なにごともやりすぎないといけない。
エルヴィス・プレスリーの<トゥ・マッチ>は1956年9月に録音、翌年1月4日にリリース、ミリオンセラーを記録した。
<トゥ・マッチ>には、とてもいい話がついている。
<トゥ・マッチ>は、リー・ローゼンバーグと、バナード・ウェイマンが、1954年に共作したカントリー・チューン。
その年、バナード・ハーディソンとジデュ・トレメインがレコーディング、リリースしたものの、いずれもヒットしなかったそうだ。
しかしリー・ローゼンバーグにとって、<トゥ・マッチ>は、曲の内容のままに愛すべき自信作で埋もれさせることに我慢できなかったようだ。
1956年ブレイクしていたエルヴィスに目をつけたようだ。
リー・ローゼンバーグは、エルヴィスに 直接手渡し、レコーディングをアプローチする。
エルヴィスはアップテンポで歌い、R&日チャートとカントリー・チャートで3位にランク・インさせた。
5月にいったんチャートから消えたものの、7月には再び復活したことからも、<トゥ・マッチ>がどれだけ愛されたか分る。
ミリオンセラーの記録が、ただ売れただけでないことを意味している。
B麺には<プレイング・フォー・キープス>が収録された、
カントリー・チャート8位を記録している。
エルヴィス初のベストアルバム「エルヴィスのゴールデンレコード」にはA麺の最後に収録されている。
イギリスのエルヴィス、クリフ・リチャードも<トゥ・マッチ>をカバーしている。 必聴!
クリフの軽い声とマッチしていい感じに仕上がっている。
それほど愛された楽曲も、リー・ローゼンバーグが失意の内に、胸にたたんでいたら、<トゥ・マッチ>はそのまま埋もれていたことになる。
やりたいことは、やりすぎないと、実現しないのだ。
ベイビー、君を愛しすぎている
君の愛がたまらなくほしいんだ
俺に触れたときのときめきを味わいたい
こんなに好きになっちゃだめなんだ
遊んでいてもいいさ
俺がせっせと尽くしているあいだに
君を愛しすぎてるから
俺の金は全部使っちまうし
他の男と君を共有しなくちゃいけない
愛してほしいときには姿も見えない
ちっとも俺に良くなんかしてくれない
火をつけたのは君だから
僕を捨てたりしないでくれ
君を愛しすぎてるから
いつも愛していてほしいのさ
抱きしめてくれ、そして俺のものになってくれ
いつも近くにいておくれ
わかるかい、君しかいないんだ
火をつけたのは君だから
俺を捨てたりしないでくれ
君を愛しすぎてるから
かわいし唇にキスをするたびに
心臓がドキドキするのがわかるんだ
君の魅力にいかれてる
その腕で、ベイビー、もう一度抱きしめてくれ
ため息さえも好きだよ
たとえそれが嘘とわかっていても
君を愛しすぎてるから
いつも愛していてほしいのさ
抱きしめてくれ、そして俺のものになってくれ
いつも近くにいておくれ
わかるかい、君しかいないんだ
火をつけたのは君だから
俺を捨てたりしないでくれ
君を愛しすぎてるから
自分の好きが、好きで好きでたまらないにしても、受動的につきあっていても、何も起こらない。
受け身でダラダラとなにかを続けたところで人生は変わらないのだ。
一点に向かって、能動的にやりすぎるほど真面目に継続する。
歴史はその繰り返しで開かれてきた。
しかも、いまと未来は、さらなる集中のみを受け入れようとしていて、それはますますやりすぎを求めている。
イギリスのバンドで、最高峰に立つ レディオヘッドは、自らの手でインターネットでアルバムリリースを行った。
販売価格はユーザが自分で決める。ほとんど寄付と同じ発想だ。
「なぜ、彼らほどのバンドが?』と首をかしげる人には、彼らの気持ちも時代も分らない。
ロックンロールは,権威や権力からも、自らも、ロールを取り戻し、パブリックな空間に放たれたのだ。
このやり方は、ジョナサン・コールトンというニューヨーク在住の無名のバンドが始めたものだ。
メジャーなレーベルと契約しないで、自分の音楽を愛してくれる人たちと音楽を通してともだちになろうと呼びかけるプロジェクトだ。
そこにはやりすぎた者のみが知る信頼と至福がある。
やりすぎた者はやりすぎることで枯渇しないのだ。
エルヴィス・プレスリーの偉大な特性はTOO MUCH 「やりすぎる」ということだ。
50年代、全米の若者を興奮のるつぼに叩き込んだのも、やりすぎのパフォーマンスとその容姿によるものだった。
60年代、世界の映画館に観客を引き込んだのも、ありそうで、どこにもないボーイ・ミーツ・ガールに万才、万才を連呼するやりすぎ映画のラッシュだった。
70年代、ステージを祭壇にするほどのコンサートも、やはりやりすぎのパフォーマンスと容姿によるものだった。
そもそもエルヴィス・プレスリーが誕生したのは稀な感性と「やりすぎの学習」によるものだ。
エルヴィス・プレスリーは、そのデビュー前から、いや物心ついた頃から、脳と魂に音楽のデータベースを作り上げていた。
それはすべて、脳と魂が、自分の耳に流れ届いてくる音楽を海面のように吸収して行った結果だ。
想像だが、ほとんど無料で手に入れたものだと思う。
神の祝福は、やりすぎる魂にのみ与えられる。
この世界は、やりすぎた者が成功する。
その傾向はますます強まっている。
自分を忘れて、人のためにやりすぎることだ。
自分を忘れて、人を愛しすぎることこそ、もっとも大切な資質かも知れない。
それはエルヴィスのステージのふるまいにも見ることができる。
自分を忘れないやりすぎはどこまでやってもやりすぎにならない。
エルヴィス・プレスリーの声を聴くほど、そう思う。
やりすぎて、やりすぎて、この世界にさよならをしたエルヴィス・プレスリー。
気がつけば 、レコード盤に刻まれていた。
やりたいことは、能動的にやりすぎろと・・・
とまらないままに、ビートするやりすぎに祝福を。