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ELVIS: NBC-TV Special |
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「いよいよ今夜ね」「今夜エルヴィスがテレビに出るのよ」「早く帰らなくては」「今夜9時からだったな」1968年12月3日全米で交わされた会話はこんなだっただろう。1956年に一大旋風を巻き起こし、かってない過激なスタイルゆえに空前の人気を得ながらもパッシングを受け、82.6%という驚異的な視聴率を残しテレビから姿を消した。その後は1960年のフランク・シナトラショーに除隊を記念してゲスト出演しただけだった。 視聴率70.2%。1968年12月3日9時から1時間放映されたテレビ・ショー。 エルヴィスは怒っているかのようだ。激しい。失ったものを奪還するためにありったけの力で疾走しているかのようだ。 ほとんど一瞬にして「カムバック」を成し遂げた。 エルヴィスがしたのはサンのドアをノックをしたことだけではないのか。ふと、そう思うことがある。後はすべて偶然の産物のようでもある。自分の才能を他人に委ねてきた。 1960年代後半、ロックンロールはそのアイデンティティを明確にしつつあった。1958年エルヴィスが軍隊へ召集され、エディ・コクランやバディ・ホリーが急死し、ジーン・ヴィセントは重傷を負い、生まれたばかりのまだ若いロックンロールは事実上壊滅状態になった。社会の批判も強くブラッキーなロックは柔らかくメロディアスなロカ・バラードへ急速に変化していった。その変化に終止符を打ち、ロックンロール特有の莫迦らしさと刹那さを奏でたのはロック第二世代、すなわちビートルズやビーチ・ボーイズだった。市民権を得、次第にリーダーとなっていった彼等は時が過ぎるとともにコピーすることをやめ自分たちのアイデンティティを掲げだした。ボブ・ディランらが参加しエルヴィスたちが掲げたロックンロールは流行の衣装でなく文化なのだと軍旗にして掲げた。 マネジャーのパーカー大佐はこの特別番組を「クリスマス番組」にすることでエルヴィスを世界最高のサンタクロースにしょうとしたが、この特別な番組のプロデューサーでありディレクターであったスティーブ・バインダーはエルヴィスに戦闘服を着せようと試みて世界最高のロックンローラーを要求した。メンフィスのアメリカン・スタジオでエルヴィスのアルバム<From Elvis in Memphis><Back In Memphis>をプロデュースしたチップス・モーンが、エルヴィスにその才能を発揮するような仕事をさせないのなら、「スタジオ使用料をさっさと払ってこのスタジオから出ていってくれ」とやったように、スティーブ・バインダーも頑に拒否した。 強欲な人たちがいま自分の目の前にある奇跡に心奪われ人間性を損ない、光り輝いている宝物を持っている純朴なエルヴィスを操作しょうとする簡単だった。ユダがキリストを売ったように。 スティーブ・バインダーの特別番組はどうしょうもなく凡庸だった。映像としては「昔のエルヴィス」「映画の中のエルヴィス」でしかない。楽曲は「明日への願い」や「ギターマン」を除けば召集前のものが大半だった。しかしエルヴィスは驀進していた。昔のエルヴィスでも映画の中のエルヴィスでもなく「オレはいまここに生きている」と悲しいまでに一途に驀進していた。この番組に水と光を与え目を見張るものにし、どの曲も素晴らしいパフォーマンスとしているのは火の玉のように熱いエルヴィスの非凡さとエネルギーだ。 スティーブ・バインダーがしたことは、エルヴィスにふさわしい場を作ることだけだった。それはチップス・モーンも同じだっただろう。サム・フィリップスもそうだった。エルヴィスは自分の椅子に座るにも「座ってもいいかな」というような人だったのだろう。そこに自分の椅子があっても、許可なく座ると失礼だと思うような人だった。 エルヴィスのように生きるのが不器用な人はこの世界に溢れている。 |
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(エルヴィスが生涯最もバカげたステージと評した ステーブ・アレン・TVショウ) |
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ELVIS: NBC-TV Special
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