アサーティブな人、ノン・アサーティブな人、アグレッシブな人・・・タイプはいろいろ。
人の行動には、どんな行動にも目的があります。
行動の基準である考え方を間違えていると、アサーティブな正しい行動ができず不合理な努力をします。
人の作った世界には、同じ原理が働いていて、その原理に逆らって努力をしても報われません。
朝、目覚めて起きるときに、今日一日がいい日だったらと思うか、思わないかは別にしても、
誰もがいい日であることを希望するでしょう。
その一日が、来る日も、来る日も、
毎日12時間以上働いて、それだけで終わっていくとしたらどう思いますか?
もし自分の愛する人がそうだったら、あるいはあなた自身がそうなら?
と、いう自分も毎日深夜まで仕事しています。でも自分の場合は大丈夫。
なぜなら自ら望んでしていることだからです。
だけど自分が知ってる女の子の場合は事情が違う。
毎朝5時起床、帰宅は12時前。結局、辞めてしまいました。
それまでのキャリアは自分の学習以外、ムダになりました。
彼女はとっても可愛くて。どんなにハードでもイヤな顔を見せたことのない働き者だったのに。
電話一本で、平気で休み人がいる一方で、その穴埋めに、多忙を極め、時間外労働を引き受ける人がいます。
有給休暇を取る人、取らない人。同じ職場の同じ規律で働いて、どうしてそんなことになるのでしょうか?
単純に人手不足のせいでしょうか?あるいは業績が芳しくないからでしょうか?
ただなんとなく?どうしてそんなことになっているのでしょうか?
生産性があがるような方法を教育もせず、訓練もせず、実行しないで、ただ我慢をしている人たちがいます。
それってへんでしょう?そのへんなことをどうして続けているのか?
ノン・アサーティブに、ガマンして、ガマンして、結局、お互い不幸なだけではないですか?
誰にとっても人生の主人公は自分のはず。一番大事なのは自分ですよね。
だから同じように周りの人も自分が大事なのです。
見知らぬだれかにとって、あなたは、その他大勢でしかなくても、本当は誰だってその他大勢で片付けられる存在ではない。
人間関係の問題は、周りの人との関係で起こるから、両者が傷つかないようにしたい。
それがWIN_WINつまり両方とも勝者というわけです。
どうすればそうできるのか、その基本になるのがライフスキルに影響力のある積極的自己表現。
つまりアサーション(assertion)アサーティブ(assertive)アサーティブネス(assertiveness)です。
アサーション(assertion)は、自己主張ですが、誤解を招くことのないようにするために、自分を率直に表現すると解釈をしたほうがいいしょう。
アサーティブ(assertive)は、アサーション(assertion)の形容詞です。
アサーティブネス(assertiveness)は、自分を率直に表現しあう「関係」です。
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人は感情の動物ではありますが、人が暮らす社会は、人の関係も合理的なものです。
そこで、感情はスパイスにように生活に潤いを与えます。
お好み焼きをソースなしで食べたり、お寿司を醤油なので食べるのは味気ないないですよね。感情はスパイスです。
しかし反対にソースの中にお好み焼きを入れたりしませんよね、醤油のなかにお寿司を入れたらせっかくのお寿司は台無しです。
それと同じで感情に支配されて感情的な行動をすると、せっかくの関係も破綻します。
アサーティブな 正しいコミュニケーションを行うと、感情はさらに潤いとなって、良い関係が構築できます。
人づきあいを深めるようにし、必要であれば他者へ援助を求めることをためらわない。
自分の権利を守るために「いや」と言いたい時は率直に伝える。相手にもそれを許すことをためらわない。
それができなくなるのは、感情がブレーキをかけているのです。
相手から話しかけられるのを待つのではなく自分から会話を始めたり、目標を設定して、達成に努力するなど、積極的に自分を表現する。
一方で他者のそれらも大切にしてあげて、受容する態度を尊重してあげる。
それがアサーティブ、積極的自己表現。
それは別の言い方をすると、他者に間違った依存しない、自立することを意味しています。
感情の扱い方で自分が自分らしくなれます。
自分らしくなれるとはありのままの率直な自分になる意味です。すてきだと思いませんか?
小さいこどもは、「あたしはフジオちゃんが大好き」とか、「さびしくなるよ、もっと一緒にいたい」とか、「いやだ、そんなに怒ったら。悲しくなるよ。」というように感情を素直に表現します。
でも大人になるにつれ、素直に言わなくなってしまいます。
なぜでしょうか?ノン・アサーティブに言わないことが成長だとでも考えているのでしょうか?
事実、そんなバカみたいなこと言えるか。という人も多いでしょう。
でも本当にバカでしょうか?そんなことはないのです。
感情はどんどん表現しましょう。
感情を表現するのは恥ずかしいことではありません。
していけないのは感情的な行動。どんどんしていいのは感情の表現です。
「うれしい」「悲しい」「イヤな気分です」を言葉にするのは表現。ブスッとするのは行動です。
この違いを混同しているために、感情を表現してはいけないと思い込んでいる人が多いのです。
自分の不快感を行動で相手にぶつけると、相手は怒っている理由が分からないままイヤな気分にさせられます。
感情の表現は自分の不愉快を感情的な態度や行動でぶつけるのではなく、言葉でそのまま率直に伝えたらいいのです。
「あなたと意見が番うと不安になるのですが」とか、「あなたがそういうと、悲しくなってしまう」というように、小さい頃にできていたことをそのままやればいいのです。
それは誰も傷つかない方法なのです。
ところが言葉の方が悪いと思っている人が多い。
人とのコミュニーションは感情ではなく、客観的な判断で行うのが大人の関係です。
醤油の樽にお寿司を入れないことを思い出してください。
なにごとも過ぎたるは、及ばざるがごとし、味気のある関係を求めるがゆえに、感情の表現の求めすぎには注意しましょう。
たとえば、電車で足を踏まれた。自分は嫌な気がした。腹が立った。しかし相手は悪意がない。
このような時に、相手に怒りをぶつけません。ましてや暴力行為に及びません。
感情を理性が抑えて適切な行動をとっているからです。
しかし感情で行動したらどうなりますか? アグレッシブに相手に怒りをぶつけ、時には暴力行為に及んでしまいます。
感情の扱いには注意が必要です。
アサーティブは、感情にふりまわされずに、積極的に自己表現する技術です。
論より証拠。まず、アサーティブを理解するために、その誕生の背景を知っておいてください。
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率直、誠実、対等、それらを支える自己責任。4つのアサーティブなスキルは、モチベーションを高める原動力です。
モチベーションに影響するアサーティブの仕組みは4つの大きな柱で成り立っています。
アサーティブはこの4本柱によって自分の居場所を形成しています。
誰しも自分の家ではリラックスしたいものです。自分の居場所とは、ありのままの自分を肯定できる場所です。
しかし、現実の問題として、ありのままの自分を受け入れるといっても根拠もなしに受け入れる事は自分自身が許さないでしょう。そうゆえの葛藤なのですから。
人は誰しも自分は価値ある者と思いたい。そのために生きているといっても過言ではない。
人からどう思われようが関係ないといった短絡的な生き方が本当のできるかといえば、一般には不可能です。人は社会的な生き物だからです。
最近モラルやマナーも崩れて気ままに好き勝手なことをする人が増えています。
しかし、これこそが自分いじめに他なりませせん。
マナーは他者と共存していくために自分にとって欠かせないルールです。
しかし、それが自分にとって欠かせないものとは思えない。他人のためにあるものと思い込んでいる。
ここに人と人の境界の崩壊が感じ取れますが、境界そのものが自分のための境界がどんなものであればいいのかを間違えている。
境界を遵守することは、我慢を強いられますが、我慢が自分のための貴重なスパイスだと思っていない。
これもすべて、そのはき違えた短絡さによるものです。
このような生き方には、率直さも、誠実さも、対等であることも、自己責任も見ててこない。
自分の主張を社会性を失う事なく正々堂々と行うスキルを放棄して、権利の要求だけをプンプンとすねたように、皮肉っぽく行うと幼児性まるだしの恥を忘れた行いでしかないのです。
果たして、それは自分を本当に幸福にできるのでしょうか?
同じような価値観をもった反社会的なミニ集団では許されても、健全な社会には通用しません。
その逆恨みが、さらに間違った行動へエスカレートするほど、幸福からは遠ざかります。
また自分を過度に意見や主張を抑圧する人もいます。
人の意見や態度を見てから、流れにそってかた発言する。だから会議や打ち合わせでは、なかなか言葉が出ない。
「君はどう思う?」と促されても、すぐに言葉が出ない。
これも間違った態度です。
人には、自分が言った責任がありますが、言わなかった責任もあります。
言わなかったから責任がないというなら、放置した責任はどうなるのかと問われます。
言ったから、言わなかったからではないのです。自分はどうしたらいのか、社会人、つまり社会性のある生き物としての責任は誰にでもあります。
アサーティブは、ここであげた両者の流れと真逆の仕組みです。
率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任。
4つの課題はすべての人に与えられている人権を尊重する意識に基づいています。
コミュニケーションは同じ価値観だから会話する、互いを尊重する。
これはコミュニケーションのありかたのひとつであっても、コミュニケーションのすべてではありません。
コミュニケーションは違う価値観、違う意見を認めることが原点です。
そのスタートが 、自分を肯定して、健全な形で、自分を主張することです。
「自分はもっと幸せになっていいのだ。
同じように周囲の人ももっと幸せになってもいいのだ。 」
どうですか、アサーティブには、人権尊重の精神そのものがみなぎっています。それを実現する力が率直、
誠実、
対等、自己責任なのです。
そこには我慢が必要な場合もありますが、その我慢は痛みに耐える我慢ではありません。
モチベーションを高めて、幸福に向かうために、自ら求めるポジティブは我慢です。
一流のスポーツ選手に共通するポジティブな我慢の仕方、たとえば練習がそうです。
彼らは努力の仕方を、他の人より体験によって多く深く知っています。
参考のためにそれと比較すると、私たちは、時には無知に近いかも知れないけれど求めると身につきます。
そして会社組織なら、あるいはなんらかのグループであれば、業績より、数値結果よりも先に、率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任を果たす事を目標に掲げたい。
アサーティブは、
率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任の4つの大きな柱からなる仕組みで成り立っています。
モチベーションを高めるうえで基礎といえます。
率直さを理解するキーワードは「自分も相手も大切にする」ことです。
状況で、ここからぶれると分っているはずのアサーティブが分らなくなります。
「自分も相手も大切にする」とは、理念としてそうですが、実際の現場では、 自分の感情よりも相手の感情も大切にする」
と考えたほうがいいでしょう。
対等ではないというように矛盾を感じるかも知れませんが、対等を実現するために「自分の感情よりも相手の感情も大切にする」
のです。
正確には 「自分の感情よりも相手の感情も大切にして、そのために自分がどんな行動をとればいいのか、その最適を見いだし行動する」ことです。
やっぱり、自分を下において相手を立てていると思うかも知れません。しかし、そうではありません。
たとえば、自分がイヤな思いをしたとします。
そこで、アサーティブです。積極的に自己主張します。
果たして言われた側はどうでしょうか?どんな気持ちになるでしょうか?
ついつい反抗したくなったりします。これでは目的は果たせませんね。
「ちょっと困っているので、助けてもらえませんか?」
相手は反抗的になる理由はありませんので、こちらの主張を受け入れてくれやすくなります。
自己主張は、相手に分るように伝えてこそ意味があります。
率直に言うとは、言いたいことを言えばいいということではありません。言いたいことを言うだけなら、必ず対立に到達します。
これではなにをどのように頑張っていいのか、チンプンカンプンで、意味は分りません。
分らないけど、目上目下の関係から、一旦はその場は頷きます。でもなにをどのように頑張っていいのか意味は分っていないので、最終的に問題となって露出します。
「そのくらいのこと、言わなくても分るだろう」という考え方は心情的には理解できても現実的ではありません。
「そのくらいのこと、言わなくても分るだろう、でも念のために」の”念のため”が実は普通のことであって、別に念入りなことでもなんでもないのです。
人に頼んだり、指示するときは、具体的に時間を切ります。
「これ、やっておいてください」
「これ、明日の晩までにしておいてください」
「これ、明日12日の夜7時までに提出してください」
同じことを頼むのにも、こんなに違います。
晩というのは人のよって違うのです。
「これ、明日12日の夜7時までに提出してください」は、相手と自分を尊重した頼み方なのです。
もじ、変に気を使って、「これ、やっておいてください」と頼んだら、明日12日の夜7時までに提出してくれるでしょうか。
難しいですね。すると、頼んだのにしてくれていないと内心で怒りに変わったりします。
その原因は、「自分も相手も大切にする」ことを忘れて、自分の感情、この場合なら、「言うと嫌がられるかな」と考えて、はっきり言葉にせずに伝えたからです。
率直でなかったことが関係をこじれさせる原因を作ったのです。
率直であるつもりが実は率直でない場合が非常に多いのです。
もし、感情的な行動が多かったり、こじれることがあれば。まず 自分が率直であったかどうかをチェックするようにします。
モチベーションを弱める原因にもなるので、注意したいものです。
モチベーションを高めるうえで欠かせないアサーティブは、
率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任の4つの大きな柱からなる仕組みで成り立っています。
誠実とは、自分にも他者にも、嘘をつかないことが基本です。
自分に嘘をつかないとは、自分の心の声に傾聴することが、原点です。
そこには、相手や周囲の人が、どう思うかで判断するのではなく、自分がどう感じているか、自分がどうしたいのかで判断する態度があります。
この態度が誠実であって、その態度は、そのまま他者に反映されます。
心にもない態度は、誠実から脱線した態度で、対等と密接に絡んでいます。
私たちは、自分の気持ちをよく知っているようで、そのくせ、自分ことがよく分らないといいます。
自分の気持ち知る力は、ライフスキルでいう自己認識スキルで、ライフスキル全般を支える重要なスキルです。
自分の気持ちがわからないと、感情の表現ができなくなり、感情的な行動をとるようになってしまいます。
感情的な行動は、自分と周囲の人を無意味に傷つけ、率直なコミュニケーションができなくなるので、アサーティブを破壊します。
時と場合によっては、自分に嘘をつくことが必要と考える人もいるようですが、そうとは言えません。
自分と周囲の人を尊重するために、誠実さは欠かせないスキルなのです。