たとえば、映画館で館内が暗くなった状況で、携帯電話のスイッチを入れる。
ディスプレーのバックライトが点灯し、気になる友人からのメールを読む。
あるいは誰のメールが届いていないか確認する。
これをあなたはどう思いますか?
ひとは感情の動物といわれるように
感情によって瑞々しい暮らしを現実のものにています。
その素敵を破壊しているのが、感情的な行動です。
同じようで全く違います。
感情の表現と感情的な行動はどう違うのでしょうか。
たとえば電車でみかけた素敵な女性。
一目惚れだってあります。
恋心は感情です。
そこで「あなたが好きです」と表現するのが、感情の表現。
しかし、いきなり抱きつくと、感情的な行動で、これは犯罪です。
ひとはそれぞれに感情があります。
だから恋心をもつのも、持たないのも、それぞれの心に起こること。
「それぞれ」というのは、ひとによって違うということです。
つまりひととひとの間には見えないけれど、はっきりとした境界があります。
人権という形で「境界」は、法で保護されています。
その境界を、相手の許可なく、越えると人権侵害です。
他人の家に勝手に入るようなものです。
だから恋心は感情の表現として、してもいいのですが、相手への配慮が必要です。
表現はいいけれど、相手に配慮して、
不安にさせたり、恐怖を与えたりしないように、礼節を守って行うのが条件です。
それにしても相手の庭に踏み込むような行為なので、
これから入らせていただきますが、いいですかという承諾を得るのが
マナー、エチケットなのです。
感情的な行動とは、承諾もなしに、感情のままに感情、即、行動というものです。
つまり自分と他人との境界もなく、相手への配慮もなく、
感情を行動に移してしまうものです。
腹が立ったから怒る。これは感情です。
しかしこの場合でも、恋心と同じように相手に配慮して、
不安にさせたり、恐怖を与えたりしないように、礼節を守って怒るのが条件です。
怒るとは、相手に恐怖心を与えるのが目標ではありません。
まず、こちらの不安や不満を伝えて、
相手に態度なり、行動を変えてもらうことです。
ですから、「わたしはいまとてもくやしいです。なぜなら・・・」
と説明するのが怒っていることです。
それで通用するのかと思う方がいるかも知れませんが、
先にお話したように、相手に態度なり、行動を変えてもらうことが目標ですから、
威圧的な態度をとる必要なないのです。
この説明を省くとどうなりますか?
感情=即行動ですね。
これが感情的な行動です。
恋心の場合は礼節を守るけれど、
怒っているときはそうはできないというのは、単なる損得勘定です。
感情的な行動は他者に対して向けるだけではありません。
むしろ日頃から、自分に向けているのが習慣化していて、
他者にもカンタンに向けてしまうのです。
気持ちがムシャクシャして暴飲暴食、喫煙などはその典型的な例です。
自分を痛めつけることで気分転換していまが、
それを意識できていないことが多いものです。
日頃から自分を痛めつけることが増えると、
行動がどんどん感情的になり感覚が麻痺してきます。
最近は昔なかったような痛ましい事件が続発していますが、
感覚の麻痺と境界の曖昧さが影響しています。
かっては我慢、
自分をコントロールしなければならないことが多かったわけですが、
いまでは我慢の機会よりも消費と娯楽による逃避が安直にできてしまうことで、
感情的な行動がどんどん増えているのが影響しています。
消費も娯楽も適度であれば健康に寄与しますが、
度を超えると百害あって一利なしです。
冒頭の質問の答は出ましたか?
気になる、なにか楽しいことはないか、
場所をわきまえず、周囲の迷惑を気にせずに、自分の感情のままに行動する。
自分で知らない間に、感情的な行動がどんどん増えている。
それは言い換えるとひととの境界をどんどん踏み越えているということです。
冒頭の状況で、どうしても、心配なことがあって、携帯電話を利用したいなら、
場を外す、あるいは、(気になることがあるので)ケータイみてもいいですか?と
声をかける。
これが感情の表現です。