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ELVISが教えてくれたこと。
それは自分らしく生きることの大切さ。
          ELVISが火の玉になった瞬間


エルヴィス・プレスリーはいろんなことを教えてくれました。そのなかでも最も重要なことはいかに自分らしく生きるかということではなかったでしょうか?
自分らしく生きるということは簡単そうで、実はなかなかできなくて、結局人は一生を通じて自分らしく生きることを求めていくのではないでしょうか。
このページではエルヴィスが火の玉になって跳んだ瞬間の煌めき追いながら、そのメッセージを追ってみます。

(苛酷な生活を強いられた幼年時代を過ごしたテュペロの家)

苛酷な少年時代

エルヴィスの少年期は一般に知られている以上に、貧困その他苦渋に満ちた生活を強いられたようです。父バーノンの投獄、アルコール中毒、失業、家庭内暴力。母グラディスの精神不安、過度なエルヴィスへの干渉とマナーの教育、双生児の兄を死産したことに苛まれる日々。母の悲惨を見るにつけ、どうせ死ぬなら兄ではなく自分が死ぬべきだったと背負い込んでしまった罪悪感。教会から支給される食事によって支えられた日々。貧しくても友達、親戚に囲まれた生まれ故郷テュペロを捨てて夜逃げ同然に引っ越したメンフィスでの屈辱。粗末な身なりを笑われた学校生活。嘲笑から離れるように無口になっていった思春期。
13歳のエルヴィスの胸に宿った「定収入が得られる仕事について落ち着いた生活をする」という決意。そんな彼にとって音楽は苦渋からの逃げ場所。

生まれ故郷テュペロと転地先メンフィス、その間に位置する形のナッシュビル。地理的に偉大なアーティストの才能を育む要素があったのが幸運でした。ナッシュビルはC&Wの、メンフィスはR&Bの、それぞれが聖地です。生まれ故郷のテュペロでは小さい頃から教会に出入りしていたおかげでゴスペルが体内にしみ込むことになりました。

以上の要素すべてが、良きにつけ、悪しきにつけ「20世紀のアーティスト」「キング・オブ・ロックンロール」の細胞となりました。

火の玉になった瞬間、ロック誕生の瞬間

そして1954年7月5日、エルヴィスは自分の夢に近付いていきます。

メンフィスの壊れそうなスタジオ「メンフィス・レコーデイング・サービス」の扉を開けて1年たった頃です。この日プロを夢見るアマチュアとしてレコーディングを試みるものの、どれも不調。まさに夢が儚く消えて、トラック運転手の仕事に精を出す以外に、定収入の道はなさそうだと判断のスイッチを押そうとしたとき、屈辱と抑圧の閉息感に満ちた約20年が、永遠に続きそうだと思った瞬間、こみあげる悲しみが苛立ちに変わり、その苛立ちを叩き切るかのように本能のままに奔放に身を解き放って全身で”Bluemoon of Kentucky”を歌った時、一瞬にして空気が変わります。誰もが聴いたことのない衝撃がスタジオの計器と心を揺さぶり、その場に居合わせた者の背筋に戦慄が走ります。

白人向けのカントリーを黒人のリズム&ブルースのフィーリングで歌うエルヴィス。当時黒人のフィーリングで歌える白人歌手など存在していない時代に、物真似ではなく、まったく自然体で独創的なスタイルの演奏。この瞬間こそがロックンロール誕生の瞬間だったのです。

(瞬間が録音されているザ・サンセッションズ)

人にはいろんな才能が潜んでいます。周囲とバランスをとるために持てる才能を無にしている人がほとんどです。自分自身に正直であれと口々に語ります。自分でもそう思いながらも、なかなか出来ないのが事実です。他人の目や考えを基準にしてしまって自分を封じ込めてしまいます。

エルヴィスに限らず、才人たちに共通して言えることですが、身を解き放った時に、才能は火の玉のように燃えて跳んでいきます。

それにどんな悲惨もエネルギーや才能になる可能性があるということです。エルヴィスの幼い心を傷つけた様々な苦難も、細胞になっていったように。

反対に身を封じ込めた時、やはりエルヴィスに限らず、終わりを迎えると思います。
エルヴィスは他の数多い優秀なアーティストのような人生の計算ができなかった人だと思います。
自然な発露、それがあまりにも独創性に富み、優れていたためにエルヴィス本人も周りも誤算をし続けたと思います。先取性に富んだ優れたサポーターも周囲にいなかったように思えます。おそらく彼が残した数々の「遺産」は、もっともっと輝くことが出来たのでないかと思います。
それをいま悔いてもあまり意味があるとは思いませんがーーーー。

Jポップスの時の人である椎名林檎がパンクスへの思いをこめた言葉はまことに興味あるものです。
「パンクは生き還らない。が此処には何時の時代の誰より莫迦で律気な人達が居る。刹那、万歳。」この言葉はエルヴィスにぴったりではないでしょうか?この言葉をエルヴィス に当てはめた時、思わず目頭が熱くなりました。

エルヴィスが教えてくれたこと。

あるがままに生きなさい。自分の力を信じなさい。
どんな悲しみに出会っても、決して身も心も封じ込めることなく、自分を表現しなさい。
自分ができることをするために、自分を表現しなさい。
愛するものとの絆を深めるために、自分を表現しなさい。
自分を超えるために、自分を表現しなさい。
自分を超えたときに、それまでは見えない新たな自分と出会うのです。

命が終わっても永遠に生き続ける「魂という領域」があるのです。
肉体は朽ちても人の魂は永遠に存在すると信じましょう。
命の火が消える最後の最後まで自分のままに生き続けていきましょう。

絆に応えなさい、魂は永遠。

数々の歌声を通じて、エルヴィスが教えてくれたことです。

1972年6月11日N.Y.マディソン・スクエア・ガーデンのコンサートのエルヴィスをニューヨークタイムス誌は「星の王子さまのようだった」と評しています。



(http://www.genkipolitan.com/elvis/graceland/elvisweek.html、グレイスランドの前面道路で。)