周囲の人と会話していると、意見の違いが出てくるのは当然です。
そんなとき、周りの意見を優先しすぎることはありませんか。
尊重しているわけでなく、強く言うのは気が引けるし、もやもやしながら、結局はまあいいかって自分の言いたいことを抑えてしまう。
自分がどう話すかより、相手がどう感じるかを優先していると、徐々にコミュニケーションの感覚が鈍くなってきます。
やがて、自分がそうしているように、相手に対しても、はっきり言葉に出さなくても、表情や雰囲気で分ってくれるのではないかと期待するようになります。
「相手はどう感じるか」と顔色を伺う、「相手にどうしてほしいか」と主体性を自分から相手に移すとことが習慣化しますが、 コミュニケーションとしては好ましいものではありません。
第一に自分が釈然としなくなるでしょう。 第二に相手は気がつかないし、なんとなく「人間くささ」を感じないので楽しくありませんし、場合によればプレッシャーをかけられたようでいい気持ちがしません。
気がつかない相手からは「いい人」「いい子」という印象を与えるので可愛がられはしますが、心の深い部分では距離が残ったままになります。(「いい子」と言われる痛みを知っていますか?)
「人間くささ」を感じないことから、親近感を感じなかったひとには存在感が残らないため、どちらにしてもつねに自分が取り残されます。
結局、どちらにしても「親近感」で歪みが生じ、自分が損した気分、満たされない不満、それは内心、相手へ怒りに代わり、尊敬しない、尊重しないという形で攻撃的になります。
比較する必要がないときでも、勝ったか負けたかと対抗的に比較してしまいます。また白か黒かと結論を急ぎプロセスを見守ることが苦手になります。
この悪しき習慣が、ライフスキル全般に対して成長を阻止するのです。
周囲のことばかり考え、ひとの期待通りに動いていると、どんな成果を出しても、自分そっちのけで活動しているので、自分では認めることができなくなります。
やがてただ存在しているような感じがして、自分がなにをしたいのか分らなくなります。
外面では評価が高くても、内側では自信がなくなります。
自信のなさは、自ら人を遠ざけ、孤独感が高まります。
さらに相手がどう感じるかの優先が強化されます。
それを払拭するヒントは、気持ちの伝え方(思いの伝え方)のヒントはあなたの昔。
小さなこどもの頃にあります。