懸命に考える姿、そして万が一の際のことを充分に考慮する姿に、組織人としての優れたバランス感覚が観られる。
またこの場面では語られていないが無謀と思える10泊11日の行程を訓練期間として考えている。最も厳しい八甲田山突入までにそれまでの行程を雪、山、寒さに慣れさせる期間として捉えている。(後の場面で村の人が用意した宿の利用を拒否し雪壕にて睡眠をとる場面で考え方が分かる。徐々に悪条件に耐えられるように馴らしている)
一方の神田大尉は徳島大尉と比較すれば危機管理が稀薄であり、その結果大隊編成という悲劇につながる。
一旦最悪の結果をゴールと仮定し、いかにそこに到達せずに成功にたどり着くかという変換作業の結果成功をゴールとしゴールをめざすことが重要。問題点を羅列して、だからダメだと安易な結果をだすのではなく問題解決策を羅列しゴールにたどり着く方法を考える。会社で考えなければならないのは目標数値の大きい小さいが問題ではないということだ。大切なことは準備であり、難しいからこそ準備を周到にしなければならない。概して楽な目標設定をする会社、チームは準備をしない。
また準備をしないことが習慣化されたチームは大きな目標には拒否反応を示す。結果的に目標遂行の責任者である管理職や部下が育つ場が生じなくなってしまう。悪循環である。
またこのようなチームは実績をメーキングするなど従業員犯罪が発生しやすい体質になりやすい。実績をメーキングするチームは実際の金銭管理が困難になり盗難が起こりやすい土壌が生まれる。アメリカでは企業倒産の50%は従業員の不正によるものだ。
(「八甲田山」に於ける青森隊の大隊編成はSS実績のメーキングと思想的には同じだ。)また個人的には無理だと思える雪中行軍を止めたいと考えながらも、組織としての面目や約束の履行を考え成功させる方策を懸命に考える姿に組織人としての優れたバランス感覚が観られる。
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各々の部下への指示伝達
赤とオレンジ程度の差に見える二人の指示の差。しかし実際には白と黒ぐらいの差がある。
徳島大尉は「部下全員」に直接具体的に詳細を指示。案内人の準備など着々と進めている。
全体に徳島大尉から発信される緊張感がみなぎっており、指示内容の浸透度も高い。”解らせる、出来るようにする”ということに主眼をおいた伝達である。
神田大尉側は準備遅れが生じており、指示にも問題がある。指示はしているが対象は1部の人間であり大雑把、指示を受けた人が段階的に伝達する仕組みになっている。これでは”知らせる”に終わってしまう。
その結果が後の食事の場面に如実に表れる。
日々の指示伝達と比較していただきたい。全員にどうするのかが行き渡っているだろうか?指示はしていると言われるが実際には内容に差がある。問題は指示する側の問題意識である。指示する必要があるのは目的を達成するためだ。伝達したかどうかが問題ではなくみんなが出来るようになったかどうかだ。出来なければ目標は達成できない。現在実績に憂慮するSSは100%この点が出来ていないし、またその意志も見受けられない。 |
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徳島大尉の手紙
高い確率で生じる問題点を予測し掌握している。予測できる問題を乗り越えるための徳島大尉の態度が宿を拒否する場面、八甲田山突入の場面、八甲田山中での場面に集約されている。
計画を組むときに不可欠なのは「予測できる問題点」の掌握と対策である。高い確率のものだけでなく、小さな確率のものも考慮する。それがなければ「計画」ではなく単なる願望に過ぎない。願望ならいくらでも大きな数字を挙げることも可能だ。
しかし最も多いパターンは大きな数字から出来ない要素を感覚的に並べ立て小さな目標に変化させることをシビアな計画を組んだと思い込む幻覚だ。こんなものは充分に考えた計画ではなく、ただ”出来ない出来ない”と言っているだけで「何もしょうとしない計画」に過ぎない。何もしょうとしない計画の結果が何も変わらないのは当たり前である。目標達成である。
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案内人
決定的な場面となる、青森5連隊の案内人の拒否。
ここで現状がいかに厳しいものかがもっと認識されていれば対応も変わったはずだが、神田大尉はイエスマンになってしまっている。
この結果、道が解らなくなり破滅へつながる。
一方徳島大尉は行程ごとに案内人をたよりに進み、距離計算も怠らず続けてさせている。
また軍の見栄よりも礼節を重んじている。
スケジュールは予定通りにこなすことが極めて重要なのだが、準備不足のため予定通り進まずスケジュールはあってないもになってしまう。青森5連隊同様のパターンに陥るチームは「準備」ということにもっと真剣にならなくてはいけない。
われわれは、アルバイト、パート、派遣など多くの従業員の人たちと出会いと別れを繰り返しているが、どんな別れをしているのだろうか?
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【マネジメント】
行軍中の徳島大尉の指示 部下の様子をみて個別に具体的に指示している。準備の段階でも説明はしているが現場でも詳細を指示。
この場面から徳島大尉が隊をコントロール(管理、統制)していることが歴然。ここでも一人でも落伍者がでると隊全体に影響を及ぼす危険性を熟知していることが伺いしれる。危険と背中合わせの環境の中で危険から部下を守ろうとする姿にまるで子を保護する親と子に似た優しさを見ることが出来る。しかしそれは決して感傷的なものではなく目的を完遂するためのものである。
準備の段階でも説明はしているが現場でも詳細を指示。ここがポイントである。「ミーティングで、朝礼で言ったから」で終わっていないだろうか?大切なことはみんなが出来るようにするということだ。
さてわれわれの属するチームではいかがなものか?風邪をひかせないように注意しているだろうか?顔色の悪いものはいないか気をつけてみているだろうか?日頃は知らぬ存ぜぬで風邪をひいたら文句を言ったりしていないだろうか?
部下を保護するというより部下と敵対関係に近い感情を無意識のうちに抱いている場合も少なくない。
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行軍
地図、磁石がここでは役に立たないことを認識しておりその代替として距離を図るためにカウントしている。
これもチームで言うなら「チラシ、テスターなど販促物を用意した」で終わっていないだろうか?問題はそれが役に立っているかどうかである。地図、磁石が不必要でなくベーシックなものとしてそれらに頼ることは大切だがそれが機能しない場合やそれだけでは不足という場合が生じるということだ。そのようなことを想定した準備が必要。商品知識修得やロープレの練習なしにチラシ配布だけで販売しようとしていないだろうか?当初の予定と結果は大違い。スタッフの混乱がしていて機能しない場合も多く観られる。
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青森5連隊、食事の場面
上からの指示が行き届いていなく、準備不足で部下同士で気がついたことを話しあっていたことが解る(上からの指示が行き届いていないことが解る)
この場面にこれまでの危機感の違い、準備の差、これからの問題点、が集約されている。
チームで多く観られる「見よう見まねでやっている」「今日の目標を知らない」「やり方を知らない」「会議で言ったはず」等、これらは指示伝達の不徹底に原因がある。指示伝達の本来の目的は「決めた通りに実行する」という点にある。目的から逸脱している結果である。
また言えば”そのようにするものである”という考えは危険この上ない考えであり、そこにはコミュニケーションの断絶がすでに存在していることを意味する。行軍中の徳島大尉の指示のように事前の指示は勿論のこと、現場でのこまめな指示を見習いたいものだ。
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データ
データに基づき検討、一方は感覚だけでやりとり
やれば出来るのは真実であるが、だからと言ってそれを言うだけでは出来ない。問題点が何か?問題点にどう対応するのかその打ち手を誤れば問題は解決できない。例えば小売業などでメールアドレス獲得率30%の店はもはやチームとして機能していない。その場合、メールアドレスを取れと指示しても解決は出来ない。
やる目的は解っているのだろうか?なぜ解らないのか?指示の仕方に問題はないだろうか?スタッフのモラールが低い原因は何か?逆にモラールの低いチームなのになぜメールアドレス獲得率は高いのか?実績を加工していないだろうか?データをごまかすことは出来るがデータを中心に角度を変えてみればすべてが見える。いくらデータを加工してもデータはいつも正直だ。
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ロープ
徳島大尉は行軍中、落伍者を出さないように足並みを揃えるために全員をロープを使って引率を続ける。体力など個人差を埋めるためにロープを使いばらばらにならないように配慮し、手助けをしている。一方青森5連隊はバラバラになってしまっている。
目的の達成と人間に対する優しさ。真の優しさとは一体何かを教えてくれる。リーダーのバランス感覚がいかに大事かを表わしている。
みんなが同じように。いわゆる標準化である。出来ないものがいないように配慮しているだろうか?ひとりでも出来ないものがいればチームは機能しない。勿論個人差はあるがその差を埋めるのがチームワークである。ロープレや商品知識マスター、参画意識の標準化などにもっと配慮することが真の優しさである。
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青森5連隊、部下の「我が道を行く」
彷徨を続ける青森5連隊に部下が見切りをつけ「もう自分で好きな道を行く」。チームの機能は崩壊する。徳島大尉のひとりひとりの部下に対する配慮とは全く違う世界である。
準備不足、リーダーの危機感の欠如、連絡の悪さ、部下への無関心はチームの崩壊につながる。 |
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部下の弟の死
感情に流されずに、思いやりを持ちバランスのとれた行動が見受けられる。
目的に応じた判断基準が明確にあることが重要である。いろんな人が集まって仕事をしている限りいろんな価値観があるのは当然である。各自の価値観で行動すれば、それはもうチームではない。だからこそ目的に即した判断基準がなければ適切な判断が出来ないばかりか、結果的に不公平を作りだし不平不満の源となりチームは機能しなくなる。 |
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八甲田山への突入
予想する問題箇所である八甲田山への突入。具体的な行程の発表とともに「これより一気に踏破する!」という号令をかけ突入するがリーダーとして、問題解決への並々ならぬ決意が伺い知れる。極めて厳しい状況下で前進を続ける。
「止まったらお終いだ。」迷いはあるが的確な状況判断をし無理すべきところは無理してでも行く。
案内人が戻ろうとするのを認めず、恐怖を乗り越え一気に嵐の八甲田山を進む、退いては行けないところでは退かない。
ここが重要ポイント。
丸太橋は一気に渡れ!と同様で苦しくなると途中でやめたくなるものだが、それをすれば終わりであることが解っている。
一方の青森5連隊がその例である。厳しい局面で変更、変更を続け遂に絶望的となる。
やりかけたら止まるな!退くな!このことの重要性が表現されている。
フィールドサービス改善でなんであれ必ず苦しい場面に出会うことは世の常である。しかしことが容易でなければないほど途中で手をゆるめるとダメになるものだ。重要なポイントである。うまくいかないチームはほとんどこのような状況で間違っている。
丸太橋の途中で歩くのを止めたらどうなるかは、子供でも分かることだが、いとも簡単に止めてしまう。これを繰り返す限り変わることはありえない。小さい頃の思い出に「こわい場所」を一刻も速く抜け出ようと目を閉じてでも走った経験を持っている人も多いはず。苦しいからこそ止まったり、退いたりしてはいけない。
特殊な能力を必要とせず意識さえしていたら、本当ならすぐにできることがある。それに時間をかけているために、却っていつもでも出来ないことは多い。
意識次第で、すぐにできることは1日で改善しなければ出来ない。1日だからこそ可能なのだ。また販売スケジュールも先月キャンペーンで疲れたから少しゆるめるなどすれば改善は終わりだ。
ゆるめず続けるからこそ出来るのだ。改善がはかどらないチームは決定的な過ちを犯している。決定的な過ちを冒しながらその他を改善しょうとしても100%無理です。
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映画「八甲田山」は制作者の意図は人間と自然の相克にあります。ところが公開されるとビジネスマンに圧倒的な支持を受けた。そこに上司の在り方を観たからだ。映画「八甲田山」でのいわば課長(北大路欣也)と部長(三国連太郎)の関係性に焦点が当てられることが多い、しかし、私は高倉健と北大路欣也のふたりの指示の仕方の違い、マネジメントの違いに注目する。
見方はさまざま、あなたはこの屈指の名作「八甲田山」どう観ますか?
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併せて映画「二百三高地」をご覧になることをおすすめします。この作品では八甲田山を踏破した兵士がロシア軍相手に闘いますが、ここでも指揮官の違いが鮮やかに描かれています。
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