【
4】やりがい 仕事・自由時間
【 4】やりがい セックス・結婚・子育て
■ セックス
いまも昔も大多数の人は概ね平凡な性生活を送っていて、あまりエネルギーを用いていないようです。
これにはいろんな理由があげられるでしょうが、最大の原因は、一般に自由時間を楽しむ方法を身につけないまま余暇を過ごしていることに関係しているといえます。
このために問題なのはセックスだけでなく、結婚生活の全般から楽しみを奪うことにもつながっている点です。
基本的にはセックスで快楽を求めるのに、特別な能力が必要なわけではない。
と、言いたいのですが、体験の初期を除けば、実際にはそういうわけにはいきません。
未体験者に終わりを告げた 最初のうちはセックスから快楽を得ることも、さらに楽しむことも実に簡単です。
若いときには、どんなに気力が乏しくても、ドキドキする挑戦がいくつもあります。
なかでも恋愛は刺激的です。
内面にある孤独と不安が意識されると、意識を避けようとして求愛をエスカレートさせようとします。
恋に陥ちて、最初のアプローチ、最初のデート、最初のキス、最初の性体験・・・これ以上ないような挑戦が連続して続きます。
この衝撃が心と脳と身体をとらえるでしょう。
自分の内側にアクティブな挑戦心がなくても、可能な限り、心と脳と身体を一体化します。
当人たちが挑戦的でなくても、体験そのものが無我夢中になるようにできています。
数週間続けて、めくるめくような新しい挑戦が外側から押し寄せてくるでしょう。
しかし多くの人にとってこの感覚が続くことはありません。
スポーツであれ、娯楽であれ、内面的な楽しみに変えて、さらに深めていかない限り、意欲的になれないのと同じく、セックスは時間の経過とともにまたたく間に退屈なものになります。
最初の体験で獲得した高揚感は一度しか現われないのが普通なのです。
「最初の体験」の後は、すべての関係はしだいに色槌せます。
同じ相手と数年にわたって緊張感のある楽しいセックスを維持することは非常に困難です。
自分が意欲的な生き方をしているほど、意欲的でない人とのセックスは退屈になるのが、それを証明しているようです。人は緊張感が薄れていくと、内面にある孤独と不安が次第に意識されるようになります。
この段階で孤独と不安を避けようとして浮気に走ることもあります。本来なら内面的な楽しみに変えていくのが正しいところを、そうはしないで、刺激の側面を変える事で孤独と不安に対処しょうとします。そこで、テレビ、映画、ポップスでバーチャル体験している、愛し合う者同士だけに特別の親密な関係を育むために必要な口説きの言葉、感情の共有、約束、求愛の儀式などを駆使します。
自尊心が弱く、孤独と不安が強いほど過激になりますが、この段階で、客観的に自分と状況を判断する力が弱いと、巻き込まれるように人生の選択をするのも容易です。
それにしても、どのような選択をしても、その先に待ち構えているのは、人生を楽しむ能力の必要です。
初めは身体的な挑戦だけで十分ですが、恋愛もセックスも、次には心理的エネルギーを必要として次第に複雑なものになります。
複雑になるとは、意識、思考、感情、価値観など複雑に絡まった因果関係を整理して、自分が理解できるよう再統合して秩序あるものにして、自己認識できるようにすることです。
私たちは、年齢を重ねるとともに、こども時代と違って、徐々に複雑な問題に対処していかざるを得ない局面に遭遇します。この経験を通して自己認識スキルが磨かれ向上していきます。
恋愛関係にあっては、恋愛特有のロマンスと人間的な心遣いが同時に成長しなければ、愛する二人の関係はやがて陳腐なものになります。
セックスは無意味な儀式または依存のための行為に変わります。
これを防ぐには、アクティブな経験にするだけの挑戦、つまり愛を新鮮な状態に保ち続けるには複雑さに適応する心理的エネルギーを使うことが必要になります。
この段階で葛藤が起こってきます。その解答の本質は他のすべての活動の場合と同じです。
もし陳腐な関係をそのままにして、子育てに突入すると、愛と暮らしを有意義で楽しめる複雑なシステマティックな構造に背を向けて、風俗、不倫などのようにセックス体験初期の単純な快楽を他に求めるか、エネルギーを用いない生活に慣れようとします。内面の成長がともなう楽しいものにするためには、二人の関係をより深いものに発展させる他ありません。
自分とお互いのなかにまだ経験したことのない未知の可能性を発見する必要があります。
これはひとりであっても、二人であっても、人生を楽しいものにするには欠かせない生涯かけて終りのないプロセスの作業なのです。
自分と相手にある、いくつもの要素、様々な問題や課題に対して、感情、意識、思考、行動、価値観、目的や目標の因果関係を整理して再構築していきます。そのプロセスが愛情そのものなのです。相手を思う気持ちがあるから複雑で面倒なことに挑戦的に臨めるのです。それはいまこの瞬間の大切さを気づく旅でもあります。
まず、相手の心の中にどのような考えが、感情が、希望と不安、夢があるかを知る努力が必要です。
具体的には、ふたり共同の活動で可能にします。
お互いになにが相手にふさわしいのかを発見するために、同じ本を読み、意見を交わす。一緒に旅行して驚きを発見しあう。
子供を育てて恊働する、家族と個人の両面で計画を作り実現するなどをして、これらの積み重ねのすべてが、より楽しく意味のあるものにする源泉になります。
性的感覚、セックスの恍惚はそのひとつで、他の生活場面と同じく、積極的に熱意をもってマネジメントをして、より深みのある洗練された体験を追求すれば、楽しいものに発展させることが可能です。
心と脳と身体が統合された者同士がひとつになることで、最高のセックスを実現します。
それには、相手の中に新しい挑戦目標を発見するという努力が不可欠です。
また関係を豊かにする適切な能力を身につけることなしに、互いの退屈の肥大を防ぐことは不可能なのです。
身体の相性があるように言われますが、確かにひとりひとり違います。
1000人いれば1000の顔があるように、それぞれ違います。その違いを探究心で確認していく作業を楽しむのもひとつの在り方かも知れません。
しかし、その際限のない探求が自分の成長に寄与することはありません。時間とエネルギーの浪費でしかありません。
身体の相性の違いとは、体質の違いという事情を越えて、セックスの求め方や求めることの違いなのです。 たとえば依存的な人とのセックスはそうでない人より激しくエスカレートした体験によってより強いエクスタシーを得るかも知れませんが、別の障害が生じてきます。
それはやがて快感を弱めるか、あるいはエクスタシーの代償として生活全般の質を低下させてしまいます。 他方、仕事では心と脳と身体を統合した時間を多く持っている人が、セックスではそうでないことがよくあります。
それは先にあげたように自由時間が構造化されていないことが前提にあります。
結婚生活を楽しむには、仕事よりもはるかに多くの努力を要するのですが、その認識がないのが原因です。
豊かな人生とはどういうことなのか、真に理解することがはじまりです。
自由時間であっても、豊かなセックス体験であっても、継続するには、次の点に注目して実行してください。・パートナーとの間にある境界を越えようとせず、自立をめざしている。
・心と脳と身体を統合する楽しさを知っていて、挑戦の必要を知っている
・仕事にも自由時間にも適用している
・自分自身が「心と脳と身体を統合した時間」を多く持つ挑戦をしている
・相手が「心と脳と身体を統合した時間」を多く持つ挑戦をすることを支援している
・セックスにも同じ挑戦と支援をする
自分を活かし相手を活かす観点から、楽しい生活とはどういうことなのか、
仕事と自由時間の両方を見直すことが欠かせません。
ひとは自分のありようで、もっと素敵に暮らせるのです。
■ 結婚
ふたりだけの関係ではじめる構造化されていない結婚生活を楽しむには、仕事よりもはるかに多くの努力が必要です。
その認識がないのは、ふたりにとって不幸で、結婚生活を困難なものにします。
結婚式が結婚ではありません。誰でもうなずきますが、結婚式がゴールになっている人が溢れています。自分たちがどのようなパートナーになり、どんな目的を達成するのか、考えたことのないパートナーが「構造化されていない結婚生活」に臨んで行くことは、破綻に飛び込んで行くようなものです。
それでも、なんとか維持できるのは「構造化された子育て」があるからです。
つまり、子育てにはすでに前例があり、予め約束された秩序があり、それを踏襲していけば可能です。
しかし、子育てに意識を集中すればするほど、夫と妻の解決されない問題を次々と山積みしながら暮らすことになるので、不協和音を感じたままになります。
結婚生活を創り上げていく力の源泉は「価値観の共有」ですが、共有するには互いの間に「境界」があることが前提です。
私は私、あなたはあなた。私は私と言えるには、自分が価値観を持っていて自立している、あるいはめざしていることが条件です。
孤独からの逃避で恋をして、私はあなたのもの、あなたは私のものといった間違った甘美な関係を最上として境界が混乱したまま結婚します。
間もなく、話しかけても疲れて口も聞かないようなことが起こってきます。私はあなたのもの、あなたは私のものといった幻想が崩れ、なぜそうなったのか、とまどいます。
やがて互いの間には境界があることに気がつきます。
結婚前からあった境界ですが、新たに生じた境界と錯覚します。自分たちがどのようなパートナーになり、どんな目的を達成するのか、共有の目的がないために、どうしていいのか判らなくなります。
暮らすために「働き」「子育て」することを結婚生活と勘違いして、目に見える結婚生活を模擬しながら、孤独からの逃避を調整していきます。
心はどこかにあるのでしょうが、やりがいをカルチャーセンターや消費に求めて不満を麻痺させ、さらに境界を曖昧にして依存を強めてしまいます。
しかし、「ふたりが自立に向かう暮らし」の継続こそが結婚生活のやりがいです。
結婚生活を生き生きしたものにするのは、自立なのです。
自立は、境界を守ってお互いを尊重するやさしさです。自立しているから、共有、共感が可能になり、発展的な相互依存が可能になり、相手の存在がうれしくなります。
自立は子育ての目的であり、自分たちの目的です。自立を通して自分たちがどのようなパートナーになるのか、結婚生活の目的を描きます。それは仕事以上に注意深く関心が必要になりますが、目的意識が注がれたプロセスが愛情になっていきます。
結婚については、第六章 じぶんぢから再生プロジェクト 【3】自立する結婚/夫婦
でさらに詳しく解説しています。
■子育て
子育ては親育て、親の育てなおしで、親と子の共同作業です。途中までは親が誘導し、後は子どもが自分でゴールに突き進みます。
子どもの人生をドブ川に捨てるようなものにするか、喜びに満ちたものにするかは、子育てのあり方で決まります。
人生の基盤を作る5歳〜10歳までに 、なにをどう感じるかで決まるといっても過言ではありません。お母さんの5年、あるいは10年の子育てへの強い関心と行動が、大きく影響します。
人生100年時代といわれるいま、わずか5年、長くて10年、思い切り集中することは人生最大のイベントになる大きな楽しみです。
ところが子育てのゴールを設定していない親は意外と多いものです。
最高の自分になるために、必要なことは、いい学業を修めることでも 、いい会社に入ることでもありません。ゴール「最高の自分になること」への条件は「自立すること」です。
子どもの自立心を育てるためによい親とは、よい教師や、ほとんど動物がそうであるように、
いつまでも必要とされるのではなく、子どもの目の前からいなくなっても、子どもが困らない親になることです。
ですから「子育てのゴールは自立」になります。
なんのための自立なのか、ひとつは自分の目的を設定して実現できる力を持つためです。ひとつは、幸福な時間を一秒でも多く持つためです。
充実に満ちた時間を過ごす・・・それは最大の幸福ではないでしょうか。
それには自律できるスキルが欠かせません。
そのためにいくつかクリアするべきことがあります。
1.自立できる
2.自分と周りの人を肯定できること。つまり自尊心を持つこと。
同じように他者が自尊心を持つことを尊重できる。
3.感情表現ができる
感情に邪魔されずに時間を使うことができる
4.目標を設定できる
計画(達成する手順)を組み立てられる。
5.計画通りに実行し、調整できる。
6.目標〜計画実行の過程で、阻害要因に我慢できる
7.自分の伝えたいことを積極的に表現できる
8.同じように周りの人が表現することを受け入れ尊重できる
(1)の自立させるには、(2)が条件です。
それによって(3)が可能になり(4)が可能になり、(1)が実現できます。
(3)と(4)は自立に役立つ条件です。
つまりゴールである(1)自立させるために、(2)が絶対に不可欠です。
これこそが幼児期に身につけることです。ところが、ほとんどお母さんは、無我夢中で子育てをする内に、「(2)自尊心を持つこと。同じように他者が自尊心を尊重できる。」が出来ないようなことをついついやってしまいます。
「あなたはできない」と反対のメッセージを送ってしまうのです。事実、こどもはできません。注意することが多くなるのは当然です。
注意しながらも、「あなたはできない」のメッセージを送らないようにするには、どうしてあげればいいのでしょうか?
行為に目を奪われずに、感情を傷つけないように注目しましょう。ほとんどのお母さんは、行為に注意はしても、感情を傷つけようと思っていないはずです。
ところが行為を注意したつもりが、感情を傷つけてしまうのです。
こんな光景を目にしました。
うどん屋さんで食事をしていたときのことです。
こどもふたりを連れたお母さん。それぞれがうどんを食べていました。
するとひとりのこどもさんが鉢をひっくり返してしまいました。
お母さんは、慌てることなく落ち着いた口調で、こどもさんに「大丈夫?」とたずねました。
確認してすぐに、うどん屋のご主人に「すみません。こぼしてしまったので、おふきんを貸していただけますか?」と言いました。
うどん屋のご主人は「ああ、いいんですよ。やりますから」と言って、テーブルを拭きにいきました。
お母さんはやはり落ち着いた口調で「申し訳ありません。
ありがとうございます」とお礼を言いました。
うどん屋のご主人は「どういたしまして」と笑顔で返しました。
そして、お母さんは、自分の鉢からうどんとおつゆをこどもさんの鉢に少し移してあげて、そのま食事を続けました。
その間、店内はざわつくことなく、淡々と静けさを維持したまま過ぎていきました。
こどもはうどんが思うように食べられなくなったことで、気持ちが落ち込んでいます。
だからお母さんは、叱ることもなく、子どもさんの無事と、うどん屋に迷惑をかけた処理に集中したのです。
この態度によって、「あなたは悪くない。」というメッセージと、お店に対する尊重のメッセージを受けて、こどもさんは自分の自尊心が守られるとともに、周りに対する尊重を感じることができたのです。互いの境界を尊重して暮らす女性のすがたです。
子育てのゴールをめざしていれば、どう対処するのがいいのかも分ってきて、実行もできます。
「境界」を念頭においた健全な子育ては、夫と妻に「境界」を考えさせる人生最大の機会になります。結婚生活に好ましい波紋を広げ、自分たちが属する共同体とそこにいる人々との接し方を最良のものにするヒントになります。
子育てについては「第六章
じぶんぢから再生プロジェクト 自立する子育て」で更に詳しく解説しています。