自分はどうしょうもない俗物だが、
それでもエルヴィス・プレスリーを聴いている時は
やさしくなれる。
特にこんな歌を聴いているときには。
アイル・リメンバー・ユー。
1973年1月14日、
ハワイ・ホノルル・インターナショナル・センターから飛ばされた電波に
乗って世界中に届けられたエルヴィスの姿。
中でも<アイル・リメンバー・ユー>で
見せる緊張からほほえみへの虹のドライブは、
心をワシづかみにしたまま、いまもって放さなさい。
おかげでクシャクシャのままで、
いまも<アイル・リメンバー・ユー>を見ると涙があふれてくる。
おそらく同じ思いの方が
数多くいるのではないのかと思って書いたのだが?
l'll be lonely, oh so lonely
Living only to remember you
l'll remember too
Your voice as soft as the warm summer breeze
Your sweet laughter, mornings after
Ever after, l'll remember you
To your arms someday
l'll return to stay
Till then I will remember too
Every bright star we made wishes upon
Love me always, promise always
Oooh, you'll remember too
I'll remember you
<アメリカの祈り>で、オーケストラを見つめていたエルヴィスが、
コーラスへ”行け!”の合図を送る瞬間に、それは修羅である。
自らに行け!と投げかける瞬間に、
自分の精神を命で封印した歌、全身全霊で
世界の大空間に打ち上げる男の厳しさの裏の美しさが眩い。
一気にクライマックスに突入、
身と心一つにして渾身の力で歌いあげた後の表情の素晴らしさはどうだ。
緊張の夜を幾度乗り越え、
ガン基金支援のために立った全世界同時生中継のステージ、
遂に15億人の観客と対峙、
馴染みのメンバーが後ろで支えているにしても、
”キング・オブ・ロックンロール”
いや、それ以上に”ELVIS PRESLEY”の大看板を汚すも、
誉れにするも、自分ひとりの大舞台。
遂にいま、胸貫く感動にこらえきれずに
観客たちが立ち上がって絶賛の拍手、
いやそれよりなりより、自分の力を出せたことの喜び。
やり遂げた男の顔の美しさは、エルヴィス映画のどれをも超えて、
まさしく人としての王の顔である。
それは安定を約束されたキングではなく、
その時々の瞬間に、
自らの心と身体で上り詰めていってのキングである。
夜空、満天の星に愛をふりまきながら
全速で進む真っ白な昇り龍のごとく。
ベルトを観客に投げ込むそれは、冠を投げ捨てても、
キングはキングの努力と資質ゆえにキングの真実に似て、
俺にこんなものは無用、
すべてから解放され自由のまっただ中にいる
”ただひとりの男”の達成感からこぼれる無意識の笑顔が限り無く美しい。
その瞬間にあの小さなエルヴィス坊や
がひとりぼっちで教会の前に立っている姿が
脳裡で交差して胸が熱い。
ああ、人間とはこんなにも素晴らしいものなのかと。
確かに『ハレム万才』のエルヴィスは男盛りにあって、
ハンサムこの上なしの艶姿であった。
(アルバム・ジャケットはいまいち、というか顔が裏返っている。)
遠い昔、アラン・ドロン対エルヴィスが映画界の2大美男であった時代。
しかしそれがどうした、このエルヴィスにはエルビス・プレスリーも降参だ。
さて、話を戻そう。
<アイル・リメンバー・ユー>である。
15億人が見つめるステージから、
ガン基金募金が目標金額を超えたお礼を言った後の
<アイル・リメンバー・ユー>。
<アメリカの祈り>の厳しさとは違い、
なんと柔らかなエルヴィス。
曲の中ごろ過ぎて、”l'll return to stay,Till then”
一瞬の間に礼をつくし、
入魂のエルヴィス。I will と歌い出す真摯な表情、
rememberで顔が歪み、tooとほほえむ。
いずれの日にか、あなたの腕にかえるその日まで、
私は覚えていることでしょう、
壊れやすい魂の宿る深い深い奥底に向かっていく緊張から、
丁寧に魂を適格に捕まえて、取り出し大宇宙の空間にばらまく解放へ。
その優しく、少しお茶目な目線、うなずく表情は、
いたずら小僧が、いたずら仲間に「ホラね」と言ってるような。
みなさん、見えましたよね。
エルヴィスの魂が、
クイオカラニ・リーの魂とひとつになって、
花火のように、
空一杯に数えきれない色、色、色で舞う光景が。
見ましたか、
よろこびの柔和な表情の向こうに隠れている淋しがり屋なロック小僧の幸福を。
ホラね、こんなにうまくきれいにまけたよ。
みんな、きれいだろう。
クイ・リーの心と、
みんなのやさしい気持ちがいっしょになって 、
星のように世界中の夜空に舞ってるよ。
<アイル・リメンバー・ユー>を歌っているエルヴィスは、
<アメリカの祈り>を歌うエルヴィスとはスタンスが違う。
<アメリカの祈り>は
自身そのものの心から発射されたものである。
一方、ガン基金支援要請を承諾したことから始まった
この前代未聞のコンサート。
そのコアになっているのがクイ・リーのカヴァー曲<アイル・リメンバー・ユー>だ。
志半ばで倒れた友人から「頼む、これを届けてくれ」と
ラスベガスのステージで<アイル・リメンバー・ユー>を歌っていた縁から、
ガン基金支援に立ち上がったようなものである。
走れ、メロスならぬ、走れ、エルヴィス、世界を。
エルヴィスはそれに応えたいと思う、
応えようとする、自分の心を突破して、
最高の形にして、届けたいと自分に誓う。
やり遂げろと自身に投げかける。
そしてやはり精一杯の力で今夜突破する瞬間。
友人として、
その約束を果たしたよろこびを仲間にほほえみで知らせているのだ。
やっただろう、ほらね、こんなにうまくきれいにーーー
エルヴィスが”I will remember
too”一行の歌詞に賭ける。
アーティストの業を超えて、そう人間の業なのだ。
人間の業に人生を賭けてこそアーティストなのか。
歌なしでは生きていけないと語ったエルヴィスの真実がここにある。
”I will remember too”意志すること、
その日まで、きっと。
その一行にエルヴィスの魂を見つけたら、
もっとやさしくなれる。
人は悲しませるための爆弾を投げることもできるが、
幸福にする花火だって投げることができる。
エルヴィス、あなたの優しさがうれしいのです。
9月11日がやってくる。
それぞれの人に忘れられない人がいる。
せめて出会えたことを懐かしみ、それを喜ぼう。
会えなくなった悲しみを嘆くより、
忘れられない人がいる幸せをかみしめながら、
”アイル・リメンバー・ユー”。
忘れないでね、エルヴィスの魂で歌うんだよ。
私はあなたを覚えているでしょう
この終わりのない夏が去ったずっとのちまでも
私はどんなにか、おお、どんなにか淋しいことでしょう
ただあなたを想い出すだけで暮らすのは
また私はこのことも覚えているでしょう
あなたの声が、夏のそよ風のように優しかったことを
あなたの甘い笑い声を、毎朝の終わりに
そして永遠に、覚えていることでしょう
いずれの日にか、あなたの腕にかえる
その日まで、私は覚えていることでしょう
私達の願いをかけた、輝く星のひとつひとつを
いつも私を愛し、そして誓って下さい
あなたも私を忘れないと
私が貴方を忘れることは無いでしょう