・リーダー自身が「おれはそこに行きたい」と繰り返す
・「きみなら行ける」を繰り返す
・そこに行くメリットを繰り返し伝える
さて、ここからが今回の重要なポイントイです。
限界はカルチャーショックで突破させる
「おいおまえ、この会社になぜ入ったの?」と投げかけたら
「なんとなく、いいかなと思った」「他に行くところがなかった」と返ってきました。
このような回答の背景にあるもの、それが限界です。
限界の対象は、目に見えないものがほとんどです。
「普通でいい」「まあ、人並みに」という表現がよく使われます。
つまり、自分の状況を変えたいと思っても、なにをどう変えたらいいのか、それが分からない。
「分からない事があれば聞いてください。」と問いかけても「分からないことが分からない」のが本音です。これが「限界」です。
問題の存在も分からない。だから解決の必要性も感じなし、限界があることも分からない。
限界を突破する必要も感じない。でも上司は、刻々と変わる状況と格闘しながら、問題解決、限界突破に迫られている。
そこで、なんとかそちらに向かわせようとするけれど、本人は十分やっているつもりだし、なにをどうしたらいいのか分からない。
限界が分からないと、10年たってもそのままということになります。
そこで、「能力の限界」をカルチャーショックによって知らせます。
この段階で伸びる人と伸びない人の違いが出ます。
「能力の限界」を知り伸びたいと思う人は「学びたい」と感じ、その実行によって成長します。
過去の体験や履歴とは一線を画した意欲や意識が力を発揮します。
具体的に言うと、いままで自分なりに頑張って来た。しかし実態は井の中の蛙でしかない。
そんな人が、より広い世界のあることを見せら知らされた。
世間は広い、上には上がいるし、もっと深い考え方もあるんだというようなことが
素直に受け入れることができると、自分の能力の限界を感じて突破したいと思うようになります。
この反対の態度が「能力の限界」を認めない伸びない人です。
伸びないように、伸びないように自分で自分の天井を作って蓋をしています。
習慣的にこのような態度をとっているとイメージできないので、カルチャーショックを感じないことが起こってきます。
あるいは受けてもその価値を値引きして自分を優位に立たせたいと思います。
自我が強すぎて事態を客観的に認められないのです。
例えば、わかりやすい事例として、コーヒーショップを例にあげて簡単に説明します。
あばたはそのスーパーバイザーです。
同業に、受注の仕方、接客態度、ホスピタリティ、クレンリネスの態度や頻度・気遣いが立派な店があり。あなたは自店もそのレベルに引き上げたいと思います。
そこでマネジャーに見学に行って学んでこい指示したとします。
マネジャーはおもしろくありません。
その店のマネジャーと比較された上、劣っていると評価されたように感じます。
そこで、同じ事はしてるじゃないかと思います。
「もし不足があるなら言えばいいじゃないか、
そのくらいのこと、わざわざ見に行かなくてもできるんだからさ」と思います。
「能力の限界」を知らないとだいたいこんなもんです。 「食うために働いています」とはそういうことです。
確かに作業の仕方ひとつひとつの問題なら不足している能力として上司が教えればいいのです。
でも見学に行けと言うには理由があります。
それは作業の仕方ひとつひとつの問題ではなく、もっと深い世界、もっと大きな世界のあることを知らせたいからです。
スーパーバイザーであるあなたが教えたいのは「欠点」ではなく「限界」なのです。
・見学して自分は井の中の蛙だと感じてもらうこと
・その世界に行きたいと自分で思って欲しい |
▲重要なのは、 ここなのです。
限界を知り、限界を突破したい思いをもってもらうことです。
「その世界に行きたい」というのは教えることができないことなのです。
これは思いですから、本人以外にどうにもできません。
自主性に任せるしかない。
だからリーダーは出てくるもので、育てられないと言われたりします。
作業能力の不足なら、手とり足とりで教えることができます。
「こうしろ、ああしろ、そうしろ」で教えられます。
人が成長する、組織が成長するというのは、やって当たり前の作業能力を満たすだけでは不十分なのです。
違いの 差はマネのできない思いによって運ぶものです。
外の世界を観るか観ないかで結果は変わる
本人の思い込みによる自分の値打ちばかりが気になってどうにもならない自我の強すぎる人を別にしたら、「食うために働いている」と言う人にやる気を起こさせるのは、リーダー(上司)次第です。
リーダーが内部、つまり社内や同業者、業界ばかり観ていて、その範囲での相対的な競争力に終始していると、カルチャーショックを与える事は不可能に近いです。
どんぐりの背比べをして勝った負けたでは、カルチャーショックなんて起こりようがないからです。
そもそも「相対的」というのがくせ者なのです。
もし「相対的」な競争に勝つことでOKなら、互いの足を引っ張って相手の力を引き下げたらいい。
どんどん潰し合いしていたらいいのです。
成長するより、成長させないようにするのが簡単で楽で手っ取り早い。
事実、放っておけば、そうしています。
ものさしが「相対的」な場合ではそれが合理的だからです。
これは会社での能力開発、モチベーションでも、商売でも、学校の成績でも、共通した原理原則です。
▼出る杭は打たれると言う言葉の通りなのです。
会社でも頑張って人目に突き出すと「そんなに頑張ってナニになる」なんて横やりが入ります。そう言う本人は足を引っ張ろうと思っていません。親切心です。自分にも他人にも親切なだけです。「○×○組合」とか「談合」とか、親切心と合理性の集合体です。
自分が頑張るより相手が頑張らないようにするほうが楽なのです。
こういう調子だから内だけの競争で上位にあっても成長なんか期待できないのです。
本当に成長させるには、社外、業界外を観て、相対的な強さでなく絶対的な強さを身につけるようにしないと競争力はつかないし、成長しない。
▼外部とつなぐ
人間も、会社も同じです。
クラーク博士が「少年よ、大志を抱け」と教えたように「視野」が重要な役割をしているのです。
出る杭は打たれます。それでも出る事が内から外をめざすことになります。
「食うために働いている」と言う人にやる気を起こさせるには、外の世界とつなげることが大切なのです、そのどこに到着するか、そこに進路をとるようにします。
世界の広さを教えてカルチャーショックによってめざめを期待します。
君はいまここにいる、だけど世界はこんなに広い。君にはここまで行ってほしいと願う。胸に一点、外界に一点、それをつないだ一本の線が見えたとき、細くて切れそうでも、その一本の線がやる気の命綱なのです。
それを示したからといって即座に、「では、そこをめざしてがんばります」とは言わないでしょう。「このおっさん。なにを言ってるのだろう。」くらいでしょう。
▼ だから次の3つを使ってコミュニケーションを繰り返します。
自分がそれにふさわしい力を身につけているかを気にしない。ふさわしい力を身につけるように努力している姿の方が重要です。
では、どんな外部があるのでしょうか?どこから観るかで景気は変わります。
小さな丘から見える景色と富士山では違います。
観るものすべてから学ぶことができるのは、それだけ高い場所から観るからです。
本人が認識しやすい広さを選んであげて、ここから観てごらん。と眺めの良いポイントと、いま君はあすこにいるんだよと本人の居場所を
教えてあげることで、全体像がつかめるようにします。
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