「走しりながら考えろ」という言葉を聴いたことはありませんか?
つまり「行動しながら考えたらいいしゃないか」ということですが、なかなかできない人がいます。実はほとんどの方はそうです。
なぜなら、準備や経験を積んでからやりなさいという教えが小さい頃から入りこんでしまっているからです。
そのことは間違いではありませんが、その方法には少し欠点があります。
小学校の教育を思い起こしてください。1年生がいきなり6年生の授業を受けることはありませんよね。
当たり前だと思いますよね、なぜ当たり前に思うかというと、基礎ができていないと考えるからだと思います。
私たちは幼い頃から、基礎を学んでからでないとできないという教えを受けています。
だから何をするにしても基礎からやるものだと思い込んでいます。それは間違いではないけれど、そのために、一方では大変だ、あるいは面倒くさいと思うのも事実です。
したいけれど、その前にやらなくてはいけないことがある。と考え、行動に移す手前で足踏みしてしまいます。
アレコレ想像している段階で止まってしまうのです。
すると、簡単ではないと思い込み、だんだん面倒になってきます。
慌ててやってもうまくいかない、そのうちやるよ、ゆっくりやるよ、ということになります。
まして重要なことや、自分がしたいことほど、その傾向は強くなってしまいます。
強くなっても、それだけ重要なことだからと自分でも、周囲の人にも、納得できる言い回しがもっとも\らいく聴こえます。
そこで「基礎」にすぐ取り組めばいいのですが、面倒だなという気持ちがブレーキになって、「そのうち」だけが記憶に残り、行動を遅らせることになります。
やがていろんなことが身の周りに起こり、いつしか忘れたり、なにも取り組んでいない状態が続くことから、次第にあきらめに変わって行きます。
たとえば、何か資格をとろうとして、テキストを選びます。すぐ、その日のうちに、数ページ学習して、次にまた数ページ学習する。理解できても出来なくても、とにかく最後まで進んでしまう。
そこで分らなかったら、もう一度最初からやる。でも今度は自然に、少し考えながら取り組むようになるはずです。
つまりとにかくやる、次に自分を信じて、もう一度やってみる。自分を信じてというのは、自分もバカでないから、少し考えながら取り組むだろうということです。
そうすると進んで行きます。
できない人はこれと違った行動をします。
テキストを選びます。まずは環境と気持ちを整えようと思い、明日からがんばろうとします。次の日も同じです。気持ちを整えようとしても、億劫な気持ちはそのままです。
億劫な気持ちについては、「よしやるぞ」でしか解決できません。
あるいは、1ぺージ目から数ページの学習しましたが、数日間休んで学習しなかったために、分らなくなり、また最初の1ぺージ目から始めるというパターンに陥ります。
これを繰り返したら、いつも同じところからの学習で、いっこうに進まずにイヤになります。自分には不適切なんだと思います。
不適切という結論を出すだけも、していないのに、錯覚から結論づけてしまいます。
こういうことって玄関の郵便受けまで行きたいけど、いまは寝転がっていて、起きるのは面倒だな。というのと似ています。
こんなときエイ、ヤッで起きていくしかない。それと同じです。
やると決めたら、すぐにやる。やりだしたら分らなくてもやめない。うまくいかないことを気にしない、できないのは当たり前なんだから。止まらずにやっていたら、そのうちできるようになる。
止まっていたら、できるものでも、できません。
だから走りながら考える、これが走りながら考えろということです。
準備は大事ですが、面倒だなと思ってなにも進まない状態を準備とはいいません。
まず行動する習慣を先に身につけて、失敗を経験することです。
行動は苦にならないけど、失敗は気になるという状態になったら、やる気がある状態になったといえます。
そうなったら、どうすればできるかを、真剣に考えるようになります。
とにかくその状態になるまでは、ノン・ストップです。
ゲンキポリタンの愛ピがお答えしました。