ELVIS WORLD TOUR'99 エルヴィスが やってきた。 |
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究極のテンション 異常なコンサートだ。すでに他界しているエルヴィス・プレスリーのコンサートを開こうというのだから、正常とは思えない。
しかし2、3曲になると寂しさの重心は感動へ移動する。生きていようと、死んでいようとやはり凄いのだ。そのパフォーマンスは魂を揺さぶり続ける。もちろん主なき寂しさはずっとまとわりついている。それが余計にたまらない気持ちにさせていく。結局、欲求の不満と充足が混合された場内はやり場のない熱狂の場と化して、「エルヴィス!」あるいは「ジェームス!(リードギター)」と絶叫しながら主じなきステージに突進していくファンの姿はある種の恐さすら感じさせる。誰しもが思い浮かべるのは宗教、それも狂信的な宗教だ。それを弁護するわけではないが、「狂信的」というありきたりの言葉で片付けるのではなく、この異常なテンションを考えるべきではないだろうか。 今日、ELVISのパフォーマンスはビデオで鑑賞可能だが、このコンサートを見れば、ビデオで知るELVISが写真程度でしかなく、イマジネーションを働かせれば、このコンサートすらELVISを伝えるにはあまりに不十分すぎるのが分かる。もし主じがいればその衝撃はいくばくのものか。 |
THE KING このコンサートを観れば、アメリカ人が「THE KING 」と呼んだのも分かる。それは日本でいう「王様」という言葉から伝わるものとは随分違う。日本で感じる「王様」という言葉によって、むしろおかしな誤解を招いているのではないかと危惧する。言葉の綾ではない。最近我が国で流行りの「カリスマ」とは意味が違う。アメリカでたったひとりしかいない王様なのだ。ひとりを意味する"THE
"なのだ。"THE KING"なのだ。それは威風堂々、力の限り熱唱する神々しいまでのステージを観ればもはや説明不要だ。このコンサートの映像は映画やビデオでお馴染みの映像だが、伝導力はまるで違う。ELVISはスケールが大きくなればなるほどスケールの大きさに負けないどころか、真価を発揮しその凄さが感じられる。かって映画「ELVIS
ON TOUR」がシネラマで上映されたのは正解だが、このコンサートには追い付かない。 |
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ELVIS THE CONCERT/1999 WORLD
TOURは 観客のひとりが言っていた。「ELVISは南部の素朴な人間で生きた方が幸せだったのではないか?僕はそう思います。」 大体ELVISの昔の歌の歌詞は単純で軽い。その軽い歌詞をこんなにも感情移入して表現し、強烈なインパクトを与えるというのは凄くないか?ロックンロールではお茶目に遊び、愛の歌では限り無い優しさを空間いっぱいに漂わせる、そしてゴスペルでは入魂の熱唱で全員の心を洗う。
圧巻は「偉大なるかな神」「アメリカの祈り」。まさに心の大洗濯。 |
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コンサートの曲から(クリックで訳詞) |
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