完全でない仕事を許さない、心情としてはよくわかりますね。
しかし、知らない、できない、分からないことがあるのも、失敗することも、
アサーション権でも認めていることです。
▼人には次のような思い込み、決めつけが多く見られます。
・完璧でなくてはならない。
・賢くなければならない。
・誰からも好かれて受け入れられなければならない。
・人の役に立たなければならない。
・人を傷つけてはいけない。
・悲しんでいるときは同情するべきだ。
・失敗してはならないなどをはじめ思い込みはいろいろあります。
・人を傷つけてはならない。
・危険や害のあるものに、人は深刻に心配するものだ。
・物事が思い通りに進まないのは致命的なことだ。
・できなかったり、できないと言葉にするのは、能力がない証だ。
・親、目上の人、上司などの命令や依頼は断ってはいけない。
・上司は〜であるべきだ、部下は〜であるべきだ、
・男(女)は〜であるべきだ。 ・・・等等
思い込みや、決めつけをピックアップしたらキリがありません。
このような思い込みや決めつけがあると、物の見方も固定してしまいます。アサーティブではスイッチチェンジ、つまり物の見方を変えることに支障が生じます。
人は様々です。
知らない、できない、分からないことがあるのは恥ずかしいことではありません。
人は成長するために、自分の不足を知り充足することが必要不可欠です。
恥ずかしいと思うと、不完全を知られるのが怖くなり隠すようになってしまいます。
恥ずかしいと思うことで負の連鎖が始まり、個人、組織からアサーションな態度が なくなってしまうことが重大な問題になります。
ひとは無意識に思い込みや、決めつけをしていて、それを、いつの間にか、 常識として身につjけています。
思い込みは自分だけの錯覚であって思考ちは言えません。
その背景には、次の自己否定感が深く関わっていることが少なくありません。
・私の能力不足を発見されたら困る
・頭が良くないと思われるかも?
・自分勝手な奴と思われるかも?
・自分の話すことはどうせつまらない
・この程度は誰でも考えているだろう
・わざわさ言うほどのことでもないだろう
責める人の心情には、このような気持ちを克服しようと頑張っている努力があります。 その分、他者に厳しくなってしまうのでしょう。
しかし自分も周囲の人も、あるべきに呑み込まれていると、 自由な発想が浮かばなくなります。
失敗そのものは決して良いことではありませんが、 挑戦の証しと受け取ることもできます。
もし失敗が許されないとしたら、挑戦する意欲は失われます。 怖くて挑もうとしません。
不完全であってもいいと開き直られたら困るという心配もあります。
手堅く用心深く慎重にやれば、失敗は防げるという考え方もあrつでしょう。 考え方は間違いではありませんが、人間はそのようにはできていません。
そtれでも、そのようになることはできます。
自分で意識で目標を持ってやるようになれば、そのようになっていきます。
自主性、自律性をもってやるようになれば、やれるようになります。 人間はやりたいことは自分にも要求します。 課題をそこに置けば、厳しく叱責して、その後に自分を責めることもなくなります。
許すことは大きなエネルギーになります。
「なぜ、そんな間違いをしたのか?」と尋ねると尋問になります。
「どうすれば間違いをなくせるか?」と尋ねれば自律性を引き出します。
同じ意味で言ってるつもりでも、相手の受け止め方は変わります。
「どうなってほしいのか」を、素直、対等、誠実、自己責任を失わず 自分に問いただしてください。
本当の声が聞こえたら、素直、誠実に聴いてあげてください。 そのとき自分の立場が脅かされる恐怖を感じることがあるかも知れません。
もし、そうであっても心配することはありません。 裏切られる不安が突き上げるかも知れません。
もしそんなことがあっても、それをどう判断するかは自分の選択です。
事実などありません。 あるのは自分の選択だけですから、傷つけられることもありません。
こういった心構えがあるだけでも、受け止め方は変わるはずです。
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