夏に開いた恋なのに
SUMMER KISSES, WlNTER TEARS
エルヴィス・プレスリ−の<夏に開いた恋なのに>
なんときれいなタイトルだろう。
そう思ったのは、高校時代に友人の家で見かけた33回転のEP盤だった。
彼はコニー・フランシスが好きでたくさんレコード持っていた。
その中にエルヴィスのものも混じるように結構持っていて、それをうらやましく思ったこともあったが、いま思うと彼の方が音楽に熱心だったのだと思う。
バンドを立ち上げたのも彼だったし、自分のようにリタイヤせずに続けていた。
やがて彼は哲学に傾斜し、音楽のことも言わなくなり、デモに突っ込んで行くようになった。それから会うことは少なくなった。その友人もこの夏に逝った
いつしか自分は、気がついたらエルヴィスのレコードの多くを失っていた。
ほとんどの人は、ひとときの季節に熱病のように音楽に親しみ、実社会と関わるようになって、そちらが生活の大半を占める。家族を持ち、さらに考えることは増えて忙しくなっていき、社交のための歌に変質したりする。
<夏に開いた恋なのに>
路上でひらい、持っていた物を、季節の移ろいと共に、失いながら、風に頬を赤らながら、それでも笑顔で暮らしている。
夏に開いた恋なのに
夏の口づけ、冬の涙
これがあの娘がくれたもの
思わなかったよ、たった一人で
想し出の小道をたどるとは
幸せな時間、孤独な年月
でも悲しむのはよそう
憶えているよ、あの夏の歌を
冬の雨の間もずっと
* 恋の炎、恋の炎は
離れていても燃えさかる
落ちていく流れ星ほど明々と
夜の闇を照らすものはない
夏の口づけ、冬の涙
いずれ消える星のように
孤独な夜に置き去りの僕
昨日までの夢と一緒に
* くり返し
孤独な夜に置き去りの僕
昨日までの夢と一緒に
夏の口づけ、冬の涙
<夏に開いた恋なのに>は、映画「燃える平原児」の挿入歌の予定だったが、結果的にはそうはならなかった。
そのためムービー・バージョンがあって、近頃はアルバムにも収録されたりしている。
■燃える平原児・嵐の季節・夢の渚
60年代前半の映画3作品を集めたサントラ盤、アウトテイクが楽しい.
SUMMER KISSES, WlNTER TEARS
Summer kisses, winter tears
That was what she gave to me
Never thought l'd travel all alone
The trail of memorles
Happy hours, Ionely years
But I guess I can't complain
For I still recal! the summer song
Through all the winter rain
*The fire of love, the fire of love
Can burn from afar
And nothing can light the dark of the night
Like a falling star
Summer kisses, winter tears
Like the stars may fade away
Leaving me to spend my lonely nights
With dreams of yesterday
*REPEAT
Leaving me to spend my lonely nights
With dreams of ye8terday
Summer kisses, winter tears
人は誰でも、自分は価値ある者だと思いたいものだ。
毎日、それを求めている珍しい生き物だ。
だから、そう思えないと途端に元気がなくなり、時にはカラダやココロのバランスを失い病気にもなる。
具合の悪さもプチからヘビーまで範囲は広いが、おかしくなったりする。
自分が立てた目標が達成できたらうれしいし、失敗を避け挑戦することを嫌がったりする。
そんなところから、「一丁あがり」「こんなものでいいだろう」でかたづけていくことも増えたりする。
自分の意識にはないのに、人を粗末にするメッセージを発してしまうのだ。
そういうことは、実は自分を疎外した結果だと気がつかないことが多い。
自分も大いに反省している。
特に週に1つ、エルヴィスのことを書いて行くのは自分には至難の技で、「こんなもんでいいかな」と区切らないと生活ができなくなる。
それは後味が悪いものだ。
その居心地の悪さはおいおい修正したいと思っている。
コマーシャルの隙き間に番組を押し込んだようなテレビ、全紙同じ見出しが並ぶ新聞、政争ばかりを報道するニュース、これらはみんな「こんなもんでいいでしょう」と人を軽く扱うメッセージでしかない。
身体によくない添加物をいっぱい含んだ食べ物。
見えるところだけきれいにした家具、日本国中どこでも同じような間取りの家、開け閉めのたびに音のなる扉。
人を粗末にするものは他にいくらもあるが、その人たちの仕事の結果だ。
人は自分を粗末に扱うものやサービスに囲まれて暮らしたらおかしくなる。
やがて 被害者から加害者に変わる。
粗末にされることは、することに麻痺していくのだ、
ところで、エルヴィス映画が概ね評価されないのは、まさに「一丁あがり」「こんなものでいいだろう」のメッセージを発信しているからだ。
それは、観るもの、つまり自分が大事にされていないことへの苛立ちを感じるからだ。
さらに、それは心のありようで結果は変えられたはずだと思うからだ。
粗末に扱われた屈辱がいやなのだ。
でも、自分はどうしてエルヴィスが好きなんだろうか?
声がよくて歌が巧くて波長が合う。ただそれだけなんだろうか?
そうではないなにかがあるから、何十年と聴いてくることになってしまった。
作品を越えて、人を大事にするメッセージをエルヴィス自身が発信していたからではないか?
いつも心から心配してくれる人が、こげた料理を出したからといって、自分が祖末にされたとは思わないだろう。
大事にしてくれているメッセージを感じないから、味や形、態度や言葉に神経質にならざるを得ないのではないか?
エルヴィス・プレスリーのすべては、いまでは過剰なほどアナログ的で、時代遅れだ。
それは昭和のオリンピック以前の匂いそのものだと言わざるを得ない。
食べていいのか悪いのか、自分で判断しなければならない情味期限の明示されない食べ物だ。
それでも気にせずに、賞味期限が切れても聴き続けているのは、なにより人を大事にするメッセージがあるからだ。
それはどうすればおいしく食べられるか。こだわりと工夫で料理する料理人や、家具屋や、こんなもんでいいだろう、
一丁あがりの意識とは違う何かから生まれるもので、それは仕事の仕方の結果である。
そこで自分は考える。
エルヴィス.プレスリーガ努力に努力を重ねた形跡のある仕事がどれだけあるのか?
あるとはあまり思えない。
なのに、 どうしてエルヴィスはこれほどにソウルフルな仕事を遺せたのか。
努力もなしに、そんなことが起こりえるのか?
答えはノーだ。
歌う力は天分として片付けられてしまい、知らされていないのだと思う。
ビートルズのように分りやすくない。
エルヴィスのそれは、稀有な集中力の結果なのだと思う。
エルヴィス・プレスリーの魔法だ。
おそらくエルヴィスは人間の心の観察にエネルギーを注入していたのだと思う。
さらに、集中力は歌うより、聴くことにより多く使われたのではないか。
そして歌は人間の心とスキルの表出として蓄積され、自身の魂の住処にもなったのではないか。
それがエルヴィスの仕事の仕方であって、カバーの多さはその結果だと思う。
大した歌詞でなくても、その一語一語にこめられた思いの深さは、新しく生まれてくる時代の歌と比べてみたら。そのまま世相と人間の質を反映していまいか?
その一方で、唯一の失敗は、ライフスキルを身につける機会を持てなかったことだと思う。
その悔しさを誰よりも一番知っていたのもエルヴィス自身だった気がする。
♪ 孤独な夜に置き去りの僕
昨日までの夢と一緒に ♪
言葉にならなかった魂は解析されることはない。
■メンフィス・テネシー Elvis
for Everyone
ハンク・ウィリアムスの名曲をカバーした <.偽りの心>は絶対に聴いてほしい傑作です。
54〜60年代中期にかけての作品集。主演映画『嵐の季節』『夢の渚』『ラスベガス万才』挿入歌も収録 されているが、映画の匂いより、オリジナリティ溢れるポップなエルヴィスを強く感じるアルバム。
1.偽りの心
2.夏に開いた恋なのに
3.君といつまでも
4.「嵐の季節」~イン・マイ・ウェイ
5.トゥモロー・ナイト
6.メンフィス・テネシー
7.最後のキッス
8.「嵐の季節」~僕を忘れないで
9.「夢の渚」~サウンド・アドヴァイス
10.「ラスベガス万才」~サンタ・ルチア
11.新しい恋人を見つけた
12.恋は激しく
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死ぬまでに聴きたいエルヴィス・プレスリー100曲
苦しいとき、悲しいとき、うれしいとき。親友のように励ましてくれる声。
聴くものの暮らしを変える力を持つ真実。
一度は聴いてほしい魂揺さぶる100曲をセレクト。
エルヴィス・・・それはあなた自身の魂の声です。
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