ハートブレイク・ホテル
彼女が俺を捨ててから
新しい溜まり場を見つけた
淋しい通りのはずれにあるハートブレイク・ホテルさ
俺は一人ぼっち、俺は一人ぼっち
淋しくて死にそうだ
いつも混んでいるけれど
座るところなら見つかるぜ
傷ついた恋人たちが
自分の悲しみを嘆く場所
淋しい気持ち、淋しい気持ちになる
みな淋しくて死にそうだ
ベル・ボーイの涙は止まらない
フロントは黒い服を身につけている
みな淋しい通りで淋しい時を過ごしてきた
過去を振り返るヤツなど誰もいないそこではみな一人ぼっち、
みな一人ぼっち
みな淋しくて
死にそうだ
もしも恋人に捨てられて
グチをこぽしたいのなら淋しい通りにある
ハートブレイク・ホテルに行きな
おまえは一人ぼっち、おまえは一人ぼっち
淋しくて死にたくなるぜ
いつも混んでいるけれど
座るところなら見つかるぜ
傷ついた恋人たちが
自分の悲しみを嘆く場所
おまえは一人ぼっち、みな一人ぽっち
淋しくて死にたくなる場所さ
● 語り継ぐ歴史と共にエルヴィスを。
現在のミリオンセラーは70年代だったら、300万枚に値するといわれますが、 50年代のミリオンセラーは5倍以上になるのではないでしょうか?
現代アメリカのもっとも遅れた州になってしまった、南部テネシー州から やってきた若者が放った大ヒット曲は、単なるヒットに留まらず、世界中の
文化を変えてしまいました。
日本では「恋に破れた若者たちで・・・」という歌詞で人気を博した曲。 狂乱ぶりが伝えられました。
しかし愛ピには、国内の狂乱ぶりが、どのようにして伝えられたのか、よく 分からないのです。
<ハートブレイクホテル>は昭和31年(1956)1月にアメリカで、リリースさ れましたが、この時代の日本には、まだテレビの普及もなく、テレビどころか、
洗濯機すら普及していなかったのではないかと思います。
1950年代の日本は、戦後の経済復興が軌道にのりつつある時代。
テレビの本放送が始まるなど、豊かさへの憧れ、便利への希求が高まっていきま した。
なにしろ、当時の日本の家庭には洗濯機、冷蔵庫すら普及していなかったわけで すから。 冷蔵庫って氷屋さんで、氷を買って氷の力で冷やすのが一般的。洗濯は洗濯板と
タライでゴシゴシこすって汚れを落とすの普通。主婦にとっては重労働の時代で す。
「家事労働の軽減」がビジネスになると開発に力を入れた家電メーカーによって、 1953年(昭和28年)、日本最初の「噴流式洗濯機」が登場。1963年(昭和38年)に、
氷が作れる、冷凍室(れいとうしつ)付きの冷蔵庫が発売されました。
発売と浸透には時間差がありますので、一般家庭に普及したのは、ともに3年程 度遅れてでないでしょうか?
昭和28年の洗濯機って28000円〜していたわけですから、当時の給料からすると、 いまなら4〜50万円くらいで販売されたわけです。
昭和33年。
アテネで金メダルをめざしてガンバっている長嶋ジャパン。無念にも脳梗塞で倒 れた長嶋監督が、大学を卒業、選手としてデビューした年です。
そして、もうひとつ当時の若者達が飛びついたのがロカビリーでした。
1954年、エルヴィス登場によって、アメリカで誕生したロックンロールが、1956 年4月25日、ヒットチャート、トップになった<ハートブレイク・ホテル>に始
まる驚異的なメガヒットによるヒットチャート独占のニュースや楽曲がラジオを 通して日本に上陸。
この時期の日本は、アメリカとの時差が2年はあり、実際に<ハートブレイクホ テル>が国内で話題になったのも昭和33年あたりでないのかと思います。
それを受けて誕生した「ウエスタンカーニバル」を機に、日本ナイズされた
すさまじい、狂乱のロカビリーブームが「社会現象」規模で起こります。
「ウェスタン・カーニバル」は、東京有楽町の日劇(現在の有楽町マリオン) において、<ハートブレイク・ホテル>のヒットから遅れること2年、1958年か
ら1971年までの間、計57回開催されています。
大阪では千日前の大劇(閉館)でした。
東京・有楽町のど真ん中。銀座「テネシー」、新宿「ACB」、池袋「ドラム」な どなど「ジャズ喫茶」と呼ばれたところの人気者を集めて興行を打たれのが始ま
りです。
「ジャズ喫茶」のジャズとは「洋楽」のことをさしていたと思われます。)
これが爆発的に大ブレイク。ロカビリーは社会現象になります。
新時代への転換期の立役者に躍りでたのが、平尾 昌晃、山下 敬二郎、ミッキー・ カーチスのロカビリー3人男。
続く第二回には、「三人ひろし」と呼ばれた水原 弘、井上 ひろし、守屋 浩が 登場。
第三回には<トラブル>を歌った坂本 九が登場します。
第四回目からはポップで美しいメロディーラインの曲が続々登場したこともあっ て、人気女性陣も大活躍を開始します。
そもそも2月、8月は、どの業界もニッパチと呼ばれ商売が芳しくない時期。
そこで苦肉の策として、打った興行が、この伝説となるほどの爆発的人気を得た 「ウェスタン・カーニバル」だったと言われています。
仕掛けも伝説になりましたが、仕掛け人は渡辺美佐氏、後に多くのスターを輩出 した渡辺プロダクションです。
この時代は、まだまだ、家庭で車が所有できる時代ではなかったわけです。
どうにか白黒テレビが普及しだした時代でしょう。
車が庶民にとって夢でなくなくなってきたのが、エルヴィスの68年カムバック・ スペシャルよりさらに後に公開された「エルヴィス・オン・ステージ」あたりか
らです。
ホンダの軽四N360が大ヒットした時代です。
ラスベガス・ライブに行くのと、車を買うのが同じくらいの費用だった時代です。
それを思うと、エルヴィスが埃をかぶっていないのが、不思議なほど古い話で、 興味のない方には、「エルヴィス・プレスリー・・・古いね」っていうのが正直
なところでしょう。
知り合いの女性、28歳ですが、彼女曰く「私が生きてきて、エルヴィス・プレス リーの名を出したのは、愛ピとバー”ハートブレイク・ホテル”のマスターしか
いない」そうです。
人間は忘れることができるからこそ、気も狂わずに生きていけると思いますが、 それにしても、ボクたちは過去を忘れて、切り捨てばかりしていたら、アイデン
ティティは、不確かになるしかないですよね。
未来は過去の裏返しでも、あったりするわけですから。 自分の先祖は、どこからきて、ナニをして、どこへ向かおうとしていたのかを、 知ることで、自分が何者なのか、ナニをするのがいいのかも、見えてきます。
「お盆」という行事が、行楽や消費のためにしか、使われないとしたら、自分を粗末にしているようで悲しいですね。
そういうことをきちんとけじめつけていくのが、大人の仕事ですよね。
エルヴィスが忘れられていくと嘆いたところで、自分の先祖のことすら気になら ない人間に、亡くなった芸能人が記憶され続けていくことを期待するのも、おか
しな話。
お父さんのこと、お母さんのこと、おじいさんやおばあさんのことが語られるな かに、エルヴィスが登場してくるのが筋です。
家族の愛したものを大切にすることが、家族を拒否しないことだし、自分を拒否 しないことです。それが自分を粗末にしない第一歩でしょう。
想い出話でなく、自分たちがどこに向かっていたのかを、歴史とともに次世代に 語り継がないと、おじいちゃんがストライキされた線路を歩いて通った仕事や、
おばあちゃんが、洗濯板でおしめを洗ったこと、集団就職してきて、有楽町に行 って、次第にふるさとを忘れていったことも、なにもかも勿体無い。
シナトラなんかが、いまだに流れているアメリカ、特にニューヨークじゃ、移民 してきた先祖の歴史と深くかかわっているわけでしょう。
音楽が一過性のものじゃないのは、家族のことを話す場が「家庭」にあるからで すよね。
親が何をしているのか、子供が何をしているのか、どんな人と交際があるのか、知らないというのも、おかしな話なのですよね。それが当たり前と思える生活スタイルが、問題です。
NHKでは、懐メロをよく放送しています。平尾 昌晃、山下 敬二郎、ミッキー・カーチスさんが、演歌の氷川きよしクンと共演していて、彼が<G.I.ブルース>を歌っていました。ミッキー・カーティスさん、平尾昌晃さん、佐々木功さんらがバックコーラスをつとめて、新旧ひとつになっていました。だけど、ボクは浜崎あゆみ嬢と共演してこそ、すてきだと思うのです。
ロカビリーの狂乱に遅れ、「エルヴィスのゴールデン・レコード第1集」を手にしても、 <ハートブレイク・ホテル>のあの独特のサウンドには、録音状態も含めて異様なものを感じました。
CDになって、後になるほどスッキリしたサウンドに変化していますが、懐古趣味なんてかけらもないけど、こんなにすっきりしてしまっていいのかなという気がします。
ボクは他人から好きなアルバムはどれと聞かれると、エルヴィスへの畏敬の念が先立ち、サウンド革命、ロックンロール誕生をやり遂げた「サンコレクション」業界にシングルレコードの世界を切り開いたこと、ヒットの山を築いたことへの敬意を表して「ゴールデンレコード第1集〜第3集」、裸のエルヴィスが聴こえてきそうな「サスピシャス・マインド〜メンフィス・1969・アンソロジー」の5枚をあげます。
でも本当は、「A DATE WITE ELVIS(ロックの王者!エルヴィス・プレスリー」が一番好きなのです。
サンレコード時代のものとRCA初期のものをミックスしたアルバムです。
その選曲、サウンドが、かもしだす奇妙なチープ感から、どことなくいかがわしさを感じさせるものです。
ヒッピー全盛時代のビートルズ以降、昨今当たり前のコンセプト・アルバムの対極にあります。
でも、それこそがエルヴィスが輝いた時代そのもの、みんなが一生懸命働いた、生きた時代のアルバムなのです。
このアルバムが紙ジャケット盤でリリースされるにあたって、あの擬似ステレオのいかがわしさを、なんとしても、そのまま復刻させないと、リリースする意味がないと、音質にこだわったそうです。
それを知ったとき、すごくうれしかった。それを抜きにして、このアルバムのす
てきも、エルヴィスのすてきも伝わらないからです。
<ハートブレイク・ホテル>はエルヴィスの出世作です。アメリカ以上に、日本では、そうでしょう。
<ハウンド・ドッグ>こそが、決定的な作品だけど、日本では圧倒的に「恋に破れた若者たちで・・・」の日本語歌詞のフレーズが効いているわけです。
1956年1月27日
ギター/スコティ・ムーア、チェット・アトキンス、
ベース/ビル・ブラック、ピアノ/フロイド・フレーマー、
ドラムス/D.J.フアンタナ、コーラス/ゴードン・ストーカー
歌/エルヴィス・プレスリーによって世に放たれた一曲。
いつ初めて聴いたかは人によって違います。
しかし、願わくは、記録と記憶の残る、世界を変えたエルヴィスの<ハートブレイク・ホテル>の想い出と感想を、みなさま自身とご家族の歴史と共に語りついで欲しいと願うのです。
■ELV1S:30ナンバー・ワン・ヒッツ
△<ハートブレイク・ホテル>他、究極のベストワンを集めたアルバム。
■サスピシャス・マインド〜メンフィス・1969・アンソロジー
△愛ピが選ぶベスト5のひとつ。これはキングが残した偉大な風景。
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みなさまからのメール
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今週はHさんからのメール、ご紹介です。
> いつも楽しくメールを拝見させていただいています。
> 今日、送られてきたメールを読んで、そう、今日は命日なんですよね。
> 毎年、この時期になると残念で後悔を想い出します。
> というのも、エルヴィスが生きているうちに一度はナマを見てみたかったと いうこと。
> それがかなわなかったので、エルヴィスと仲が良かったといわれるトム・ジョ ーンズや明日に架ける橋のアート・ガーファンクルのコンサートを観て、「あ
> あ、エルヴィスが生きていればなぁ。」と思ったものです。
そうですよね、いまでこそ海外に出かける方は多いですが、
日本人にとってエルヴィスが早すぎたのと、ファンが若すぎたのでしょうね。
いまのような状況なら、もっと生のエルヴィス見た人は多かったでしょうね。
> 昨日は、「オン・ステージ」を観に東劇に行ってきました。
> DVDも持っていますが、映画はスケールが違うし、エルヴィスを風化させな
> いためにも行くべきかなと思って。
エルヴィスへの愛ですね。そのお言葉に喜ぶ方がたくさんいますよね。
>
> 愛ピさんの今回のメールで、先祖を大事にしてこそエルヴィスという考えにも
> 賛同しますし、真摯なメールで好感がもてます。
ありがとうございます。「それぞれの暮らし」あってのエルヴィス。
生活抜きにしたら、エルヴィスが自分の命こめた歌の意味がなくなってしまうと
思っています。
> これからも、エルヴィスをみんなに知ってもらうために、大変でしょうが頑張
> ってください。
ありがとうございます。みなさまの支えがあればこそ進めます。
その意味でも、みなさまの期待に応えられるような内容にしたいと、
震えながら毎週発行しています。
今後とも、よろしくお願いいたします。
Hさん、ありがとうございました!
今回のメルマガは皆様の生活あるいはお仕事に役に立ちましたか?
感想などありましたら、このメルマガに直接送って下さいね。
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時間がかかっても必ずご返事いたします。よろしくお願いします。
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愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクション
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