深夜のメンフィスで。
深夜3時すぎに、タクシーに乗る。タクシードライバーは20歳にも届かないと思う黒人の若者。
笑顔はない。車の中はラップが騒音に近い状態で鳴り響いている。ボリュームを下げようともしない。しばらくミシシッピー河に沿って走ったところで、「ELVISは好きか?」と尋ねてみた。
尋ねてみたもののよく分からない英語、それに騒音だ。「好きだ」と言った後は、何を言ったか分からない。
深夜ということもあって、短時間で走ったおかげで、思ったより安い。チップをメーター代と同じだけ渡す。相変わらず笑顔もサンキューもない。別に期待したわけではない、案の定と思っただけだ。
目を見る。何も言わなかったが、目がサンキューと言った気がした。
ドアを閉めた。挫折の悲しみが排気ガスと一緒に吐き出された気がした。
ハートブレイク・ホテル
沖縄にいたという白人のタクシードライバーは、あるエリアを通過するとき、スピードをあげた。
「ここで止まったら、おしまいだ。このあたりでは絶対に客を乗せない」と言った。」理由は金目的でタクシーを襲うというのだ。タクシーはこの当たりの黒人のカモにされているという。マクドナルドがあって、いろんな店があり、ホテルも数軒並んでいる。スラムの雰囲気など全然ない普通に見えるエリアだ。
在日するアメリカ人に以前メンフィスについて聞いてみた。メンフィスは危険というのが全員の返事。彼等の注意が嘘でなかった気がした。
そう、言えば、泊まったホテルに置いたバッグのチャックは毎日開かれていた。ホテルの名前は「ハート・ブレイク・ホテル」そんなホテルは実在しないと信じない人もいるが、本当にあるんですよね。そんな夢のホテルだけに、バッグの件は寂しくなる。
16日のセレモニーが終わり。落ち着きを取り戻した頃、エルヴィスの車の一部とゴールデンレコードが競売にかけられた。メンフィスの貧しい人たちの寄金にするためだという。エルヴィスは生前黒人の歌を好んで歌っている。しかし黒人の人たちに迷惑をかけるようなことはしたくなかったため人気のある歌はカバーしなかったという。
メンフィスはマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」でもお馴染みのアメリカ合衆国南部に位置する。
ミシシッピー河が流れる、リズム&ブルースの聖地だ。市街地はアメリカの地方都市特有の美しさだ。ELVISが亡くなったメンフィスの病院は「エルヴィス・プレスリーメモリアル病院」という名前に変わっている。車道から病院に向かってまっすぐのところに世界が泣いた部屋がある。エルヴィスが最初にプライベートでレコードを作ったサン・スタジオとは近い。
ミシシッピー河を横に走ったところに繁華街があり、ビール・ストリートと呼ばれている。楽器店や土産物店が紛れ込んでいるが、大半はライブハウスだ。ブルースの大御所B・Bキングの店もある。どの店もリズム&ブルースを生演奏している。アメリカはどの街でも「ハードロック・ハーブティー&アップルティー」が人気を集めているが、この通りではさっぱりだ。「ハードロック・ハーブティー&アップルティー」の前には公園があって、自由気侭にここでも歌い踊っている。
「ELVIS PRESLEY
MEMPHIS」というレストランが、一番人気で、ロカビリーのライブにお目にかかれる。右の写真はフラッと入った店でいきなりR&Bを始め出した。司会をしたおばちゃんが、日本から来たお客さんもいるよって紹介してくれた。ありがとう。何にしたってフランクすぎるくらいフランク。この店のトイレはクールだった。ブルースの聖地の夜。
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